前日とはうって変わって見事な青空。無理して起きてよかった。
今日は久々に、お菊山から大阪湾を眺めに行く。
高速を飛ばして、上之郷ICで下り、節分行事の準備をしている意賀美神社で撮影。
新滝ノ池の車止め手前の駐車場へ。既に結構、車がたくさん停まっていた。
足ごしらえをして、車止めから遊歩道に入る。ジョギングを楽しむ人が多い。
間もなく左に公衆トイレがある。
芝生のところでは、本格ラジコンに興じる人たち。バギータイプのラジコン車が軽快に走る。
滝ノ池を過ぎ、大山分岐を右に。ほどなく火の用心の看板のところで林道をはずれ、
右の山道へ。急坂を一気に尾根に取り付く。
所々、展望が開けた、明るい尾根道だ。振り向けば大阪湾に関空が浮かぶ。
稜線を忠実にたどれば、鉄塔に行き着く。鉄塔の真下をくぐり、次の鉄塔下へ。
さらに西進すれば、左に踏み跡が分かれる。お菊山三角点への道である。
三角点に寄り道するが、ここは眺めもなく、元の稜線に戻るのみ。
向こうからオフロードバイクの2人連れが来る。ここもか!
彼らは轍を作りつつ、我々を路肩によけさせて、通り過ぎる。
臭い排気ガスが登山道に残る。どうも、こうした人種にはなじめない。
今日も露骨に腕組みして、睨みつけてしまった。
大阪の山を、これ以上、痛めつけないで欲しい。
昭和池への分岐を過ぎれば、お菊松のピークだ。
まだ若い、新代のマツも、Mr.Dashの身長を超えるまでになった。
お菊松からも大阪湾の眺めは素晴らしい。
この近辺を散歩するのが趣味というおじさんが、「高倉林道からもっと広い景色が見える」と親切に教えてくれる。
ここでちょうど正午。昼食にする。
タンタン麺は辛くて美味かったが、このあと腹をこわしてしまった。
堀河ダムへの分岐を見送ればすぐに高倉林道への分岐。
時間的には、このまま高倉林道へ出て、蓮信寺、金熊寺、四ツ石山、山中渓と
抜けてもよかったが、なんだか体が疲れているので、今日はこのまま北の畔ノ谷に
下りることにした。
マウンテンバイク練習場の脇を過ぎる。ここは遊んでもらっても構わないところ。
しばらくすると右手の金網の向こうに、迷彩服に身を固め、モデルガンを持った集団に遭遇した。
この界隈は、なかなかユニークな人たちが棲息する。
右に2車線の立派な林道が分岐する。昔は車止めしてあった。
ここを曲がると、のどかな、のどかなミカン畑の風景が広がる。
軽トラックが時速2キロほどで、のんびり走り抜けていく。
阪和自動車道をくぐる手前で、欄干に張り紙をみつけた。
細い川を隔てた向こうの山を長老山というらしい。
聞いたことがない山だ。地形図を見ると、そんなに距離はなさそうだ。
ぜひ、行ってみたい。
鉄網の橋を渡り、石の常夜灯の右手から、薄い踏み跡とテープをたどる。
暗い涸れ沢沿いの山道。荒れている。
すぐにロープが出てくる。急な谷筋を一気に直登させるようで、結局、ロープは
山頂直下までずっとついていた。
それに両手でゴボウ状態になって頼らねば、ずり落ちてしまいそうなくらいの急坂だ。
山頂には、道覚長老の石碑があった。三角点や山名表示板などはない。
北側が開けていて、関空が目の前に見えた。
先ほどの欄干の張り紙によれば、道覚は、応永2年(1395年)の昔、
新家にやってきて三論宗を開き、浄福寺(当時の宝治寺)を創建したという。
隠居後にこの山の山頂に住み、宝治寺から食事のときを告げる鐘が鳴ると、
長老は大声で応えたという。
道覚長老の死後、文安4年(1447年)から、彼を偲び、旧暦の7月になると
「火上げの行事」を行い、最後の15日に「長老のフロフロまた来年ござれ」と
唱え、村人達は火を点して山に登った。この行事は明治になるまで400年
続いたという。
ひょんなことで、地元の人みぞ知る山に登ることができ、ラッキーだった。
あとは車道をたどり、車を回収する。
帰りに新調なった岸和田サービスエリアで土産物を物色。
結局、買わなかったが、紀州や岸和田の名産が充実していて面白かった。
今日は久々に、お菊山から大阪湾を眺めに行く。
高速を飛ばして、上之郷ICで下り、節分行事の準備をしている意賀美神社で撮影。
新滝ノ池の車止め手前の駐車場へ。既に結構、車がたくさん停まっていた。
足ごしらえをして、車止めから遊歩道に入る。ジョギングを楽しむ人が多い。
間もなく左に公衆トイレがある。
芝生のところでは、本格ラジコンに興じる人たち。バギータイプのラジコン車が軽快に走る。
滝ノ池を過ぎ、大山分岐を右に。ほどなく火の用心の看板のところで林道をはずれ、
右の山道へ。急坂を一気に尾根に取り付く。
所々、展望が開けた、明るい尾根道だ。振り向けば大阪湾に関空が浮かぶ。
稜線を忠実にたどれば、鉄塔に行き着く。鉄塔の真下をくぐり、次の鉄塔下へ。
さらに西進すれば、左に踏み跡が分かれる。お菊山三角点への道である。
三角点に寄り道するが、ここは眺めもなく、元の稜線に戻るのみ。
向こうからオフロードバイクの2人連れが来る。ここもか!
彼らは轍を作りつつ、我々を路肩によけさせて、通り過ぎる。
臭い排気ガスが登山道に残る。どうも、こうした人種にはなじめない。
今日も露骨に腕組みして、睨みつけてしまった。
大阪の山を、これ以上、痛めつけないで欲しい。
昭和池への分岐を過ぎれば、お菊松のピークだ。
まだ若い、新代のマツも、Mr.Dashの身長を超えるまでになった。
お菊松からも大阪湾の眺めは素晴らしい。
この近辺を散歩するのが趣味というおじさんが、「高倉林道からもっと広い景色が見える」と親切に教えてくれる。
ここでちょうど正午。昼食にする。
タンタン麺は辛くて美味かったが、このあと腹をこわしてしまった。
堀河ダムへの分岐を見送ればすぐに高倉林道への分岐。
時間的には、このまま高倉林道へ出て、蓮信寺、金熊寺、四ツ石山、山中渓と
抜けてもよかったが、なんだか体が疲れているので、今日はこのまま北の畔ノ谷に
下りることにした。
マウンテンバイク練習場の脇を過ぎる。ここは遊んでもらっても構わないところ。
しばらくすると右手の金網の向こうに、迷彩服に身を固め、モデルガンを持った集団に遭遇した。
この界隈は、なかなかユニークな人たちが棲息する。
右に2車線の立派な林道が分岐する。昔は車止めしてあった。
ここを曲がると、のどかな、のどかなミカン畑の風景が広がる。
軽トラックが時速2キロほどで、のんびり走り抜けていく。
阪和自動車道をくぐる手前で、欄干に張り紙をみつけた。
細い川を隔てた向こうの山を長老山というらしい。
聞いたことがない山だ。地形図を見ると、そんなに距離はなさそうだ。
ぜひ、行ってみたい。
鉄網の橋を渡り、石の常夜灯の右手から、薄い踏み跡とテープをたどる。
暗い涸れ沢沿いの山道。荒れている。
すぐにロープが出てくる。急な谷筋を一気に直登させるようで、結局、ロープは
山頂直下までずっとついていた。
それに両手でゴボウ状態になって頼らねば、ずり落ちてしまいそうなくらいの急坂だ。
山頂には、道覚長老の石碑があった。三角点や山名表示板などはない。
北側が開けていて、関空が目の前に見えた。
先ほどの欄干の張り紙によれば、道覚は、応永2年(1395年)の昔、
新家にやってきて三論宗を開き、浄福寺(当時の宝治寺)を創建したという。
隠居後にこの山の山頂に住み、宝治寺から食事のときを告げる鐘が鳴ると、
長老は大声で応えたという。
道覚長老の死後、文安4年(1447年)から、彼を偲び、旧暦の7月になると
「火上げの行事」を行い、最後の15日に「長老のフロフロまた来年ござれ」と
唱え、村人達は火を点して山に登った。この行事は明治になるまで400年
続いたという。
ひょんなことで、地元の人みぞ知る山に登ることができ、ラッキーだった。
あとは車道をたどり、車を回収する。
帰りに新調なった岸和田サービスエリアで土産物を物色。
結局、買わなかったが、紀州や岸和田の名産が充実していて面白かった。