カラダよろこぶろぐ

山の記録と日々の話

あまちゃんは終わったけれど

2013-09-28 | イワテケン

あの時はまさかこんな日が来るとは全く想像すらしなかった・・・。





震災の後、初めて帰った夏。三陸鉄道北リアス線は津波で線路を失い、16ある駅の2つ分しか走れなかった。



たしか、復興支援列車として100円払って乗った気がしたな。
乗る人はほんのわずかだったが、車を持たない我々にはほんとうにありがたかった。
でも、もともと赤字路線の第三セクターだったから、再建は不可能だろうと思っていた。
細々と以前から三鉄を応援してくれる人々からの支援などはあったが、程遠いものだった。
もうこの三鉄で実家へ帰ることは出来ないんだろうな・・・なんともいえない思いで乗ったあの日。



ところが翌年。




震災から一年経った24年の4月、まだ全線ではないけれど三鉄のレールが少し繋がった。
国が全額援助してくれるとのことで、まさか!本当に??すごく嬉しかったのを思い出す。



(後に見えているのはK3NSPのビル、牛駅長は”三鉄を勝手に応援する会”さんより寄贈されたもの)
あちこちから応援メッセージが届いたり・・・



なんだか今まで誰も見向きもしてくれなかった「三鉄」なのに、
TVの旅番組や復興特番で取り上げられるようになり、東京にいてもその姿を見る機会が増えて嬉しかった。



相変わらず津波で何もなくなった中を走るのは辛いけど、それでもやっぱり嬉しかったっけ。



そんな中で・・・25年の4月。




(画像は2012.11月 久慈駅)

「あまちゃん」という朝ドラで自分の第二の故郷が舞台になるなんて。
町に人が歩いているのをめったに見ない、夏のほんのちょっとの期間しか観光客の姿も見ないような、
時が止まったような町があんなに生き生きと描かれるなんて、夢にも思わなかった。
嬉しくて毎日毎日楽しみに、ひとつも見逃したくない思いで夢中で見ていた。


あまちゃんロケ地レポ  





朝ドラは毎日見ることに意味があったと痛感したこの半年間。
毎日毎日見ることで、喜怒哀楽を共にしているような、一緒に前を向いているようなそんな感じ。
ストーリーの半分程度は実話であったこともこの地を知る私にはとても面白く、そして泣けた。
小ネタ満載のクドカン脚本。
毎朝、朝あまが終わった直後からその日の小ネタや内容について、
あまちゃんファンが語りあうtwitterのなんて楽しかったこと!
明日からはもう、15分早く会社に行かなくても良くなっちゃうんだ。イノッチのうけも聞けないんだ、本当に寂しい。


ちなみにこのサントラの中で私が一番好きな曲は「希求」 何度聞いてもせつなくてたまらない・・・。
あとはやっぱり「アキの涙」と「海」と「家族」
意外と後から好きになったのは歌入りじゃない「帰郷」あれ、全然一番じゃない


今後、自分が岩手に帰る時共にする曲は「あまちゃん」以外ない!と思うくらいどの曲も思い出深い。
最終回、地元の人々をたくさん映してくれたのも嬉しかった。
こんな素晴らしいドラマと曲を作ってくれてありがとう、としみじみ思う。




※写真は2011.7月 線路が繋がって車庫に帰れる日を動かずじっと待っている三鉄車両。
(これが奇跡の車両かどうかは解りません)

あまちゃんは終わっちゃったけど、北三陸はずっと昔からあるしこれからも、ある。
まだ仮設住宅で暮らしている人もたくさんいらっしゃいます。

来年の4月には待ちに待った、三陸鉄道全線開通予定です。
いつまでも東北のこと、忘れないでいて欲しいと心から願うのです。



<過去記事>
2011.8月  2012.3月