1月23日付で「熊本で三田線に再会した」という記事を掲載しましたが、今回はその続編のようなものです。
藤崎宮前から御代志行きに乗り、北熊本で降りました。ここで上熊本行きに乗り換えます。その際に、帯の色が変えられた元都営6000形を撮影しました。
御代志発藤崎宮前行きです。ワンマン運転のため、バックミラーが付けられています。左側の方向幕は「ワンマン」となっておりますが、三田線時代は使われたことがありません。もし、東武東上線および東急池上線・大井町線・田園都市線(どうやら、旗の台までは池上線、そこからは大井町線を経由して田園都市線の長津田まで乗り入れる予定であったようです)への直通運転が実現していたら、左側の幕には「急行」などの種別が示されていたことでしょう。
また、現在の6000形には冷房が取り付けられていますが、三田線時代は長らく非冷房でした。
北熊本から上熊本行きに乗りました。本来、熊本電鉄の路線は、菊池線が上熊本から御代志まで(かつては菊池まで)、藤崎線が北熊本から藤崎宮前までなのですが、運転系統は藤崎宮前から御代志まで、上熊本から北熊本までとなっています。そして、上熊本から北熊本まで、アマガエルとか青ガエルなどとして親しまれた元東急5000系(初代)が走っています。現在でも走行する姿を見られるのは熊本電鉄だけなので期待していたのですが、非冷房車だからなのか、別の理由からなのか、上の写真のように別の形式の車両が走っていました。もっとも、初代5000系は1954(昭和29)年に登場した車両で、既に50年以上も走っていますから、相当に老朽化が進んでいるはずです。
上熊本に到着して、撮影してみました。現在は200形となっていますが、元は南海22000系で、高野線用のズームカーの一種です。南海時代は薄い緑灰色の地に緑色の帯という塗色でしたが、現在は御覧のように上が水色、下が青で赤帯が巻かれるという塗色です。元東急5000系(初代)もこの塗色に変えられていたことがあります。
この車両は、東急車輛(大阪製作所。かつての帝国車輌)で、1969(昭和44)年に製造されています。私が生まれたのが1968(昭和43)年ですので、その翌年に造られたということになります。1969年といえば、東急8000系がデビューした年でもあります。
200形も、製造から40年以上が経過しています。あと何年、熊本電気鉄道の線路を走行するのでしょうか。菊池線も藤崎線も、あまり状況が良くないだけに気にかかります。以前、市街地の水道町まで延長するという話もあったのですが、結局立ち消えになりました。最近では、熊電を廃止して専用バス道路に変えた上でガイドウェイバスを走らせるというような案まで出される始末です。
何しろ、両線ともあまり便利ではありません。藤崎線のターミナルである藤崎宮前駅は、中心地から少し離れています。また、菊池線の起点である上熊本駅は、鹿児島本線や熊本市電と乗り換えられるのですが、熊電の駅は無人駅ですし、周囲に大型の商店などはありません。駅前商店街らしいものも見受けられないのです。九州新幹線が全通したことにより、鹿児島本線の特急は1往復しかなくなり、しかも上熊本駅には停まりません(新幹線が全通するまでは、全部ではありませんが上熊本駅にも特急が停まっていました)。
現在、純粋な私鉄では熊本電気鉄道が日本最南端となるのですが、今後、予断を許さない状況と言えるでしょう。