MY LIFE AS A FOOTBALL

ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

オシムさん、さようなら

2022年05月02日 | 木曜日のボール

オシムさんが亡くなった。

今でも、どうしても思ってしまう。
あの先が見たかったなあ と。
指揮を続けた先にあるはずだった2010年の南アフリカ大会を。


「オシムって言っちゃったねぇ」から始まり、
最初の試合、代表に招集したメンバーは13人!

鬼神だから優勝しても胴上げは拒否。
でも鬼神のくせに、味方のPKは見られない。下を向いて耳をふさぐ。
それがPK戦ともなれば、とんずらする^^






オシムさん関連のYouTubeには、愛があふれかえっている。
こんなにも称えられ敬われ、慕われつづけている存在は稀有だ。

そしてこの映像は、結果を知っていても心が波立つ。
何度見ても感動する。
今日は泣けて泣けてしょうがない。



【サッカー日本代表】オシムジャパン 史上最高試合 日本代表 対 スイス代表



オシムさん、さようなら。
日本代表の監督をしてくれてありがとうございました。

謹んで哀悼の意を表し、
ただただご冥福をお祈りいたします。


大変な未来しかないわけないだろう②

2022年05月02日 | 個人的なメモ帳

大人になるって何ですか

この4月から、18歳19歳も成人となり大人扱いされるそう。
お国がそー決めたんだから、文句を言わないように、だってさ。

 



最果タヒ(さいはて・たひ)さんからの、新成人へのメッセージを抜粋。


 人生に物語の筋はない

人生は物語ではない。
伏線が回収されるわけでも、努力が必ず報われるわけでも、
決めた進路をつらぬいて、それで幸せになれるわけでもないのが現実です。

何かをつらぬかなかった人が、物語みたいに失敗したりしたとき
「ほらみたことか」と言いたがる人もいる。
それは物語で悪役が罰を受けるときに感じるカタルシスとおなじものを感じているのかもしれません。

 でも目の前にいる人は人間で、誰かにカタルシスを感じさせるために、
物語になるために生きている人なんてどこにもいない。
物語のように気持ちのいい、まっすぐな生き方をしなければ失敗するに決まっている、
という捉え方は、人の人生の複雑さを軽視しすぎではないかと思います。

 大人になる、自分で何かを選択する、というのは責任が伴うけれど、
でもその責任の重さを第三者が必要以上に脅すように伝えてくることは若いころ多々あり、
そのとき感じたうっすらとした不気味さについて、私は今なら話すことができます。

 人は物語のようにスッキリ生きることはできませんが、
物語のようにスッキリ生きることができないとき、
それじゃ失敗するぞとまるで物語の預言者のように伝えてくる人はいる。

その人も、でも、未来は見えていません。
どんなに年上の大人だって他人の人生の先は見えない。
当たり前のことですが、これから大人になる人に私はこのことを伝えたいです。