2011.11.3(祝)
ダンナの実家を早朝に出発し、寄り道しながら東京へ戻ります。
久慈駅からバスに乗り盛岡を目指します。
このバスは「久慈渓流」脇を走っていくのですが、ここがまあーーなんとも素晴らしい紅葉なのです
全然有名な観光スポットじゃないし(平庭高原近くといえば解るかな?)、地元の人くらいしか知らないのでは?
と思うのですが、大小さまざまな岩や赤洞色の岩礁が連なる景観地で、
岩にへばりつくように赤や黄色の紅葉がびっしり!
今回通ったエリアでは一番密度の濃い紅葉が見れました。
ここは行って損はないです!(と宣伝)
走行中のバスの中からはピントの合った写真が撮れなくて・・・見せたかったなー、岩手自慢
さて、盛岡駅に着いたら今日は奮発して新幹線で「一ノ関」駅へ。
帰りの新幹線が決まっているので、限られた時間のなかで廻れるのか?ツアープランナー(私)の腕の見せ所です
11:00、一ノ関から路線バスで30分ほど揺られ、ついたのは「厳美渓」
ここは観光地で、よく紅葉ツアーとかに組み込まれている場所です。
右の写真は「空飛ぶだんご」が篭にのってスルスルと降りてくるところ。
事前情報では「紅葉見ごろ」マークを確認していたのですが・・・
なんかねぇ・・・なんですよ。紅葉はドコに??
怒られそうですけど、見た目だけ考えたら紅葉も特に・・・ですし、渓谷も特に「うぉー」というほどでも無し・・・、
渓谷沿いの岩場はほとんど「立入り禁止」だから車道しか歩けない・・・
これだったら奥多摩の鳩ノ巣渓谷のほうが美しい(笑)ということで意見が一致。
観光地と言うものは往々にしてこんなモノなんでしょうね・・・(あくまで私の感想です)
ということで川沿いを少し歩いただけで満足したので、
名物のおだんごを頂いて終わりにしようと言う事になりました。
お茶は(無料)セルフサービス、渓谷対岸のお客さんとのやり取りを見ているのが面白かったです。
「郭公だんご」
ふわふわのお餅で美味しかったです。3本¥380くらいだったかな?
ごちそうさまでした
* * * * * * * * *
バスの本数が日に数本しかないこのエリア。(厳美達谷線乗り換え平泉達谷線のみ)
バスの時間まで1時間以上あるのが(厳美渓見るのに2時間以上かかると計算)
もったいないのでえーい、ついでだ!とセレブにタクシー移動決定です(笑)
タクシー(約¥2300)で移動の途中、達谷窟(たっこくのいわや)の「岩面大佛」を車窓から眺め、
目的の「毛越寺」へ。
ダンナの実家に帰省するようになって早20数年。
何度も話は出ていたけれど、一度も訪れたことのなかった平泉。
今年世界遺産に登録されたので、こんな時を利用しなければこれないな・・・
と思い立ち寄ることにしました。新幹線移動の途中下車は結構な出費なので勇気がいります(笑)
毛越寺といえばこの「浄土庭園」
浄土庭園とは仏の世界、すなわち浄土を地上に表現した庭のことらしい。
850年に開山し、奥州藤原氏によって造営された毛越寺。
度重なる火災で建物は焼失したが、境内全体に仏国土を表現したと伝わる浄土庭園と伽藍遺構が、
ほぼ完全な状態で今も残っている。
それらが認められ2011年世界遺産に登録されたそうです。
歴史の苦手な私も、ガイドブック片手に一生懸命見学しました
ところで誰もが不思議に思う「もうつうじ」という読み方。
通常、越という字をツウとは読みませんが、越は慣用音でオツと読みます。
それがモウオツジがモウツジになり、更にモウツウジに変化したとのことです。
これらの景観は平安時代に書かれた日本最古の庭園書である「作庭記」に基づいて作られた、
学術的にも貴重な庭園。
曲がりくねる水路の流れに、水切り、水越し、水分けなどの石組が配されています。
毛越寺の遣水(やりみず)は平安時代の唯一の遺構、全国的にも極めて珍しいものだそうです。
ここで「曲水の宴」という平安時代の遊びが今も行われます。
平泉の文化遺産は、中尊寺、毛越寺、無量光院跡、観自在王院跡、金鶏山を中心とした周辺一帯が対象です。
そしてこの5個所が世界遺産に登録されました。
平安末期の百年間に、都の文化を受容しながら独自に発展させた仏教寺院、浄土庭園などが、
華麗な黄金文化の遺産群なのだそうです。
古代から中世への過渡期の地方文化として、突出した事例であると高く評価されました。
文化遺産としては、東北で初の世界遺産登録。嬉しいことです。
全部廻るには1日ないと足りませんので、次にピンポイントに目指すはもちろん「中尊寺」
毛越寺から平泉巡回バス「るんるん」(なぜか11/6で終了)に乗り、7,8分で到着。
月見坂入口にある案内所で音声ガイドを借り、進みます。
祝日の午後とあってか、とにかくすごい人・人・人
東北でこんなに大勢の人に出会ったことないかも・・・
月見坂の地蔵堂、弁慶堂などのお堂が立ち並ぶ中、本堂へ。
そして三千点をこえる国宝・重文などが展示される「讃衡蔵(さんこうぞう)」を見学していよいよ「金色堂」へ。
撮影禁止なので写真はありません。
今更私が説明することもないのですが、金色堂の中には藤原清衡、基衡、秀衡の御遺体と、
泰衡の首級が安置されているそうです。
工芸技術の見事なこの「阿弥陀堂」は1124年に建立されたそうですが、現在の輝きは当時のものではありません。
考えてみれば当たり前なのですが、ここに来るまでピンときませんでした^▽^;
今回「讃衡蔵」の最後に設置されている「昭和大修理の記録映像」を見て初めて知りました。
スイマセン、話し長いです。
昭和の大修理(これについては家に帰ってから調べました)
金色堂は度重なる台風や風雪により痛みが激しかったが、
第二次世界大戦後、収入源であった田畑を失ってしまったため、修復など出来なかった。
代々寺を守る僧侶の佐々木実高が文部省へ修理を依頼に行くが、
中尊寺の価値が信用してもらえない。
金色堂の須弥壇には奥州藤原氏3代の遺体が納められていると説明しても、
何の骨が埋っているものやら、と相手にされなかった。
その後の学術調査で文献記述と須弥壇内の遺体が一致することが証明され、
ようやく国宝として指定される。
昭和37年、予算が下り全国から職人が集められ始まった修復作業。
だが漆の色は現代のものとは違う漆黒。しかも、塗り方も途方もなく分厚い。
金箔は青みがかった渋く重たい色だった。
「技法の謎がわからなければ修理を諦めるしかない」
職人達は一旦諦めかけたが、「遺体あってこその金色堂なのだから、
損傷が激しい部材をあえて切り刻み分析し、800年前と同じ金色堂の復元に挑もう」という行動にでた。
文化財を切り刻むなんて考えられない時代。
が、省からすれば「大事なのは金色堂であって、中にある遺体は文化財ではない」と言う。
両者のどちらが今回の修理の意味に沿うのだろうかと熟慮の結果、
遺体優先とすることを選んだ。
このとき、創建当初の金色堂の姿が復元されることが決まったそうです。
修復作業
漆職人は金色堂の漆の深みある黒色を出す為、漆を4層重ね塗り。
漆の粘り気は湿度に大きく影響されるため、800年前の平泉の湿度を調べ、
同じ状態の空間を人工的に作って作業したり・・・
螺鈿から剥がれ落ちた貝を集めておいた箱から、修復する場所にピタリ合う形を探す為、
パズルのように一枚一枚手作業で合わせていく。
剥がれ落ちて保存していた貝は約5000枚・・・いったい1日で何個貝を見つけ出せるのだろう?
金箔職人は金箔が青みがかっていることの謎を解き、
他の物質(土だったかな?)混ぜて青みがかった金箔を作り、3万枚も貼り続けた・・・等々
現代のようなコンピューターもコピー機もない時代、
型を写し取るのも薄紙一枚一枚をなぞり、同じ物を又なぞるような手作業を続けた・・・。
ここに書いたのは修復作業のごく一部。
気が遠くなるような根気のいる作業で6年かけて修理した金色堂は、
輝きを互いに映しあい、当時の極楽浄土世界を今に蘇らせた。
それが今、私が見ている「阿弥陀堂」なのでした。
現在では考えられないような緻密で根気のいる作業・・・
でも彼らが後世に守り伝えて行きたいと願ったものは「美」ではく、
心の拠りどころとしての信仰そのものだったのである・・・
というお話です(長っ)
金色堂の歴史を知らなかった私は、昭和の香りたっぷりの当時の映像を初めて見て素直に感動しました。
(間違いがあったらゴメンナサイ)
(以前プロジェクトXで放送したらしいです)
(木造の旧覆堂(重要文化財))
自分のことしか考えない、日本人としての誇りのかけらも見えない政治家や企業人が目に付く2011年。
この中尊寺大修理に限らず、昔の日本人は本当に根気よく、真面目でブレず、
誇りと信念をもった尊いお方が多かったよなぁ・・・
と今の自分達をなんだか情けなく感じたけど、同時に中尊寺の世界遺産登録はこの、
「(東北の)誇りと信仰」を持って蘇らせた本物の日本人である僧侶・職人たちの力が、
結果的に「顕著で普遍的な価値」として認めさせたのでは。
倒壊寸前の金色堂だったらはたして登録されていたのだろうか??
・・・と勝手に自分なりの解釈をしたのでした。
(松尾芭蕉像)
とか勝手なこと言いましたが・・・ホントはどうなんでしょう?芭蕉さん。
---五月雨の降のこしてや光堂---
亡くなった人たちの供養、争いのない平和な世を願い作られた中尊寺。
色んな事のあった2011年だから余計に感じるものがあります。
やっぱり今年来て良かったなぁ、と陽の傾きかけた参道を降りていきました。
東物見から見下ろす北上川。当時に思いを馳せて・・・
---夏草や兵どもが夢の跡---
またバスに乗り、新しくなったという「平泉駅」へ。
ここから一ノ関駅へ戻り、新幹線で東京へ。
来年はもっとたくさんの人に訪れて欲しいな。by岩手県宣伝斑cyu2
がんばろう東北
おしまい