2020年は、ベートーヴェン生誕250年であり、マックス・ヴェーバー没後100年です。
1920年のヴェーバー死去の原因はスペイン風邪による肺炎だということです。ちょうど100年後に新型コロナウイルスが大流行したというのは、ただの偶然なのでしょうか。
ベートーヴェン生誕ということであれば、私は幼少時からベートーヴェンの交響曲第5番、第6番および第9番、ヴァイオリン協奏曲、ロマンス第2番、ヴァイオリン・ソナタ第5番および第9番などに親しんでおり、その後も様々な作品を聴いてきました。交響曲全曲、ピアノ協奏曲全曲、弦楽四重奏曲全曲、ヴァイオリン・ソナタ全曲、ピアノ・ソナタ全曲、チェロ・ソナタ選曲、などをCDで購入しています。妻も好きなので、CDを買ってあげたりしていますが、私はやはり後期弦楽四重奏曲をしっかりと聴き直したいと思っています。2月22日、サントリーホールでアンネ・ゾフィー・ムターさんなどによる弦楽四重奏曲編成でのコンサートでは第10番が演奏されましたが、変ホ長調であれば第12番を忘れてはならないでしょう。
そしてマックス・ヴェーバーです。どういう訳かわからないのですが、先月、岩波新書として今野元『マックス・ヴェーバー 主体的人間の悲喜劇』、中公新書として野口雅弘『マックス・ヴェーバー 近代と格闘した思想家』が発売されました。中公新書のほうは途中までしか読み進めていませんが、岩波新書のほうを読み進めて、当時のヨーロッパ知識人の限界が鋭く描かれていると感じました。そして、その限界は現在の社会思想などについても妥当するところがあるのではないかと思われるのです。