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ジャンクションピークの易老岳から、空身で光岳をめざす。三吉平から静高平までの涸れた沢沿いのダラダラ坂は、直射日光が容赦なく降り注ぎ、暑くて暑くて仕方なかった。静高平の水場は完全に乾いていた。
広い草原(元々は湿原か?)の中央に、木道が見えた。日本庭園のような光景だ。光小屋がその奥にたたずむ[写真]。10時5分、光小屋着。長居は無用。慌しく山頂へ向かう。山頂では、この山で日本百名山を完全踏破を迎えたというおじさんが、満足そうに記念写真を撮っていた。日本百名山は、個人的には、それに縛られた登山はしたくない。むしろ、自分なりのベスト百山(ルートも指定)を、常に入れ替えていくような、そういう登山がしたい。
しかし、完全踏破した人については、その偉業は、ひたすら称えたい。時間も費用も体力も、相当、費やさないと実現できないからだ。強い意志も不可欠である。このおじさんは、次の目標をどこに置くかは聞かなかったが、200、300名山と、「下」を目指すのか、セブンサミッツを制覇するような「上」を目指すのか、いずれにせよずっとお元気で頑張っていただきたいと思う。
光岳の三角点から10mほど先に進むと、展望が開けている。山名の由来ともなった白い光岩が、ちょうど太陽の光を受けて輝いていた。光小屋に戻り、ランチタイムとする。茶臼岳で朝日を撮影している間に抜いていったツアーの大パーティに、いつしか追いついていた。彼らは、高齢ではあるが、我々と同じくこのまま易老岳経由、易老渡へ下山する。というより、「彼らが下山できるなら、我々も行けるはず」と言ったのはサワヤカY澤氏であったので、我々が真似をしただけなのだが。
易老岳までは暑い、しんどいだけの帰り道。空身同然なのが唯一の救い。そして易老岳でデポしたザックを回収。ズシッと重く感じる背中。ここから3時間の長い長い下り坂だ。
広い草原(元々は湿原か?)の中央に、木道が見えた。日本庭園のような光景だ。光小屋がその奥にたたずむ[写真]。10時5分、光小屋着。長居は無用。慌しく山頂へ向かう。山頂では、この山で日本百名山を完全踏破を迎えたというおじさんが、満足そうに記念写真を撮っていた。日本百名山は、個人的には、それに縛られた登山はしたくない。むしろ、自分なりのベスト百山(ルートも指定)を、常に入れ替えていくような、そういう登山がしたい。
しかし、完全踏破した人については、その偉業は、ひたすら称えたい。時間も費用も体力も、相当、費やさないと実現できないからだ。強い意志も不可欠である。このおじさんは、次の目標をどこに置くかは聞かなかったが、200、300名山と、「下」を目指すのか、セブンサミッツを制覇するような「上」を目指すのか、いずれにせよずっとお元気で頑張っていただきたいと思う。
光岳の三角点から10mほど先に進むと、展望が開けている。山名の由来ともなった白い光岩が、ちょうど太陽の光を受けて輝いていた。光小屋に戻り、ランチタイムとする。茶臼岳で朝日を撮影している間に抜いていったツアーの大パーティに、いつしか追いついていた。彼らは、高齢ではあるが、我々と同じくこのまま易老岳経由、易老渡へ下山する。というより、「彼らが下山できるなら、我々も行けるはず」と言ったのはサワヤカY澤氏であったので、我々が真似をしただけなのだが。
易老岳までは暑い、しんどいだけの帰り道。空身同然なのが唯一の救い。そして易老岳でデポしたザックを回収。ズシッと重く感じる背中。ここから3時間の長い長い下り坂だ。