カラダよろこぶろぐ

山の記録と日々の話

修行の身

2008-12-01 | カメラ

この土日も天気が良かったですね
諸事情によりどこにも出かけられないワタシは、合間をぬって一人お勉強・・・


我が家の紅葉。


同じアングルでシャッタースピードを変えたらこんなになった。




すごくキレイな夕焼けが東京でも見られたのだけれど、
私が撮ったらピンボケ&アンダー。


こちらは完全オートの写真。

う~カメラの難しさ、今頃になって改めて知る私。
もう、どこをどうしたらまともな写真が撮れるのか?さっぱり解らなくなったけど・・・
今はマニュアル撮影の勉強中なんだから、自分でなんとかしなくちゃで・・・
誰もが越えなきゃならない一線だと思い・・・

もうちょっと、諦めずにがんばってみます



講座2回目

2008-11-27 | カメラ




昨日はシャッタースピード、絞り、補正、測光等を学びました。
今までどれだけ読んでも理解できなかった絞りとシャッタースピードの意味が、
ようやく解りました。
自分の知らなかったことが次々出てきて・・・
何も知らなかった自分が恥ずかしい・・・でも最初はみんなそんなもんだ!と勝手に解釈。

ただ、頭で解っただけで、「じゃやってみて」となると使えない。
ココが解らないと先へ進めない、とのことなので、
来週までに自習しなくちゃ落ちこぼれちゃう。


学生に戻ったような気分も、たまには楽しいもんだ
(先生とお話できたし♪)

学んだこと・1回目

2008-11-20 | カメラ

昨日から始まった「デジタルカメラ基礎講座」
自分の感じたことを備忘記録として書こうと思います。

勢いでデジイチを買ったのはいいけれど、一年以上経った今も、
カメラの使い方・絞りや露出の関係すら解らない私。
取説読んでも理解不能、教えてくれる人もいない(会社にはいるけど・・ねぇ)
いつも旅先で「思うように撮れないっ」のジレンマを少しでもなくす為に、
誰かに習いたい、とずっと思っていました。

でも人気の講座なので私のような凡人は、募集記事を見つけたときにはいつも満員。
キャンセル待ちだったのですが、ラッキーなことに空きが出て今回、受講することが出来ました。

その時点では講師がどなたなのか?は解らず。
解ったとしても、私自身が写真展など見に行ったこともないので名前を聞いても?・・・

ところがたまたま先日書店で手にとって見た一冊の写真集。
とても素敵な作品で、ものすごく脳裏に焼きついたものがありました。
それが・・・なんと今回の講師の先生だったとは!
自分でも偶然にビックリです。

講義の内容はあくまで基礎講座。
フィルムカメラとデジタルの違いなども話されました。
ですがテキスト通りではなく、フォトグラファーならではの視点でお話されているので、
私にとっては大変楽しい講義となりました。
偶然にも山岳フォトグラファーである菊池さんの回に当たって、
本当にラッキーだったと思います。

私も(レベル違いますが)山に登るようになり、山で出会うその美しい自然の瞬間を写真に収めたい!
デジカメじゃない!一眼が欲しい・・・これがデジイチを買うきっかけだったから、
だから先生の仰ることの意味がよーーーく解ったのです。
カメラに興味のない人は、
「なんでわざわざこんな重たいもの持って・・・」
「なんでこんな寒い日にわざわざ寒い思いしてまで・・・やるの?」etc・・・
と思うことに情熱を注いだり、夢中になったりすることを愛おしく思う気持ちが、
カメラを職業とされている方々の10000分の1程度だとしても、私にもあるからです。

1回目で私が学んだことは、
・最近望遠で切り取った写真が流行だが、望遠は誰でも後でできるから、
アレンジよりまずは難しい広角での撮り方をしっかり覚えよう。
・カメラのモニタは見ている場所によって見え方が変わるから、ヒストグラムで判断する。
・写真を撮り始めて3年(石の上にも三年)くらいはカメラが撮る。
それ以降はもうテクニックではなく、その人が撮るもの。
ピントがブレブレだろうが、露出がアンダーだろうが、
自分の思い(意思)をいかに写真にのせることができるか、が大切なこと。
実際そういう写真が人の心に感動を与え、代表作になっている写真家は世界にたくさんいる。
誰かに訴えたい、伝えたい、という思いが写真の上達、写真が好きになる事に繋がる。
写真ってそういうものじゃないかな・・・

・・・です。
ま、他にちゃんと技術的なことも教えてくださいますが、
結局はハート、ということで(←ホントにわかってる???)
先生の話に激しくうなずいていた私でした
すごく楽しくて、あっという間の2時間でした。

--------------------------

私が偶然書店で見て、感動した本は「山の星月夜

この本の中で、
”星に伸びていく”という表現をどうしたらできるのか?と考え、
天に届きそうな槍ヶ岳を撮影場所に決めた。
でもその写真を撮る為には好天、朝焼けの数分という条件の他に、
日の出に向かう大勢の人が必要。
ちょうどこの日、韓国からの団体が山頂目指して登る、
という情報を得て撮った、条件が揃うまで長い年月を要した1枚、
という写真が印象的でした。
もちろん、他にも私が言うまでもないご苦労で撮られた素敵な写真が一杯あります。
・・・なんか宣伝してますね~・笑
(このハナシは直接聞いたわけではありません)


いくつになっても学ぶこと、いっぱい





一枚の写真を訪ねて

2007-09-28 | カメラ

今回の【尾瀬】行きにはある目的がありました。

こちら>過去の記事

過去記事1  過去記事2

一度も訪れたことのなかった私は、この風景をガイドブックなどで見て
多分尾瀬だろう、と予測して訪ねていくことにしました。

この日、山の鼻から歩き始め、自分の歩く速度と同じ分だけ、
燧ケ岳がどんどん近くなってきます。
もうすぐかな?もうすぐあの場所かな?とドキドキしてきました。

写真を持って出かけたわけではないので、
自分の記憶を頼りに撮りました。
何枚か撮った中で、一番近かったものがこれです。


昭和30年頃の写真


現在の写真

50年前と、山の基本的な形はやはり、変わっていないんですね。
(山痩せた?ちょっと剥けたところが痛々しい)
当たり前かもしれないけど、変わらぬ姿をこの目で見ることが出来るのは、
ホントにありがたいことです。

私と父が山に興味を持った理由は、結局わからなかったけど、
この【尾瀬】には、ただこの広い湿原に身を置き、
その風景を見ているだけで、自分の頭の中が「無」になれる何かが
あるような気がします。

カメラ好きの父は、私がこの日すれ違った何人ものカメラマンと同様、
今、この瞬間、ここにいなければ見ることの出来ない風景を、
自分の指でシャッターを押すことだけに集中することに、
何にも変えられない心地よさを求めていたのかな・・・
子供の頃、よく私を撮ってくれた父のカメラのシャッター音が、
聞こえたような気がしました。

この日、ちょっとした悩みを抱えて訪れたこの場所。
私にだけ聞こえた天からの父の声は、
「甘えるな」

「感謝しろ」
でした。



++++++++++++++++++++++++++++

家に帰って父の写真を取り出し、比べてみましたが・・・

私「ねーねー、ここだよね!この写真の場所」
ダンナ「・・・・違う!もっと山が近いよ、竜宮より先だろっ!」
私「あぁぁぁ・・・・・・・・・ホントだぁ・・・」
ダンナ「はい、やり直し」
私「

ここで詰めの甘い私の悪いところが・・・

「竜宮小屋が工事していて、先へ進めないように見えたんだよなぁ~
といい訳言っても始まらない。
オチがつくところが私らしい

という訳で、また行ってきま~す。
次は春かな?











一枚の写真・燧ケ岳

2007-06-06 | カメラ
父は若い頃からカメラが大好きだった。
山に登る人はそれぞれいろんな目的を持っていると思うが、
父の場合は山の風景、山の頂に登らなければ出会えない風景をカメラに収めたくて、
山に登っていたのではないか、と思う。
(父の部屋には写真の本が山ほどあって「日本カメラ]とか、「日本アルプス」とか「日本の山」とか、
たーーくさんのあったから、多分そうなのでは?と思っている。)

これらのモノクロ写真を見ると、父が家で現像していた時の、
暗幕の中でピンセットをゆらゆらさせている姿や、現像液のすっぱい匂いを思い出す。



これは私がとても好きな一枚。
この写真に写っているのは昭和30年頃の「燧ケ岳」・・・多分、行ったことがないから・・
モデルは同じ会社の人かな?ブラウスと短めのパンツがかわいい。
ニッコウキスゲらしき花が咲いている、なんて美しい風景なんだろう。

50年以上も前の山の姿と同じものが現代もまだそこにある。
地球の長い歴史から見れば当たり前のことでも、
もし戦争や災害があったら同じ姿では存在していないかもしれない。
そう考えれば「あたりまえのこと」は、実はとても奇跡的で、
大きな意味のあることではないかとも思えてくる。
父が好きだった山に、今頃興味を持った私という親子関係も。

父がまだ生きていた頃、私はカメラのことも山のことも、
全く興味がなかったのが、今となっては悔やまれる。
今なら、聞きたいこと、知りたいこと、教えてもらいたいことがたくさんあるのに。
趣味の話を父娘で話ができたら、さぞかし父も楽しかっただろうに。

近い将来、きっと私はこの場所に行くだろう。
湿った木々の匂いや、ひんやりとした空気の感触を
肌で感じながらこの目で見て来たい。
私が山を歩きたくなった理由がそこに、あるかもしれないから。









便利=豊か とは思わない。








一枚の写真:2

2007-05-25 | カメラ

父が一緒に山に行っていたのは会社の友人達だった。
部活か何かがあったのかもしれない。

その頃の母は兄と姉の子育てに加え(私はまだいない)、
厳しいお舅さんと(昔はみんなそうだった)父の妹たちも一緒に住んでいたので、
多分いっぱいいっぱいだったのだろう。

ある日、
「お父さんはいいわね、行きたいところにいけて。
 私なんてどこにも行けないわ」
と、母が父に向かって言ったそうだ。

父は何の言い訳もせず、それっきり山に行かなくなった。

と母から聞かされた。


(推定昭和30年ごろ)

とても生真面目な性格だった父らしいな、と感じた。
だから、この時代の写真はアルバムにも貼らず、しまわれていたのだろう。
時々出してみて、懐かしんでいたのかな?

この写真に写っている父の表情は、家族の知らない父の一面なのかもしれない。

(残念ながら知識不足でこの背景がどこなのか?が私には解らない・・・)

つづく。


一枚の写真:1

2007-05-23 | カメラ

10年ほど前に他界した父の、部屋を片付けていた時に見つけた写真。
東京都交通局の公務員だった父。
この写真を見るまで、父が山に登っていたなんて知らなかった。
もちろん本人からも聞いたことはなかったし。

父の部屋の片づけのほとんどは私がした。
とにかく趣味のもので足の踏み場もないほど、モノに埋もれていた部屋だった。
そのモノのヤマの中から「ボロっ」と出てきた写真たち。
アルバムにも収めてなく、何かの袋にばらばら入っていた。

母に見せたら、山に行っていたことは知っていたけれど、
これらの写真は始めて見たそうだ。

推定昭和30年頃の写真です。



昔はホントにこんなザックを背負って登っていたんですね・・・
(つづく・・)