カラダよろこぶろぐ

山の記録と日々の話

安達太良山の空の下

2015-03-11 | ヤマのこと


2015.2.28(土)~3.1(日)福島県の安達太良山へ


この冬は予定していなかった安達太良山だったが
急に行かなければならない用件が出来て 空いている日を予約して出かけて行った

この日の天気予報は曇・翌日は雨
心配していた風は収まり登山指数はBという予報だった
あだたら高原スキー場に着いたときは青空で 風もなく穏やか
ゴンドラは運休期間なので 2台のリフトを乗り継いで山頂を目指す



リフトを降りボーダーの邪魔にならない場所でワカンの支度
コースのすぐ脇の斜面からとりつき いきなりの急登でしばらく汗をかく
五葉松平まで来ると傾斜は緩む この日は気温が高く寒さを感じないほどだった




ほんとの空標識から見えるはずの山頂は真っ白




それでも天気予報は回復傾向のはずと歩き出す




だけども進むにつれ雪が舞うようになってきて

仙女平を越えたあたりから 前方が見えづらくなってきた
ここでは一度強風を経験しているので ここから上の風に備えてしっかり身支度を整える
赤テープの付いた木の雪を払いながら進んでいたけれど
まずい事にとうとう何もかも見えなくなった


ホワイトアウト


岩も木も草も音もないこの場所では 空と稜線の境なんてわかるはずもない
目を開いてるのに閉じているような 周囲はのっぺりとして何の凹凸もない世界
先に歩いていた男子二人はGPSで確認しながら登って行ったが
その姿はあっという間にミルクグレーの世界に吸い込まれ見えなくなった
もしここでリングワンデリングに陥ったら・・・と想像すると私は怖くて進めなかった

自分が歩いてきたトレースが解るギリギリのところで天候回復を待つことにした
この日はたいした風もなく気温も高かったので その場で足踏みしながら30分ほど待ってみた
寒さも限界 諦めて来た道が解るうちに下山しようかと相談していたところ
自分の視界の真ん中より上の方に ぼんやりと4人の人影が見えた
ああ、あそこが稜線なのか  でもその姿もすぐに消えた



(これはトレースを見つけた後の写真です ホワイトアウト時はピントを合わせられるものがないほど真っ白な世界です)

もしかして彷徨っているのかもしれないと大声を出してみる
何度か声をかけているうちに 向こうからも声が聞こえた
お互い声のする方に引き寄せられるように進むと 目の前7,8mのところで4人の登山者と遭遇した
やはり赤テープを見失い彷徨っていたとの事 
助かったよ ありがとう、 と言われ こちらこそ、と返す
今がチャンス、とトレースが消えないうちに山頂方面へ一気に進む私たち




この状況下でさすがに山頂を踏もうなんて余裕はなかった
分岐を今日のピークとし 小屋方面へ ほんの少しでも見えているうちに急げ急げ




山頂諦めて下山し始めると 太陽が顔を出す法則・・・




その後ぱーーっと目の前に青空が広がり 鉄山が姿を現した




自分の進む道が見えるというのは本当にありがたい
トレースも目印も全くない斜面 向こうから人が登って来るからルートがよく解る
ひとりじゃないって 本当にありがたい




木々が出てくる場所までくればもう安心




振り返ると 山頂方面うっすら晴れている
さっき登って行った彼女たちは 無事に着いたかな




小屋が見えてほっとする
さあ、早く中へ
宿願を果たすためにここに来たのだから

はやる気持ちを抑え小屋に入ると 心配していたことが的中した

今日の目的は山頂ではなく このくろがね小屋だったのに
何があっても天気が悪くてもどうしても来たかった理由があったのに
残念ながらそれを果たすことは出来なかった
張りつめていた気持ちと 抱えてきた想いが しゅーっとしぼんだ




くろがね小屋の名湯に身を沈め ぼうっと窓の外を眺めていた

2011.3.19 初めてのくろがね小屋を予約していた1週間前の3月11日 震災が起きた
ダンナの実家とも連絡がつかず毎日よく眠れず 日本中が不安に包まれていた時
食事の用意が出来ないから宿泊してもらえないんです、申し訳ない、と電話をくれた小屋番さん
ひたむきで実直な東北人 福島弁でトツトツと話す温かな声は今も耳に残っている
その翌年の3月 無事にあの日のお礼を言いに行くことが出来たっけね


山小屋には人それぞれ 求めるものがある
単なる休憩の通過点だったり 安心して山行を続けられる為の情報収集や
食事を得られる基地だったり 悪天候で駆け込めるありがたい場所であったり
疲れた体を癒してくれる 安息の場所であったり
心をも癒してくれる場所であったりもする

わたしはこのくろがね小屋に心のふれあいを求めてくる
最初は温泉目的だったけど 二人に会ってから目的が変わった
また会いたい人がいるから ここに来たいのだ



いつもと変わらずダルマストーブに灯がともり
いつもと変わらずカレーライスの夕飯が並ぶ
温かなランプの光と みんなの笑顔 いつもと何も変わらないように見える小屋
違うのは私だけ 私の気持ちだけ
会いたかった人がそこに居ない
賑やかな食堂なのに みんなの笑い声が小さく遠くに聞こえるような気がする
小屋は暖かいのに 心は温まらない なんてさびしい夜なんだろう



 翌朝




一時は星も輝いていたが 明け方からは天気予報どおり風も強くなり吹雪いてきた
会えなかったことを想定して持ってきた手紙も 渡せぬまま下山する


小屋番という仕事
4年前の震災時の小屋の運営 自分の愛するものに対する風評被害での苦労など
何年も何年も日々地道に務めてきた小屋を
自分の意志ではないところで離れなければならないのは どんな気持ちだろうか


数年に一度しか来ない 常連客でもなんでもない私だけれど
私がくろがね小屋の”人”からもらった数々の想い出
山の楽しさ厳しさ 人のほんとうの優しさとあったかさに触れ
何度でもまたここに来たいと 初めて思うことが出来た小屋
ひとこと ありがとうが言いたくて登ってきたけれど  間に合わなかった




もう会えないのかな 会えないんだろうな
いや、もう会えないと思うと悲しくてたまらないから
またいつかどこかで会えるかもしれない そう思うようにしよう
ふくしまの空と東京の空は繋がっているんだもの ねぇ そうだよね?




”会津の三泣き”という言葉がある

他の土地から来た人は
最初に会津の雪深い自然の厳しさと盆地特有の排他性に泣かされ
暮らしていくと共に人情深く、人の良い会津人に感激し泣かされ
そして 人情の深さを知った人にとって別れる事の辛さにまた泣かされる 

今日、その言葉の意味がよくわかった


3月11日とくろがね小屋は私にとって切っても切り離せない記憶
ずっと忘れることのない3月の記憶






■行程■
新宿→大宮7:58→(新幹線)郡山駅8:55 あだたら高原スキー場バス9:10→あだたら高原スキー場10:10

リフト ブルーライン(¥460)→ゴールドライン(¥460)→リフトトップ11:08→五葉松平11:45→仙女平分岐12:40→
12:55~13:42ホワイトアウトで停滞→山頂下分岐13:50→峰の辻14:10→くろがね小屋14:40

くろがね小屋7:45→奥岳登山口9:40 シャトルバス10:40→岳温泉BS11:00

岳の湯(入浴)~成駒(昼食)岳温泉BS12:50→二本松駅13:14/13:53→郡山駅14:19 郡山駅14:39(新幹線)→大宮→新宿



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