マンション管理士日記

地域を守る:マンションと地域の融合

黒崎三角公園の思い出(続き)

2011年10月18日 | 喜働

黒崎は 当時、多くの店舗の2階が住居になっていました。

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いま(というか ず~っと)、黒崎の衰退が言われます。 その理由の一つには、職場(店舗)と住まい(住居)が別々になって、多くの商店主が黒崎を離れて生活していることにあると、私は思っています。 黒崎は職場がある街であって、住まいではないのですから、愛着が持ち難いのではないか、と。

たしかに、家具や家電も大型化しています。 家族が折り重なるようにして生活していた 店舗の2階では、住めないのは分かりますが。 せめて、黒崎で暮らして欲しいと 私は願っています。

話が それましたね。 多くの店舗2階 居住空間には、風呂が無かったのです。

当然に 銭湯です。 当時の黒崎には沢山の銭湯がありました。 覚えているだけでも7~8軒。 いまは、1軒が残るだけですが・・・

一番近くて よく通った銭湯が 『下の田湯』 でした。 ついでに言えば、黒崎三角公園も、当時の正式名称は 『下の田公園』 。 『三角公園』 は、その形状から呼ばれていた “ 通称 ” です。 だったと思います。

それが すっかり改修されて、『黒崎中央公園』 という 本当に ありきたりの名前になってしまったのです。 誰が、こんな名前を付けたんや!

私は、『黒崎小学校』 が 『黒崎中央小学校』 になってしまったのと同じように、このネーミングには 我慢が できません

いま、三角公園では 再改修が行われています。 市民も参加して作った 『再整備計画』 に基づいて、と聞いています。 この、「市民参加」 ゆうのが 怪しくて、黒崎中央小学校も、市民(関係者) が参加して、誘導されるように学校名が変わってしまったのです。

『下の田湯』 の2階に ビリヤード場がありました。 中学生の頃 ここには、この辺りのアンちゃんが大勢集まっていました。 ビリヤード場には オッパイが大きい分だけ頭の軽そうな おネエちゃんが働いていまして、アンちゃんは みんな この おネエちゃんが目当てだったのです。

経営者の女性は どこからどう見てもオバちゃんでした。 だけど、この おネエちゃん一人がチヤホヤされるのには、オンナとして やはり嫉妬心があるようでした。 「あんたたち、ビリヤードせんなら もう帰り!」 などと、およそ客商売とは思えない暴言を吐いていました。

体力も金もクルマも、アンちゃん達には 対抗が出来ない中学生の私たちは、争奪戦への参加は諦めていました。 だけど、このオバちゃん いや 女性に 時おり 菓子など持っていって取り入ったので、えらく気に入られていたのです。

「あんたたちは いつまで おっても いいんよ」 とアンちゃん達とは全く違う待遇で、格安料金にて 長々とスリークッションを していました。

それで。 黒崎三角公園の話は? 例によって脱線して忘れてました

またまた次回に。

黒崎三角公園劇場 は黒崎に復活する映画館です。 11月12日にオープンします。 応援してくださいね。

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