■メイン写真
小富士山の山頂から、仁寿山(右手前)と御旅山(左奥)を展望する
■今回のコース
麻生八幡宮→鐘掛岩→華厳寺(小富士山、麻生山)→奥山分岐→仁寿山→御旅山→妻鹿駅
今月のらくらく山歩の会で、姫路の低山3峰をミニ縦走してきた。
ぽかぽか陽気だが黄砂の影響で、少しもや~とした中、瀬戸内海や姫路城を遠望し、
山桜やツツジを楽しみながら、心地よいお山歩が楽しめた。
スタートは麻生(あさお)八幡宮。
この近辺ではかなり古い部類の神社だそうで、八幡三神(仲哀天皇、神功皇后、応神天皇)が
祀られている。
きれいな三角形の小富士山(麻生山)。標高わずか173mの頂上をめざす。
播磨の低山らしい岩盤の道だ。
鎖が一本下がった鐘掛岩。
「鐘掛岩」の名で分かるように、この山もかつては修験の山だった。
鎖を登るわけではなく、登山道は岩を右から巻いているので初心者でも問題ない。
すぐ上には役行者像がある。
鐘掛岩の上には、直径2mほどの池があり、不動明王像が立つ。
こんなところに水が湧いていること自体が不思議である。
ほどなくして小富士山の山頂に着く。山頂部は広くならされ、北端に華厳寺が建ち、
役行者が祀られている。聖武天皇勅願と伝えられる古刹だが荒れ始めている。
明治の神仏分離令が出るまでは、華厳寺は麻生八幡宮の宮寺(奥の院)であり、
神仏混交の一体のような存在だったそうだ。
南側は広場のようになっている。瀬戸内海が見渡せて気持ちいい。
この山には神功皇后にまつわる伝説がある。皇后の朝鮮出兵の際、ここで戦勝祈願した。
弓で地を叩くと、たちまち麻が生え、これで弦を作ったというものだ。
それで麻生山の名がある。
北西には姫路城と書写山が見える。低山なのになかなかの眺望だ。
西側へ下る道はやや急で滑りやすい箇所もあるが、いかんせん距離は短い。
最低鞍部に近いところで道の右側に岩の隙間が見えたので覗いたら古墳の石室だった。
このたあたり北側の山麓は阿保百穴古墳群といい、多数の小規模古墳が薮に埋もれている。
東阿保への分岐を過ぎて登りに転じ、電波塔の管理道を横断してなおも急坂を登ると
電波塔が林立する仁寿山に到着する。三角点はNHKの電波塔の前だ。
なお仁寿山の由来だが、江戸時代後期、南側の奥山集落に、仁壽山黌(じんじゅさんこう)と
いう私塾があった。姫路藩家老を務めた河合道臣が後進を指導したもので、仁寿山西麓
には河合家の墓所も残る。
それまで幡下山と呼ばれていたが、道臣が「仁寿山」と改名した。
頼山陽も講師を務めたこともあるといい、尊皇攘夷論者が多く輩出されたそうだ。
仁寿山の西端の反射板のところから下る。ミツバツツジがもう咲いている。
姫路バイパスを渡る橋のたもとに、山桜ももう咲いていた。早いなあ。
北原の集落を抜け、最後のピーク、御旅山へと登っていく。
雑木林の遊歩道を上り、標高133mの頂へ。この山も絶景が魅力だ。
高い樹がない山頂には三角点とあずま屋がある。
姫路城もずいぶん近く見える。
南側斜面は2013年に山火事があり、焦げた立ち枯れの木がまだ痛々しく残る。
松原八幡宮に下りてきた。ここには公衆トイレもある。
あとは妻鹿駅までもう少しだ。
実はこの日、6歳の男の子も参加し、約6km強、3つのピークを完歩。
途中でこけてくじけそうになっても泣かずにがんばれた。えらいゾ。今後が楽しみだ!
小富士山の山頂から、仁寿山(右手前)と御旅山(左奥)を展望する
■今回のコース
麻生八幡宮→鐘掛岩→華厳寺(小富士山、麻生山)→奥山分岐→仁寿山→御旅山→妻鹿駅
今月のらくらく山歩の会で、姫路の低山3峰をミニ縦走してきた。
ぽかぽか陽気だが黄砂の影響で、少しもや~とした中、瀬戸内海や姫路城を遠望し、
山桜やツツジを楽しみながら、心地よいお山歩が楽しめた。
スタートは麻生(あさお)八幡宮。
この近辺ではかなり古い部類の神社だそうで、八幡三神(仲哀天皇、神功皇后、応神天皇)が
祀られている。
きれいな三角形の小富士山(麻生山)。標高わずか173mの頂上をめざす。
播磨の低山らしい岩盤の道だ。
鎖が一本下がった鐘掛岩。
「鐘掛岩」の名で分かるように、この山もかつては修験の山だった。
鎖を登るわけではなく、登山道は岩を右から巻いているので初心者でも問題ない。
すぐ上には役行者像がある。
鐘掛岩の上には、直径2mほどの池があり、不動明王像が立つ。
こんなところに水が湧いていること自体が不思議である。
ほどなくして小富士山の山頂に着く。山頂部は広くならされ、北端に華厳寺が建ち、
役行者が祀られている。聖武天皇勅願と伝えられる古刹だが荒れ始めている。
明治の神仏分離令が出るまでは、華厳寺は麻生八幡宮の宮寺(奥の院)であり、
神仏混交の一体のような存在だったそうだ。
南側は広場のようになっている。瀬戸内海が見渡せて気持ちいい。
この山には神功皇后にまつわる伝説がある。皇后の朝鮮出兵の際、ここで戦勝祈願した。
弓で地を叩くと、たちまち麻が生え、これで弦を作ったというものだ。
それで麻生山の名がある。
北西には姫路城と書写山が見える。低山なのになかなかの眺望だ。
西側へ下る道はやや急で滑りやすい箇所もあるが、いかんせん距離は短い。
最低鞍部に近いところで道の右側に岩の隙間が見えたので覗いたら古墳の石室だった。
このたあたり北側の山麓は阿保百穴古墳群といい、多数の小規模古墳が薮に埋もれている。
東阿保への分岐を過ぎて登りに転じ、電波塔の管理道を横断してなおも急坂を登ると
電波塔が林立する仁寿山に到着する。三角点はNHKの電波塔の前だ。
なお仁寿山の由来だが、江戸時代後期、南側の奥山集落に、仁壽山黌(じんじゅさんこう)と
いう私塾があった。姫路藩家老を務めた河合道臣が後進を指導したもので、仁寿山西麓
には河合家の墓所も残る。
それまで幡下山と呼ばれていたが、道臣が「仁寿山」と改名した。
頼山陽も講師を務めたこともあるといい、尊皇攘夷論者が多く輩出されたそうだ。
仁寿山の西端の反射板のところから下る。ミツバツツジがもう咲いている。
姫路バイパスを渡る橋のたもとに、山桜ももう咲いていた。早いなあ。
北原の集落を抜け、最後のピーク、御旅山へと登っていく。
雑木林の遊歩道を上り、標高133mの頂へ。この山も絶景が魅力だ。
高い樹がない山頂には三角点とあずま屋がある。
姫路城もずいぶん近く見える。
南側斜面は2013年に山火事があり、焦げた立ち枯れの木がまだ痛々しく残る。
松原八幡宮に下りてきた。ここには公衆トイレもある。
あとは妻鹿駅までもう少しだ。
実はこの日、6歳の男の子も参加し、約6km強、3つのピークを完歩。
途中でこけてくじけそうになっても泣かずにがんばれた。えらいゾ。今後が楽しみだ!