若もん、ウズベキスタンに散る。
よりによって相手エースの10番をどどどフリーにしてしまった。
さすがのザイオンもノータッチ。
代表で遠藤航が疲弊していたように、チマもボールが落ち着かなかった。
決勝を観るつもりだったからちょいと寂しいが、
チマとザイオン、ふたりを見られただけで満足ともいえる。
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U20ワールドカップ ナイジェリア’99
Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band 風な工作。
サージェンペッパーと黄金の世代を合体させるという一大プロジェクトに取り掛かっているが、
寄り道が多くてなかなかはかどらない。
今日もナンバープラスの「フランス98 ビジュアル完全保存版」にハマって抜けなくなったw
懐かしいなぁ 日本が初めて出場したワールドカップを特集したナンバー誌の別冊?だ。
黄金の世代でいえば、小野伸二だけが出場を果たした大会だ。
中でも、今は亡きナンシー関のコラム「感動の錬金術」と、
馳 星周のフランス98日記「すべてはW杯のために」が、なかなか面白い。
もう四半世紀も前のことなので、初めて読むようなもんだ。
ナンシー関は「消しゴム版画」で有名だ。
このコラムもタイトルと消しゴム版画の腕の冴えで、キレッキレな内容の想像がついてしまう。
見事なシュートをご覧ください ↓
おお、ユニも炎のやつ。
あの時のチケット大騒乱、フランス現地での阿鼻叫喚、なんかも思い出す。
以下引用(ナンシーさんがご存命ならなぁ と思わずにいられない)
おそらくチケットのあてもないまま渡仏したサポーターなのだろうが、
青いユニフォームにちょんマゲのカツラを被った男性がカメラ目線で
「日本の旅行会社に、レッドカード!!」とポケットから赤いカードを出して見せていた。
私が暴きたいのはこれだ。
問題はその赤いカードである。
それ、日本から持って来ただろ。 セリフも考えて来ただろ。 この精神構造だ。
ワールドカップの日本の試合が見たいという欲求のみにかられて艱難辛苦を乗り越えてきたのではないのだ。
何なんだろうか。
「ダメでもともと」という言葉があるが、そんなすがすがしさとも程遠い。
もう最近のスポーツがらみのイベントはすべてこれで片付いてしまうのだが、
「感動させてくれ」のツールとして利用されているのである。
ただ、今回のワールドカップで更なる次段階へ突入したような気がする。
それは、感動するだけではなく、
自分が感動の風景になってこの風景を見た人に感動を与えたい。とでもいうような感じ。
感動の永久運動かもしれない。
そんな「その気な人たち」と「テレビカメラ」に代表されるメディアの協力関係によって、
感動は巨大に増殖していったのだ。
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なんという的確な指摘、というか予言。
これ1998年に書かれた文章です。
「自分が感動の風景になってこの風景を見た人に感動を与えたい」
まさに。
この時点ですでにインスタ的なる現象、承認欲求の加速をキッチリ言い当てている。
ナンシーさんは、この感動の錬金術が’98フランスで完成されたのかもしれない、と書いているが、
4年後にもっととんでもないことになるとは、彼女にも見通せなかったのかもしれない。
そして、この強力なナンシー関のコラムを一枚めくると、、、
そこには馳 星周の日記が、猛烈に小さな字で5段組み、なんと10ページにわたって延々と。
ま、おもしろいっちゃーおもしろいから、つい読んでしまう。
なぜかやたらサッカー協会と岡田監督に怒っている。
あと、やたら28年目のタコこと、金子達仁が登場してくる。 ウザいなぁwww
では、アルゼンチン戦の感想を引用しちゃおう
「結果についてはここではなにもいうまい。
ただ、本当の喜びと本当の悔しさを味わうチャンスを我々から奪った日本サッカー協会と、
恐らくここに到るまでのプロセスを無視して『日本、惜敗』などと書きたて、
いいたてるであろうマスコミに対して激しい憎悪を抱いたということだけは明記しておく」
さすがハードボイルドな作家だけあって、威勢がいい。
ついでにもいっこ、同じアルゼンチン戦について。
「あれのどこが惜敗か。日本は勝てる相手に負けるべくして負けたのだ。
やるべきことをやらなかったために負けたのだ。
スコアは1対0だが、内容は惨敗に近い」
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あの試合を見てアルゼンチンを“勝てる相手”と思うところが凄い。
では2試合目のクロアチア戦の感想も見てみましょう。
きっと予想を裏切らないと思います。
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「イレブンは勝つ気でいた。加えてクロアチアは明らかにコンディションが悪かった。
前半は五分の展開でドロー。最高の展開である。
サポーターの多くもこれは行ける、と感じたのではないか。
だが、日本ベンチはそうではなかった。
選手もサポーターも勝てると思った試合で、ベンチだけが世界の壁におびえていた」
「試合が終わってしばらくは、声が出なかった。
椅子から立ち上がる気力もなかった。
呪詛のようにどろどろした思考が頭の中を駆け巡るだけだった。
日本サッカー協会への呪い。
協会がなんの議論もなく岡田監督続投を決めた時に、
無批判にもそれを受け入れたメディアと、我々サポーター自身に対する呪い。
日本という国の持つシステムに対する呪い。
自分が日本人であることに、これほど絶望したことはない」。
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四半世紀も前の文章ですし、「切り取り」と言われればその通りですが、、、
ナンシー関の文章は時を経てもなんら色褪せてはいませんし、
それどころか、今を生きているとさえ言えるほどです。
地元フランスが初優勝した大会。
馳 星周、なにをとち狂ったのか最後には、4年後の地元開催での優勝に言及してしまいます。
初めてのお使い、ではなく生観戦、お祭りに浮かれていた と想像します。
では先生、〆のお言葉をどうぞ。
「ホームでの優勝は、かくも感動的だ。日本にそれを期待してはいけないのか?
何度も自問した。すべての日本人に問いたかった。これを期待してはいけないのか?
おこがましいことはわかっている。それでも、これを日本に期待してはいけないのか?
ワールドカップ、日本のあらかじめ予定されていた惨敗をのぞけば、わたしには素晴らしかった。
願わくば、2002年にはサッカー協会が変わっていることを。
願わくば、2002年にはフランス人の喜びをわがものとすることを。
そのために、わたしも闘おう。
サッカーは、選手たちだけの闘いではない。
サポーターの闘いでもある。
あきらめてはいけないのだ。投げ出してはいけないのだ。
協会を ━ 腐ったミカンを日本のサッカー界から放逐するために、
わたしはわたしにできる限りの努力を払おう」
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おもしろかった!
そりゃ直木賞、もらうわけだ。