■メイン写真
三郎ヶ岳の山頂から住塚山方面を望む
■今回のコース
高井⇒仏隆寺(駐車)→小峠→高城山→三郎ヶ岳→岩根の石仏→明開寺奥の院→
伊勢本街道出合→諸木野(牛繋ぎの桜)→小峠→仏隆寺
1998年4月以来、18年ぶりに三郎ヶ岳に登ってきた。
あの時は、ちょうど仏隆寺の千年桜が満開だった。
この日はシーズンオフの、しかも平日ということもあり、ハイカーは
我々(Mr.Dash、O田さん、きっしー)のみ。
仏隆寺は、大和茶の発祥の地と伝わる。参道には茶ノ木が植わる。
スタートして早々に、赤埴城址(あかばね)の601.5m三角点に寄る。
曲輪や土塁の跡が残る。石垣や建物はない。
「宇陀7人衆」と呼ばれた南北朝時代の地元の豪族、赤埴氏の居城だったという。
南朝側に見方していたそうだ。
児玉神社。「こだま」は木霊に由来するのかな?
小峠が、高城山への登山口。
面白いのは、仏隆寺からずっと、標識には「高城岳」と記されていること。
どっちが正しい?
初めは幅広の作業林道だが、ほどなく左の木製階段の山道をとる。
ヒノキ林を抜け、やがて雑木林の中を登る。
高城山直下は、鎖が付けられた急坂だが、登山道そのものは歩きやすい。
高城山の小祠前からは、白髪岳、大峰山系主峰、龍門山塊、金剛山地、
伊奈佐山、鳥見山などが一望できる。
大峰山系主峰はうっすら白い。
15mほど東に休憩舎がある。雨でも安心だ。
稜線を先にたどる。小ピークを越え、作業林道が左から迫る鞍部から
笹薮のブッシュの急登をこなすと、右に見晴らしの良い岩場がある。
ここからは、南側の袴ヶ岳の鋭峰が印象的だ。
ちょっと微妙な岩場を場にバランスよく過ぎると、短い急登となる。
一気に、三郎ヶ岳の山頂に出る。
この山の読み方は、「さむろがたけ」だったが、最近は「さぶろうがたけ」が
優勢になってきているようだ。
井足(いだに)集落の奥にある井足岳の読み方が「いたりだけ」で通っているが、
井足(いだに)は地元の古い豪族の名でもあり、地形図にも「いだに」と
わざわざルビが打ってある。
「さむろ」「さぶろう」も、同様の例ではないだろうか。
いずれにせよ地名は正しく呼んでみたいもので、正解が知りたい。
三郎ヶ岳の名前であるが、倶留尊山が「太郎山」、住塚山が「次郎山」、
そして、ここが「三郎山」だったそうだが、これも確証がほしい。
三郎ヶ岳から鎖付きの急坂をしばらく慎重に下る。
鞍部に立つ標識に従い左へ。そこが岩根の石仏群だ。
お地蔵さん、11面観音、日蓮像、そして石割の開拓者?の磨崖像がある。
そのすぐ下に、明開寺の奥の院がある。
麓の石割集落は明治時代に開拓されたそうで、だから「明」「開」寺か。
大工仕事を学んだことがあるO田氏は、このお堂の作りを見て、
なかなかしっかりしていると評価。
内牧地区の町づくり協議会の寺による立派な標識に従い、沢沿いの道を
ひたすら下ると、伊勢本街道に出合う。
ここからは林道を歩き、諸木野へ下る。
集落の上手にあるのが愛宕神社で、祠の裏に「神武天皇遥拝所」の碑がある。
神武さん、こんなところにも来られたのかと感心。
ここからは植林がなければ大和盆地が見えそうだ。
牛繋ぎの一本桜を見て、もとの小峠を経て、仏隆寺に戻った。
ゆったり歩いて5時間のハイキング、見どころ豊富で、かなりおすすめ。
いつもながら手前勝手なハイキングにお付き合いいただいた
O田さん、きっしーに感謝。
三郎ヶ岳の山頂から住塚山方面を望む
■今回のコース
高井⇒仏隆寺(駐車)→小峠→高城山→三郎ヶ岳→岩根の石仏→明開寺奥の院→
伊勢本街道出合→諸木野(牛繋ぎの桜)→小峠→仏隆寺
1998年4月以来、18年ぶりに三郎ヶ岳に登ってきた。
あの時は、ちょうど仏隆寺の千年桜が満開だった。
この日はシーズンオフの、しかも平日ということもあり、ハイカーは
我々(Mr.Dash、O田さん、きっしー)のみ。
仏隆寺は、大和茶の発祥の地と伝わる。参道には茶ノ木が植わる。
スタートして早々に、赤埴城址(あかばね)の601.5m三角点に寄る。
曲輪や土塁の跡が残る。石垣や建物はない。
「宇陀7人衆」と呼ばれた南北朝時代の地元の豪族、赤埴氏の居城だったという。
南朝側に見方していたそうだ。
児玉神社。「こだま」は木霊に由来するのかな?
小峠が、高城山への登山口。
面白いのは、仏隆寺からずっと、標識には「高城岳」と記されていること。
どっちが正しい?
初めは幅広の作業林道だが、ほどなく左の木製階段の山道をとる。
ヒノキ林を抜け、やがて雑木林の中を登る。
高城山直下は、鎖が付けられた急坂だが、登山道そのものは歩きやすい。
高城山の小祠前からは、白髪岳、大峰山系主峰、龍門山塊、金剛山地、
伊奈佐山、鳥見山などが一望できる。
大峰山系主峰はうっすら白い。
15mほど東に休憩舎がある。雨でも安心だ。
稜線を先にたどる。小ピークを越え、作業林道が左から迫る鞍部から
笹薮のブッシュの急登をこなすと、右に見晴らしの良い岩場がある。
ここからは、南側の袴ヶ岳の鋭峰が印象的だ。
ちょっと微妙な岩場を場にバランスよく過ぎると、短い急登となる。
一気に、三郎ヶ岳の山頂に出る。
この山の読み方は、「さむろがたけ」だったが、最近は「さぶろうがたけ」が
優勢になってきているようだ。
井足(いだに)集落の奥にある井足岳の読み方が「いたりだけ」で通っているが、
井足(いだに)は地元の古い豪族の名でもあり、地形図にも「いだに」と
わざわざルビが打ってある。
「さむろ」「さぶろう」も、同様の例ではないだろうか。
いずれにせよ地名は正しく呼んでみたいもので、正解が知りたい。
三郎ヶ岳の名前であるが、倶留尊山が「太郎山」、住塚山が「次郎山」、
そして、ここが「三郎山」だったそうだが、これも確証がほしい。
三郎ヶ岳から鎖付きの急坂をしばらく慎重に下る。
鞍部に立つ標識に従い左へ。そこが岩根の石仏群だ。
お地蔵さん、11面観音、日蓮像、そして石割の開拓者?の磨崖像がある。
そのすぐ下に、明開寺の奥の院がある。
麓の石割集落は明治時代に開拓されたそうで、だから「明」「開」寺か。
大工仕事を学んだことがあるO田氏は、このお堂の作りを見て、
なかなかしっかりしていると評価。
内牧地区の町づくり協議会の寺による立派な標識に従い、沢沿いの道を
ひたすら下ると、伊勢本街道に出合う。
ここからは林道を歩き、諸木野へ下る。
集落の上手にあるのが愛宕神社で、祠の裏に「神武天皇遥拝所」の碑がある。
神武さん、こんなところにも来られたのかと感心。
ここからは植林がなければ大和盆地が見えそうだ。
牛繋ぎの一本桜を見て、もとの小峠を経て、仏隆寺に戻った。
ゆったり歩いて5時間のハイキング、見どころ豊富で、かなりおすすめ。
いつもながら手前勝手なハイキングにお付き合いいただいた
O田さん、きっしーに感謝。