Mr.Dashのぶろぐ館

奈良・大阪・日本アルプスの山々が大好きな、Mr.Dashのブログです。

2012年4月30日(月)雨天で沢登りを断念。別子銅山の遺構を巡る

2012年05月12日 | 山にまつわるあれこれ
今朝、中国出張を終えて帰国したばかりの福山工場のイエティが
道の駅マイントピア別子で我々と合流した。

しかし、空模様は朝早くからよくなく、既に小雨が降っている。
今日は、元々は瀬場谷のひとつ東にある床鍋谷の遡行を予定していた。
気象予報を見ても好天の見込みはない。上空の乱気流を見ていると、
むしろもっと荒れるような雰囲気さえする。

ということで、わざわざ来てくれたイエティには申し訳ないが、
潔く床鍋谷は断念。
今日、何をして過ごすかが大きなテーマだが、前日までにマイントピア別子の
リサーチをしていたところ、別子銅山の遺構巡りが意外に面白そうなので
これを見に行くことになった。

ポスターには「東洋のマチュピチュ」と書かれていて、廃鉱の出入口や
索道の跡が、いい味を出している。

まず冒頭のメイン写真の説明だが、索道の停車場を下から見たところ。
まさに、マチュピチュである。

↓索道基地跡のアップ。


↓ここから銅鉱石をロープウェイで一気に下に運んでいた。


↓さらに上から見下ろすとこんな感じ。


↓輸送用トロッコ軌道が通っていた、マンプと呼ばれるトンネルの出入口


↓トンネルの中に保管されているトロッコ貨車。


↓ダイナマイト保管庫跡。万一、爆発しても被害を最小限にするため
 出入口が横向きにつけられ、爆風が崖に遮られるようになっている。


↓第3変電所跡。


↓変電所跡の内部。なかなか、レトロでおしゃれなデザイン。


↓第3通洞の入口。もちろん中には入れない。


↓第3通洞付近の沢筋で見つけたヒカゲツツジ。



このほかにも、社宅跡、インクライン跡(220段の階段となっている)、
保安本部の建物(今は観光用の銅細工の工房となっている)など
いろいろ見て回った。

別子銅山は元禄の頃から掘り始められ、住友金属のルーツでもある。
明治の末には娯楽場も建設され、歌舞伎役者がはるばるやってきて
興行したそうだ。
大正時代には、我々が尋ねた東平(とうなる)には3600名もの人が暮らし、
住友の社員が学校の先生をしていたという。

立派な歴史資料館で、いろいろな事実を知って、かなりおもしろかった。
近代遺跡や廃墟の写真を撮るのが好きなY井氏が来ていたら、
さぞかし、喜んだことだろう。

マイントピア別子には、我々は乗らなかったがSL(観光鉄道)が
走っていて、坑道の見学等もできる。

いずれ、この沢もリベンジしたいので、また来ることもあるかもしれない。

この夜は、イエティのこだわりで地元の酒蔵を探訪し、
成龍酒造さんで「賀儀屋 無濾過 純米」などを購入。
石鎚山ハイウェイオアシスのキャンプ場で宴会・幕営した。
芝生のテントサイトは、じつに寝心地が良かった。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2012年4月29日(日)愛媛・瀬... | トップ | 2012年5月1日(火)天候回復... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

山にまつわるあれこれ」カテゴリの最新記事