五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

平坦なモチベーション

2012年12月15日 | 第2章 五感と体感
ここのところ、毎日、仕事や趣味の「〇〇納め」をしている中、来年の表具の作品展に向けて、作品制作を作るためのスケジュール調整が厳しくなってきました。

平坦なモチベーションを持ちながら制作しないと、大抵失敗します。

そうはいっても、身体の中に、「年末」イコール「お片付け」の習慣が沁み付いているようで、作業をしようかなぁ~と思うと、目の前にある雑然とした書類が気になり、ファイルの整理に時間を費やしてしまったりして、結局、その作業に熱中してしまうという悲劇的状況に陥りつつあります。

平坦なモチベーションは表装だけでなく、職業においても、とても必要な「心身の状態」です。

昨晩も、ちょこっと表装の小さな作業をしようかな。。。と、思いつつ、能楽のチラシやお稽古の資料などを整理しているうちに日付が新しくなってしまいました。

朝起きても、「そういえば、、、、」と思い立ち、名刺の整理をする始末・・・(トホホッ;)

この時期に平坦で居よう、、、と、いきり立てば立つほど、焦りが生まれてくるわけです。

さてとっ!
今日と明日は週末の楽しいイベントに向けて準備を整えます。作業進行中の掛け軸の事はすっかり忘れることにして、とりあえず、基本的なやり方ですが、一番大切なやるべきことをノートにすべて書き込み、タイムスケジュールを無理なく立てながら、「まっ、いいかっ!」という楽天思想と共存することを心の片隅に置き、過ごす事と致します。

限りなく平坦なモチベーションに近い状態で、呼吸を整えながら、水平に暮らせたら大成功の年末(笑)かもしれません。

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2013年1月13日から2月9日まで、銀座プロムナードギャラリー(銀座三越下~東銀座までの地下通路・歌舞伎座の手前)において、「江戸表具を愛する会」に参加します。新歌舞伎座の見物の際は、ぜひ地下通路をご利用くださいませ。

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愛すること愛されること

2012年12月14日 | 第2章 五感と体感
自分自身、「愛すること」と「愛されること」のバランスに不均衡があると、その不均衡さが不安感を生んでいきます。

「与えることに執着」していたとしても、それは、「与えられることの渇望」と同等な事だと、私は解釈しています。

昨日は、「気」の落ち着いた皆さまから久しぶりにのんびりと豊かなおもてなしを頂きました。

愛されることがそれなりに満たされていると愛することの塩梅が気功をする時の呼吸のように上手くバランスが取れていくように思います。

息を吸う事を愛されることに例えてみると 息を吐く事、つまり愛される事の関係に無理が無いようになっていくのです。

愛することと愛されることは、呼吸のバランスと同じだと、いつも思っています。

呼吸が整えば、気がおさまります。
呼吸が荒れていれば、気がおさまりません。

コミュニティの中の一人の呼吸が荒れていれば、知らず知らずのうちに不均衡な空気に巻き込まれていきます。

そんな時に、自分の呼吸に意識を向け、吐いて吸うことを大事にしてみると良いかもしれません。

たぶん、昨日は皆さまの整った呼吸の中で、安心して呼吸ができていたように思います。

師走の中、急く気持ちが、一旦治まったよき一日でした。この場を借りて感謝申し上げます。

セッターのHOLLY君にもよろしくお伝えください。愛し愛される眼差しの美しい素敵なワンちゃんに出会えて幸せです。


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サポーター目の前の幸せ

2012年12月13日 | 第2章 五感と体感
FIFAクラブワールドカップの南米代表ブラジル・コリンチャンスのサポーターが熱い!

12月の楽しみと言えば、長年日本で行われている大イベントがこのクラブワールドカップです。トヨタカップの頃から世界の強豪チームを観るために高額チケットを買い競技場に通ったものです。毎年日本で行われるのもこれが最後。名残惜しい気持ちで、ゲームを楽しんでいます。

そして、何よりこの試合のために家を売って応援にやってきたブラジルサポーターの話題に、思いっきり私の肩の力が抜けました。

なんと楽天なことよ。

でも、南米代表ブラジルの復活による盛り上がりは、本国では物凄いようです。

自然破壊も問題になってはいますが、経済成長も著しいブラジル。貧富の問題だって大いに抱えている国。

基本的に楽天的な心持で生活しているように見えるブラジル人の人々は「やっぱり楽天的なんだ」という私の印象が、ますます強化されることとなりました。
楽天的というよりも「目の前にある幸せを素直に喜ぶ」というだけの話かもしれません。。。

目の前にある幸せを120パーセント楽しむことは、とてもエネルギーの要ることです。憂うことよりもエネルギーが必要でしょう。
「ふん、」と思っているだけでは、何も生まれないし、ましてや、「こんなバカなことやっちゃって・・」と批判的な気持になると、気分だって落ち込んでいきます。

大いに喜び

大いに楽しみ

大いに憂いで

大いに哀しむ

ちょこっと窮屈さを感じていた「師走のあれこれ」に、スカッとしたアッパレさを感じています。

週末の決勝戦は、ゲームよりもサポーターのお祭り騒ぎの方に興味があります。楽しみ。

我が家にも風に乗って競技場からの音が聞こえてくること間違いなしです。

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目の前の真実

2012年12月12日 | 第2章 五感と体感
「目の前の真実を受け容れた時に覚悟が決まる」という体験は、日常の些細な事にしても、大きな出来事にしても、大なり小なり経験しながら生きています。

以前、紅葉で有名な京都の東福寺を春に訪れた際、「桜は植えない」お寺であることの先入観から、紅葉に紛れて咲いている桜の花を観ても「これは桜ではない・・・、いや、桜であってはならない・・・」と、思い込み、「桜ではないよね。。。」と、呟き合いながら散策したことを時々思い出します。

お坊さんに尋ねると、「住職が、抜いても抜いても生えてくる桜の芽に情が湧き、桜が可哀想だから、観念しましょう」ということで、勝手に生えてくる数本の桜を抜くことなく育てていることを答えてくださいました。
「紛れも無く、これは桜である」と、思った瞬間、私達は、何故か計り知れない安堵感を感じました。

「目の前の真実をありのままに受け容れること」と「生きるための条件」を一色単にすることで、目の前の真実が、歪められていく様を東日本大震災以来、見続けているように思うのです。

「真実を受け容れる」ことを、私達がどの土台で判断し、思考していくかを、よくよく考える時期が与えられているにも関わらず、それから逃げることによって、どんどん本質からずれているようにも見受けられます。

人間とは何か?
生命とは何か?
私は何のために生きているのか?

哲学的ともいえる思索は、実は私達にとって一番身近で切実な問題でもあるのです。

歴史の一コマに過ぎない自分の命をどう捉えるか。ヒンドゥの教えの通り、たった一粒の砂粒でも無数に集まれば何かが生まれます。
個々の繋がりは、やがて大河を生んでいくのです。
その大河の一粒である自分の役割を改めて考え、そして、歴史の一部である自分に誇りも持ちたいと思うのです。

真実を受容した時に覚悟が生まれるのです。覚悟が生まれるとということは自分の中に柱が一本立つということでもあるのです。

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浮世絵師 月岡芳年

2012年12月11日 | 第2章 五感と体感
日曜日の夕方、これを逃すと観にいけないと思い立ち、横浜美術館の「はじまりは国芳」展を観てきました。

今年の夏、私の恩師である某氏から留守電が入ることから始まった月岡芳年への興味は、イケメン俳優を追い掛ける位の高揚感と同じくらいの気持であると形容するのが一番ふさわしいかもしれません。

この夏にHNKテレビ番組「日曜美術館」で月岡芳年を特集しました。
彫刻界のスペシャリストとして活躍いている方が浮世絵師を語ることは意外でした。

テレビ出演するにあたり、わざわざ電話など掛けてくる方ではないのですが、「私がちょっとだけ出るから見てくれ」という一言。

そして、納得^^。

そして、展覧会を観た方々から「お薦め」のメッセージも沢山頂きました。平素、他者にお薦めすることを好まない方々からのメッセージだから尚更の事、観たい情動に駆られました。

ともかく、この月岡芳年という絵師、半端じゃなくカッコイイ!江戸から明治を生きた人です。で、あるが故、リアルな戦いも見てきた人でもあるわけです。

「なんだなんだ!この人!」

ただの浮世絵と思うなかれ。

まるで、劇画をみているかのような絵。しかも、CG画像を観ているような、映画マトリックスの戦いの場面でキアヌリーブスを観ているような、瞬間映像が止まったかのような構図。

心の中に蠢く感情を捉えるならば、本当はこのくらいの構図でなくては、人の心を惹き付けないのかもしれません。

これだけの感情と行動の激しさが直に絵で表すことができるのか、と思うくらい含みの無いダイレクトな表現なのです。

「牛若丸と弁慶の五条大橋の戦い」瞬間の一コマ。

平家打倒の企てを密告され鬼界ケ島に流された俊寛。

弁慶の幼少期の武勇伝も度々描いた鬼若丸と鯨退治や鯉のぼり。

安達原の老婆。

八百屋お七が、江戸の町に火を付け、炎の中火の見やぐらに登る様子。等々…。

どれもこれも、瞬間の映像をそのまま切り取ったかのようなものです。

しかも「見せることの粋」を完全に心得ているのです。

人の心にこれだけの感情を湧き立たせる物語の名場面を能楽で表現するならば、秘めたものをどれだけ最小限で宇宙規模の広がりを表現するか。。。
そして、観る者の心にどれだけの想像を膨らませることができるかということも、対極にある振り子の幅の端であるように思います。

このように最大限と最小限の同質感を感じ取りながら、芳年の感情移入に私自身が惹き込まれていくのでした。

最大限と最小限は、同じ明度の色を見ているかのように精神性の浸透圧として体感に沁み込んでいくのです。

今でいえば、クリエーターとアーティストを兼ね備えたマルチな人であり、日本のミケランジェロという言い方が一番しっくりくるかなぁ。。。と、私の形容する言葉の足りなさにうずうずしています。

月岡芳年をまとめて観ることの出来る「はじまりは国芳・江戸スピリットのゆくえ」は、横浜美術館にて1月14日までです。

今年最後の美術展鑑賞。刺激的な鑑賞納めとなりました。

ちゃんと読んだことはありませんが、ジョジョとかワンピースの原型は、ここにあり、かもしれません。私達の世代が読んできたアキラにしても、エヴァンゲリオンにしても繋がっているのです。時の経過による表現から普遍性を感じ取ることのできる展覧会です。ゲームにしても浮世絵の延長であるかな、と。

「はじまりは国芳」… 良いタイトルだと思います。

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震災は続いている

2012年12月09日 | 第2章 五感と体感
一昨日の夕方、そろそろ夕食の準備に取り掛かろうと思っている時に地震が起こりました。
朝起きる頃にも一度、嫌な感じの地震があり、ここ一カ月くらい3.11の時と同じような遠くからくる揺れが多いことには気付いていました。

一昨日の揺れは、一度目の揺れが治まったかと思ったら長い揺れが再びやってきたので、あの時の体験が蘇ってきました。

予想もしない揺れを体験した東日本大震災の時と、プロセスが同じだと思った瞬間、心臓がドキドキし出しました。
様子を見ながら淡水魚の水槽を押さえ、水槽の魚たちを観察しました。小さな淡水魚達は、大きく揺れる水の中で水平を保とうと必死に自分たちの身体を留めていました。波に任せるのではなく、自分の身体を留める行動に感心しながら見ているうちに揺れが治まり、心臓のドキドキも治まりました。

直ぐにテレビを付けると、地震速報に全局が切り替わり、宮城の海岸の様子が映し出されました。

さぞかし、被災地の皆様は怖い思いをされていらっしゃることでしょう、と思うと、私が今年何度か見てきた三陸の海岸線が目に映り、宮城に伺い、直に皆様から聞かせていただいたことも蘇り、改めて震災の体験はそのまま続いていることに気付かされました。

体験の再来は、その時に蘇る体験の体感によって、否が応でも自分のストレスを現実化し意識化することができます。

東日本大震災によるあらゆるストレスが、自分自身、現在如何程のものなのか点検しつつ、意識化してみる必要があるかもしれません。

同じようなことが起こり、その時の感情処理が上手にできず、ストレスが深まっている方がいらしたとしたら、不安の感情を聴くことが大事でしょう。

寒さ厳しい季節となり、益々心と身体のストレスもかかりそうです。くれぐれもご自愛ください。

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歌舞伎の日本力

2012年12月08日 | 第2章 五感と体感
昨晩は中村勘三郎さんの追悼番組を拝見しました。

親子連獅子で息合わせた親子の姿を息呑みながら観る観客。客の反応がじかに伝わる舞台。

長きにわたり、民衆とスポンサーとの関係を最大限に強く太くしてきた歌舞伎の世界は、永続性する意識と覚悟の強い逞しさ感じます。

「皆皆様のお陰でございます」と平身低頭を貫きながら、伝統を守り抜く梨園の世界に並々ならぬ生命力を感じます。

戦前の歌舞伎座に通いまくった私の祖父母は、嫌がる息子(父)を引き連れ、当時の歌舞伎座は換気が悪く、子供にとっては最悪の空気だったようで、父は気持悪くなった思い出しかないそうですが、、、
それでも、通い詰めた祖父母の目から通したものが私の魂に蓄えられているような気もするのです。そうやって時代を超えて引き継がれていくのもなのかもしれません。

能楽はお殿様のお抱えであった故、スポンサーという概念は歌舞伎とは大違いです。

生き抜くための学習は、「隅から隅までずずいと…」の精神で叩きこまれてきたのが、民衆をスポンサーにしてきた強さだと思うのです。

何事にしても型を体得することは一生の修業でしょう。そして、体得することと配慮することの力が、同じくらい必要であるでしょうし、夢を実現するための想像力も意欲と比例してくでしょうし、潔い自己実現とは、このことかな、と思いながらテレビの画面を見つめました。

見せるために、何をするかを勘三郎さんから学ばせて頂きました。日本力はここにあり、かな、ということも。。。

数年前に亡くなった超歌舞伎好きの友人は着物を着て、勘三郎さんの天国入りをお迎えしていることでしょう。祖父も、若い役者がやってきたことに大喜びで、天国がとても賑やかになっている事を想像しています。

中村勘三郎さんのご冥福をお祈りいたします。

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愛の原型はそれぞれ違う

2012年12月07日 | 第2章 五感と体感
どうして、この人は、こんな言い方をするのだろう?

どうして、この人は、こんな行動をするのだろう?

自分と違和感の無い行動や言動に関しては、気になりませんが、違和感の度合いが深ければ深いほど、良くも悪くも自分の感情が何らかの形でうごめきます。

自分以外の他者は、家族であっても驚きの対象なのです。

どのように自分が育てられてきたか。

どのような考え方を親から受け継いできたか。地域で習慣化されてきたか。そして、どのような気候風土で育ってきたか。。。どのような時代で育ってきたか。

そして、育てられてきた過程で、どのような感情や思考が芽生えて生きてきたか。

それらのことを含めて、「自分がどのように親から愛されてきたか」は、一人一人全く違います。

人の愛し方、愛され方の定義は、人によって違うのです。

自分の内から湧き出す「違和感」に翻弄される前に、自分の愛し方愛され方を検証することから始めてみては如何でしょう。

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解釈の仕方

2012年12月06日 | 第2章 五感と体感
解釈の仕方を変えると世界が変わる

確かにそうなのですが、自分の解釈の仕方を受容して検証することは、そんなに簡単にできるものではありません。

解釈を簡単に変えることができれば、人は悩みません。

だとすると、悩みとは、人が生き抜くためにに与えられた仕組みであるとすると、神様は面白い仕組みを創造されたな、と思うのです。

つまり、理想と現実のギャップをどのように埋めていき、解決に向けていくかの起点のシグナルを「悩む」ということで意識化してくれている、ということなのだと解釈すると、「人間の心の仕組みは何と頼もしい」と、いう解釈に行き着くのです。

悩むことをしらなければ、ひたすら気付かないストレスがいずれは身体症状に出て、それが続けば死に至ることもあり得るわけですから。。。

「悩みは、解釈を検証し、変えていくためのプロセス」だと解釈するとしたら、如何でしょう…。

人の悩みの解決の仕方をそのような視点で捉えていくと、「私」という私の持ちモノが少し軽くなるような気もします。

…自分の解釈の仕方、解釈の傾向を点検することができれば、随分心に余裕のある証拠かもしれません。

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芸能の継承

2012年12月05日 | 第2章 五感と体感
昨日は夜のニュースで中山選手の引退会見をしみじみと拝見し、日本のサッカー界を引っ張ってきた彼の功績を心から称え眠りにつきました。

そして、今朝目覚めると、中村勘三郎さんの訃報ニュースが、ラジオ番組の第一声。

世代的には、私よりちょっとお兄さんなので、折りに付け私の人生の先を行くやんちゃなお兄さん的な存在として垣間見させていただいておりました。

観阿弥にしても、出先の舞台で倒れ、そのまま亡くなっています。時代は違えども世阿弥にとっても偉大な父の後を継承する覚悟は大変なものだったと思います。

才能だけでは食べていくことはできません。ましてや芸を磨くだけではお客を呼ぶことはできません。

勘三郎さんは、世間と芸能を深く繋げたことも、魅力の一つだと思っています。

芸能の継承は、師匠の姿を見続けることから始まるでしょうし、その姿を生活の中で体得していくことで互いに重なり合いながら継承されていくものでありましょう。

師匠がこの世から旅立つことで、継承者は自立を余儀なくされます。何代も何代も同じことを繰り返してきたとはいえ、それぞれの継承者が体験することは毎回初めての体験であるわけで、体験した者にしか解り得ない覚悟があるのだと思います。

来年の新歌舞伎座オープンまでのカウントダウンも始まったと聞いています。
奇しくも、私が参加している「江戸表具を愛する会」が、来年年明け早々に銀座から歌舞伎座までの地下道のギャラリーに表具を展示することになっています。

気楽に江戸の風情を楽しんでいただきたいな、という気持ちで軸を仕立てており、仏表具を出そうか否か考えていたのですが、急遽、頑張って仕立てようと只今決意しました。

師走の中、ちょっぴりキツイ目標ですが、芸能継承者の皆様に祈りを籠めて作らせて頂きます。

繋がりゆく人々の魂は、永遠普遍でありますが、憂うことの深さからその普遍性を感じ取っていくものかもしれません。

中村勘三郎さんのご冥福をお祈り申し上げます。

合掌

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江の島眺めての勉強会

2012年12月04日 | 第2章 五感と体感
今年2月から始まった腰越勉強会は、本日で年内終了です。
受講生の皆様との交流も年々深くなり、万福寺を臨みながら義経の腰越状に想いを馳せる私の妄想も重なり、この場所は勉強する私にとっても外せない所です。

次は2月5日火曜日が第一回目となります。

環境は想像力を育みます。

皆様との関わりと腰越の環境が相乗し、ますます豊かな勉強会になることでしょう。

本日の最終回を来年へのプロローグとして、大切な時間を皆様と共に過ごしたいと思います。

12月に入り、各場所で仕事納めをする日々が続きそうです。急激な寒さにへこたれず、体調管理をしながら乗り切りたいものです。

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私は私の主人公

2012年12月03日 | 第2章 五感と体感
私は、私の人生の主人公です。

小学生でも中学生でも自分の人生を語ることができます。つまり、どのように生きてきたかを自分の言葉で語ることができます。
同時に、今までの経験を糧に、どのように生き抜いていくかも自分の中に答えを持っているはずです。

経験も足りないでしょうし、方法だってまだまだ見つけられない年齢であっても、答えは持っているのです。

私が小学生の頃は道徳という授業がありましたし、高校には倫理の授業もありました。
これらの授業は、案外私にとって大事な経験だったことを時々意識することがあります。

一貫した教育指針の柱を持った私立の学校は、上記相当の授業を持ち、人間教育をしているところも多いはずです。
どんなに居眠りしていても、それらの授業は、蒔かれた種のような存在で、数十年後にハタと自分のアイデンティティの核となっていることに気付いたりするのです。
そのことを知っているベテランの先生方は、あれこれ言わずに子供達を信じ、長い長い人生の先に焦点を合わせてくださっています。
即効性のある授業だけでなく、人生の道程に関わる授業の存在も大いに必要なのです。

私は「私」という持ち物を動かしていく唯一の存在です。

その唯一の私の持ち物をどう活かしていくのかは、大きな試練に立った時に改めて意識させられるのです。

私という存在は、「私」の主人公です。

そのことが「当たり前だ、、、」と、言い切れる人は強い人かもしれませんが、何かが起これば、簡単にその考え方が崩れ去ることも知っておくのも一つの生き方かもしれません。

弱く孤独な自分を受容すると、次に見えてくるのは感謝と満足の自分であるように常に思います。

「私という孤独な私」と共存していく人間の存在を、他者の個性として受容できるようになると、孤独な自分に喜びが注がれていくのです。

他者から与えられることを期待しながら「~してくれない。~られない。」と憂いでいても、きっとエンドレスな憂いに自分がグルグルと回っているだけでしょう。

私は私の主人公であることを認められた人が、本当に強い人なのかもしれません。

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至宝の歌声

2012年12月02日 | 悔いのない人生とは?
ホセ・カレーラスのコンサートを聴いてきました。

私の記憶では四半世紀くらいまえに白血病を患い、その後、三大テノールの一人として復帰され、現在に至り活躍しています。

母がカレーラスのファンということもあり、母&娘二人で堪能しました。

「体調不良であれば、代役を立てることを承諾してくださいますか?」というチケットセンターの確認事項に「はい」と、答えてチケットを入手したので、ここ数日は急の体調不良のニュースについて耳をそばだてながら過ごしました。

深く伸びる歌声は健在でした。

謡えば謡うほど(あれ?、、、最近、歌うではなく謡っているので、漢字に変換すると真っ先に「謡う」が出てきてしまいます<笑>)、、、歌えば歌うほど、深くなっていく声に、徐々に魅了され、コンサート後半からは最高潮に。いやいや、まだまだこれからでしょう!という観客に、カレーラスさんも答えてくださり、なんと3度のアンコールに二曲ずつ答えてくださいました。

アンコールに答えれば答えるほど、声が深く美しく透明に伸びていくのです。

クレッシェント、デクレッシェントの安定感も素晴らしく、ピニアニッシモの微細な抑えにも広がりがあり、まさに至宝の歌声。

私達の前に座っておられたスペイン人の女性が、目がしらを抑えていたのも印象的でした。

相変わらず日本人の熱狂的なファンも多く、久しぶりに華やかなコンサートを楽しみました。

カレーラスの甘いマスクは、若い頃よりも頑丈な顎となり、私としては今のほうが萌え~♪であるな、と、思っていると、横で「冥途の土産だわ」と呟く母。

久しぶりに音符の世界をひたすら楽しみました。

「冥途の土産だ」と、時々呟くことができる人生は、きっと幸せな人生であろうと、思うのでありました。

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