■メイン写真
金山の山頂部にある奇岩「鬼の架け橋」
■今回のコース
金山登山者用駐車場→鐘ヶ坂明治トンネル→西瓶割峠→鐘ヶ坂峠→金山→鬼の架け橋→
圓林寺跡→NHKアンテナの分岐→大乗寺→追手神社→山野草群落→金山登山者用駐車場
2年ぶりに、M社の登山ツアーで、丹波の金山をガイドしてきた。
冷え込んだ一日で、山に入るとうっすらと雪化粧がみられたが、アイゼンを使用する
ほどではなかった。
山頂では青空が広がって展望を楽しめたのはよかった。また、下山後にはスプリング・
エフェメラル(春の妖精)と呼ばれる花々に癒された。
金山登山者用駐車場をスタート、まずは鐘ヶ坂明治トンネルに寄ってみる。
レンガ積み構造のトンネルとしては日本最古で、自動車用トンネルとしても日本で
5番目に古いそうだ。
少し入ったところに柵があり、向こうには抜けられない。
鐘ヶ坂峠には、この他に昭和トンネル(通行不可)、現在利用できる平成トンネルの
3本のトンネルがある。
もとの道に戻り、獣除けゲートを開けて、「テンプルコース」に入る。
この道は江戸時代の本街道で、播磨の圓教寺や清水寺から、丹後の成相寺に
向かう巡礼道として使われてきたという。
江戸時代中期にはお金持ちの寄付によって、より歩きやすいように改修されたという
だけあって、歩きやすい道だ。
そのまま西瓶割峠に登りつく。
瓶割峠(かめわりとうげ)の名は、商人が立杭焼の瓶や壺を背負ってこの峠を越えるときに、
よく割れてしまったことに由来するという。
はじめ「分水界の径」の尾根道を進み、途中で南へ延びる尾根道をとって鐘ヶ坂峠へ。
峠に下りるところが少し急になっていて注意を要する。
426.4m四等三角点ピークに立ち寄る。この日、初めての展望が楽しめる。
「分水界の径」が通る譲葉山が正面に見える。
自然の地形を生かした山城特有だが、山頂直下にちょっとした急登がある。
これをしのぐと、金山の山頂だ。
織田信長に丹波攻めを命ぜられた、明智光秀が、敵方の八上城と黒井城の連携を
断つために、ここに砦を築いたのだ。ここからは黒井城跡も眺められる。
(写真は逆サイド、南側の展望)
そして、山頂直下にあるのは、お待ちかね、奇岩の名所「鬼の架け橋」だ。
風化に強い灰色珪岩(変成岩)でできていて、1449年の丹波地震でできたとの記録が
あるという。
浮世絵師・安藤広重が、「六十余州名所図録」で描いたと知られる。
橋の下から、譲葉山を覗いてみた。
下山は、南へ続く尾根道をたどる。
ほどなく現れる圓林寺跡。
明治末期から大正時代は尼寺として栄え、修行が近くの滝場で行われたという。
追入神社への分岐にはNHKアンテナが立ち、大山荘が見下ろせる。
大山荘は、もと藤原氏の荘園だったが、のちに京都の東寺の所有になる。
これは、空海が創立した日本最古の私学「綜芸種智院」を空海の死後に売却し、
その資金で買ったものだそうだ。
歩きやすい登山道をひたすら下り、大乗寺の山門へ。かつてのこの寺の隆盛を物語る。
大乗寺は、もとは金山の山頂にあり、十二坊を数えた天台宗の名刹で、熊野修験道の
丹波における拠点だったという。やはり丹波地震で全壊し、現在地に再建された。
明智光秀の丹波攻めで焼失し、1597年、現在地に再建されたともいわれる。
登山は終了、最後に追手神社に寄る。
境内には巨大な「千年モミ」が立つ。樹高35.58m、幹周7.68m。国の指定天然記念物だ。
このほか推定樹齢350年の夫婦イチョウがある。
惜しいことにエゾエノキ(樹高30m、幹周4.9m)は、枯れたのか、切られてしまった。
境内近くに咲いていたユキワリイチゲ。全体的には、まだまだこれから。
集落の裏手にたくさん咲いていたのはセリバオウレン。リュウノヒゲの実も美しかった。
セツブンソウは、まさに今がピークといった感じ。
そのほかは、アズマイチゲ(あともう少し)、キクザキイチゲ(もうすぐ)、
ニリンソウ、イチリンソウ、キバナノアマナ(全然これから)。
これから4月まで、ここには入れ替わり、いろんな花が咲いていくのだ。
金山の山頂部にある奇岩「鬼の架け橋」
■今回のコース
金山登山者用駐車場→鐘ヶ坂明治トンネル→西瓶割峠→鐘ヶ坂峠→金山→鬼の架け橋→
圓林寺跡→NHKアンテナの分岐→大乗寺→追手神社→山野草群落→金山登山者用駐車場
2年ぶりに、M社の登山ツアーで、丹波の金山をガイドしてきた。
冷え込んだ一日で、山に入るとうっすらと雪化粧がみられたが、アイゼンを使用する
ほどではなかった。
山頂では青空が広がって展望を楽しめたのはよかった。また、下山後にはスプリング・
エフェメラル(春の妖精)と呼ばれる花々に癒された。
金山登山者用駐車場をスタート、まずは鐘ヶ坂明治トンネルに寄ってみる。
レンガ積み構造のトンネルとしては日本最古で、自動車用トンネルとしても日本で
5番目に古いそうだ。
少し入ったところに柵があり、向こうには抜けられない。
鐘ヶ坂峠には、この他に昭和トンネル(通行不可)、現在利用できる平成トンネルの
3本のトンネルがある。
もとの道に戻り、獣除けゲートを開けて、「テンプルコース」に入る。
この道は江戸時代の本街道で、播磨の圓教寺や清水寺から、丹後の成相寺に
向かう巡礼道として使われてきたという。
江戸時代中期にはお金持ちの寄付によって、より歩きやすいように改修されたという
だけあって、歩きやすい道だ。
そのまま西瓶割峠に登りつく。
瓶割峠(かめわりとうげ)の名は、商人が立杭焼の瓶や壺を背負ってこの峠を越えるときに、
よく割れてしまったことに由来するという。
はじめ「分水界の径」の尾根道を進み、途中で南へ延びる尾根道をとって鐘ヶ坂峠へ。
峠に下りるところが少し急になっていて注意を要する。
426.4m四等三角点ピークに立ち寄る。この日、初めての展望が楽しめる。
「分水界の径」が通る譲葉山が正面に見える。
自然の地形を生かした山城特有だが、山頂直下にちょっとした急登がある。
これをしのぐと、金山の山頂だ。
織田信長に丹波攻めを命ぜられた、明智光秀が、敵方の八上城と黒井城の連携を
断つために、ここに砦を築いたのだ。ここからは黒井城跡も眺められる。
(写真は逆サイド、南側の展望)
そして、山頂直下にあるのは、お待ちかね、奇岩の名所「鬼の架け橋」だ。
風化に強い灰色珪岩(変成岩)でできていて、1449年の丹波地震でできたとの記録が
あるという。
浮世絵師・安藤広重が、「六十余州名所図録」で描いたと知られる。
橋の下から、譲葉山を覗いてみた。
下山は、南へ続く尾根道をたどる。
ほどなく現れる圓林寺跡。
明治末期から大正時代は尼寺として栄え、修行が近くの滝場で行われたという。
追入神社への分岐にはNHKアンテナが立ち、大山荘が見下ろせる。
大山荘は、もと藤原氏の荘園だったが、のちに京都の東寺の所有になる。
これは、空海が創立した日本最古の私学「綜芸種智院」を空海の死後に売却し、
その資金で買ったものだそうだ。
歩きやすい登山道をひたすら下り、大乗寺の山門へ。かつてのこの寺の隆盛を物語る。
大乗寺は、もとは金山の山頂にあり、十二坊を数えた天台宗の名刹で、熊野修験道の
丹波における拠点だったという。やはり丹波地震で全壊し、現在地に再建された。
明智光秀の丹波攻めで焼失し、1597年、現在地に再建されたともいわれる。
登山は終了、最後に追手神社に寄る。
境内には巨大な「千年モミ」が立つ。樹高35.58m、幹周7.68m。国の指定天然記念物だ。
このほか推定樹齢350年の夫婦イチョウがある。
惜しいことにエゾエノキ(樹高30m、幹周4.9m)は、枯れたのか、切られてしまった。
境内近くに咲いていたユキワリイチゲ。全体的には、まだまだこれから。
集落の裏手にたくさん咲いていたのはセリバオウレン。リュウノヒゲの実も美しかった。
セツブンソウは、まさに今がピークといった感じ。
そのほかは、アズマイチゲ(あともう少し)、キクザキイチゲ(もうすぐ)、
ニリンソウ、イチリンソウ、キバナノアマナ(全然これから)。
これから4月まで、ここには入れ替わり、いろんな花が咲いていくのだ。