今回は、2003年3月23日に熊本市へ行った時の写真を掲載します。また上熊本駅です。
夏目漱石は、熊本大学の前身である第五高等学校(旧制)に着任する際、上熊本駅を利用しました。当時は池田駅と言われており、1901年に現在の上熊本に改称されます(現在、熊本電気鉄道菊池線に池田駅があります)。
この駅には鹿児島本線、熊本市電、そして熊本電鉄の電車が発着します。下の写真の右側が鹿児島本線の上熊本駅で、奥のほうに市電の上熊本電停があります。熊本電鉄の上熊本駅は、御覧のようにホーム1本だけで、駅員がいません。また、2003年当時のJR上熊本駅は立派な駅舎を構えていましたが、九州新幹線の建設工事に伴い、解体の危機にさらされました。現在の駅舎はプレハブのような簡素な建物で、駅の規模も小さくなっています。そして、旧駅舎の一部が市電の上熊本電停に移されています。
これは、1954(昭和29)年、東急東横線にデビューした初代5000系です。東急時代は緑色に塗られ、当時の最新技術を集めたこともあって、スター的な存在でした。私が幼かったころには、東横線、田園都市線、大井町線で活躍していました。一時、目蒲線(2000年8月6日に、目黒線と多摩川線に分割)を走っていたこともあります。その前面の形状から、アマガエルなどの愛称もあります。
1970年代後半、長野電鉄に一部が移籍してから(その長野電鉄での車両を、鷺沼で見たことがあります)、譲渡や廃車が始まりました。岳南鉄道、松本電鉄(現在のアルピコ交通)、上田交通(現在の上田電鉄)などに譲渡されたものも、ほとんどが廃車か休車になっています。
熊本電鉄に譲渡されたのは6両で、1981年と1985年のことです。1981年当時、熊本電気鉄道には古い吊り架け駆動の車両しかなく、この5000系が最初のカルダン駆動車でした。熊本電気鉄道の全線で活躍していましたが、現在は2両が上熊本~北熊本のみで動いています。
以前、この電車に乗った時には、つり革の広告が東急時代のままでした。熊本には東急百貨店がないはずなのですが。
こちらは、熊本電鉄に移ってから設けられた運転台の部分です。よく見ると右運転台となっています(写真では左側に運転台があります)。日本では数が少ない右運転台の車両ですが、これはワンマン運転の便宜のためであるそうです。もっとも、これはあまり意味がなかったようで、本来であれば逆向きでなければならないのだそうです。
熊本電気鉄道に移籍した頃は東急時代と同じ緑色でしたが、1990年代に上の写真にある塗色に変えられました。2004年、再び東急時代の緑色に変えられています。
既に、デビューしてから50年近くが経っています。あと何年、この熊本で走っているでしょうか。
(2003年4月26日、「待合室」第46回として掲載したものを修正・加筆)