ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

第1部:租税法の基礎理論 第07回:租税法の解釈と実質課税の原則

2020年06月13日 21時32分00秒 | 租税法講義ノート〔第3版〕

 1.租税法の解釈方法

 租税法も法の一分野であるから、法の意味や内容を明確にするために解釈が必要となる点について、他の法領域と異なるところはない。

 金子宏教授は、「租税法は侵害規範(Eingriffsnorm)であり、法的安定性の要請が強くはたらくから、その解釈は原則として文理解釈によるべきであり、みだりに拡張解釈や類推解釈を行うことは許されない」と述べる〈金子宏『租税法』〔第二十三版〕(弘文堂、2019年)123頁。岡村忠生・酒井貴子・田中晶国『租税法』(有斐閣、2017年)26頁[岡村忠生担当]、谷口勢津夫『税法基本講義』〔第6版〕(弘文堂、2018年)40頁、中里実・弘中聡浩・渕圭吾・伊藤剛志・吉村政穂編『租税法概説』〔第3版〕(有斐閣、2018年)51頁[増井良啓担当]なども参照。なお、北野弘久(黒川功補訂)『税法学原論』〔第7版〕(2016年、勁草書房)171頁も参照〉勿論、「文理解釈によって規定の意味内容を明らかにすることが困難な場合」も存在するので、その場合には「規定の趣旨目的に照らしてその意味内容を明らかにしなければならない」〈金子・前掲書124頁〉。文理解釈が困難である場合には目的論的解釈が許容されるということであるが、その場合には「当該法規の趣旨・目的すなわち立法者の価値判断が、個別具体的に厳格かつ的確に探知されなければならない」、「税収確保および公平負担実現のための目的論的『解釈』」であってはならないという説明がなされる〈谷口・前掲書41頁。岡村・酒井・田中・前掲書27頁[岡村]も同旨〉

 私人の租税負担(租税債務)は法律の定めによるところであるが、私人の租税負担は国(または地方公共団体)からの一方的な財産権の侵害を意味すること(憲法第30条と第29条との関係に注意されたい)、および、徴収手続に権力的要素が強く、私人の財産権のみならず人格権(名誉権)さらには人身の自由に対する侵害の危険性が高いことから、租税法の解釈には厳格性が要請される。従って、基本的には文理解釈が求められる、ということになるであろう。勿論、文理解釈だけで全てを解決できる訳ではなく、往々にして体系的解釈、歴史的解釈や目的論的解釈が必要となるが〈Vgl. Heike Jochum, Grundfragen des Steuerrechts, 2012, S. 76ff. 〉拡張解釈、縮小解釈、類推解釈は望ましくない。これらの解釈は、法律に定められている課税要件などを法の適用者が勝手に変更することにつながり、いわば改正手続のない改正、解釈による立法などになりかねないからである。

 この点において問題とされるべきであるのが、最三小判平成9年11月11日訟務月報45巻2号421頁である。

 物品税法時代、小型普通乗用四輪自動車は課税物品とされていたが、競走用自動車については物品税法に明文の規定がなかった。税務署長Yは、競走用自動車の製造販売業者であるXが製造した4台の競走用自動車(フォーミュラーカー)が小型普通乗用四輪自動車に該当するとして、物品税の決定処分および無申告加算税賦課決定処分を行った。Xがこれらの処分の取消しを求めて出訴し、京都地判平成5年1月29日判タ835号191頁はXの請求を認容したが、大阪高判平成6年3月30日税資200号1330頁は原判決を取り消してXの請求を棄却した。Xは上告したが棄却された。

 多数意見は、小型普通乗用四輪自動車を特殊の用途に供するものではない乗用自動車と解し、本件の競争用自動車が道路運送車両法に定められた保安基準に適合せず、公道を走行することが許されないものであることを認めた。その上で、人の移動という乗車目的のために使用されるものであることに変わりがなく、乗用と質的に異なる目的のための特殊な構造や装置を採用しているものではないとして、本件の競走用自動車が小型普通乗用四輪自動車に該当すると判断した。

 これに対しては尾崎裁判官反対意見(元原裁判官同調)が付されている。反対意見は、課税対象たる小型普通乗用四輪自動車に該当するか否かについて、自動車としての性状、機能、使用目的などの要素や陸運事務所の登録の可否、さらに種別などを総合勘案して判断すべきとした上で、本件の競走用自動車は、通常の乗用自動車とは著しく性状や機能などが異なっており、小型普通乗用四輪自動車に該当しないと述べている。また、反対意見は、小型キャンピングカーが物品税法の課税物品として昭和48年に追加された事実をあげている。

 この判決をどのように理解すべきか。競走用自動車にも様々なものがあるが、本件の場合はフォーミュラーカーであり、常識的に考えて一般の小型普通乗用四輪自動車とは全く性質の異なるものであろう。その意味では完全な拡大解釈である。反対意見も述べているが、自動車は、たとえ貨物用であっても運転手が乗車しなければならないのであるから、人の移動云々だけで判断することはおかしいと言わざるをえない。

 

 2.実質課税の原則

 上述のように、租税法の解釈には厳格性が求められるべきであり、基本的には文理解釈が求められるべきである。しかし、たとえば所得の帰属については文理解釈のみでは決定しえない場合がある。それを含め、租税法については、他の法領域と異なる事情が存在した。

 租税法は人々の経済活動に深く関わる法分野であり、例えば所得の帰属については文理解釈のみでは決定しえない場合がある。また、契約についても、当事者の真の目的は贈与であるが外見は売買である、あるいは、形式上は相互売買であるが実質は交換である、というような場合がある。また、所有者についても形式と実質とで異なるということもありうる。このような場面に対処するため、租税法においては実質課税の原則として、形式的な事柄に囚われず、実質や実態に即して法の解釈適用を行うべきである、と唱えられることがある。但し、実質課税の原則には、とくに実質や実態を判断するための明確な基準がないことから、恣意的な課税を正当化する役割があると懸念される。

 実質課税の原則は、ドイツにおける経済的観察法の影響を受けたものである。元々、経済的観察法は1919年ライヒ公課法(Reichsabgabenordnung vom 13. Dezember 1919)第4条に規定されていたものである。1976年に廃止されたドイツの旧租税調整法(Steueranpassungsgesetz)は、租税法の解釈に際して経済的意義などを考慮しなければならないという規定を含んでいたことから、租税法の文言に囚われることなく経済事象に適合するように解釈がなされなければならないと理解されていた。現在の公課法(Abgabenordnung  vom 14. Dezember 1976)にも、経済的観察法の影響がうかがえる規定が存在する。

 日本においても、実質課税の原則として、上記の経済的観察法と類似する解釈方法が主張される。しかし、仮に日本において経済的観察法を採用したのでは法的安定性などが阻害されうるし、租税行政庁による自由な、さらには恣意的な解釈が横行しかねない。経済的意義などが考慮される必要性は存在しても、とくに法律が明文でそのことを規定しない限り、経済的観察法のような解釈は許されないと解するべきであろう。

 もっとも、日本の実定法においては、実質課税の原則の一種として実質所得者課税の原則を定める規定が存在する。

 実質所得者課税の原則は、所得税法第12条において「資産又は事業から生ずる収益の法律上帰属するとみられる者が単なる名義人であつて、その収益を享受せず、その者以外の者がその収益を享受する場合には、その収益は、これを享受する者に帰属するものとして、この法律の規定を適用する」として示される原則である(法人税法第11条、地方税法第24条の2の2・第72条の2の3・第294条の2の2も同旨の規定)。すなわち、法律上の帰属者とみられるものが実は単なる名義人であり、他に収益を享受する者が存在する場合には、収益の享受者に所得税を課するという規定である。

 この規定については、大別して二つの解釈の方法がありうる。一つは法的実質主義であり、単なる名義人と法律上の真の所有者がいる場合には、その法律上の真の所有者に課税する、という解釈である。もう一つは経済的実質主義であり、単なる名義人と経済上「収益を享有する者」がいる場合には、その経済上「収益を享有する者」に課税する、という解釈である。租税法学においては法的実質主義が妥当とされることが多い。また、所得税基本通達12−1は「法第12条の適用上、資産から生ずる収益を享受する者がだれであるかは、その収益の基因となる資産の真実の権利者がだれであるかにより判定すべきであるが、それが明らかでない場合には、その資産の名義者が真実の権利者であるものと推定する」、同12−2は「事業から生ずる収益を享受する者がだれであるかは、その事業を経営していると認められる者(以下12−5までにおいて「事業主」という。)がだれであるかにより判定するものとする」と定めており、法的実質主義を採るものと理解されている〈図子善信『新税法理論−優しい税法−』(2018年、成文堂)224頁。同131頁も参照〉

 ここで、さらに所得税基本通達をみておこう。12−3は「夫婦間における農業の事業主の判定」の見出しの下で次のように定める。

 「生計を一にしている夫婦間における農業の事業主がだれであるかの判定をする場合には、両者の農業の経営についての協力度合、耕地の所有権の所在、農業の経営についての知識経験の程度、家庭生活の状況等を総合勘案して、その農業の経営方針の決定につき支配的影響力を有すると認められる者が当該農業の事業主に該当するものと推定する。この場合において、当該支配的影響力を有すると認められる者がだれであるかが明らかでないときには、生計を主宰している者が事業主に該当するものと推定する。ただし、生計を主宰している者が会社、官公庁等に勤務するなど他に主たる職業を有し、他方が家庭にあって農耕に従事している場合において、次に掲げる場合に該当するときは、その農業(次の(4)に掲げる場合に該当するときは、特有財産に係る部分に限る。)の事業主は、当該家庭にあって農耕に従事している者と推定する。

 (1) 家庭にあって農耕に従事している者がその耕地の大部分につき所有権又は耕作権を有している場合(婚姻後に生計を一にする親族から耕作権の名義の変更を受けたことにより、その耕地の大部分につき所有権又は耕作権を有するに至ったような場合を除く。)

 (2) 農業が極めて小規模であって、家庭にあって農耕に従事している者の内職の域を出ないと認められる場合

 (3) (1)または(2)に該当する場合のほか、生計を主宰している者が、主たる職業に専念していること、農業に関する知識経験がないこと又は勤務地が遠隔であることのいずれかの事情により、ほとんど又は全く農耕に従事していない場合(その農業が相当の規模であって、生計を主宰している者を事業主とみることを相当とする場合を除く。)

 (4) (1)から(3)までに掲げる場合以外の場合において、家庭にあって農耕に従事している者が特有財産である耕地を有している場合

 (注) 『家庭にあって農耕に従事している場合』には、従来家庭にあって農耕に従事していた夫婦の一方が、病気療養に専念するため、たまたまその年の農耕に従事しなかったような場合も含まれる。」

 次に、12−4は「親子間における農業の事業主の判定」の見出しの下に、次のように定める。

 「生計を一にしている親子間における農業の事業主がだれであるかの判定をする場合には、両者の年齢、農耕能力、耕地の所有権の所在等を総合勘案して、その農業の経営方針の決定につき支配的影響力を有すると認められる者が当該農業の事業主に該当するものと推定する。この場合において、当該支配的影響力を有すると認められる者がだれであるかが明らかでないときには、次に掲げる場合に該当する場合はそれぞれ次に掲げる者が事業主に該当するものと推定し、その他の場合は生計を主宰している者が事業主に該当するものと推定する。

 (1) 親と子が共に農耕に従事している場合  当該従事している農業の事業主は、親。ただし、子が相当の年齢に達し、生計を主宰するに至ったと認められるときは、子

 (2) 生計を主宰している親が会社、官公庁等に勤務するなど他に主たる職業を有し、子が主として農耕に従事している場合  当該従事している農業の事業主は、子。ただし、子が若年であるとき、又は親が本務の傍ら農耕に従事しているなど親を事業主とみることを相当とする事情があると認められるときは、親

 (3) 生計を主宰している子が会社、官公庁等に勤務するなど他に主たる職業を有し、親が主として農耕に従事している場合  当該従事している農業の事業主は、12-3のただし書に準じて判定した者」

 そして、12−5は「親族間における事業主の判定」の見出しの下に、次のように定める。

 「生計を一にしている親族間における事業(農業を除く。以下この項において同じ。)の事業主がだれであるかの判定をする場合には、その事業の経営方針の決定につき支配的影響力を有すると認められる者が当該事業の事業主に該当するものと推定する。この場合において、当該支配的影響力を有すると認められる者がだれであるかが明らかでないときには、次に掲げる場合に該当する場合はそれぞれ次に掲げる者が事業主に該当するものと推定し、その他の場合は生計を主宰している者が事業主に該当するものと推定する。

 (1) 生計を主宰している者が一の店舗における事業を経営し、他の親族が他の店舗における事業に従事している場合又は生計を主宰している者が会社、官公庁等に勤務し、他の親族が事業に従事している場合において、当該他の親族が当該事業の用に供されている資産の所有者又は賃借権者であり、かつ、当該従事する事業の取引名義者(その事業が免許可事業である場合には、取引名義者であるとともに免許可の名義者)である場合  当該他の親族が従事している事業の事業主は、当該他の親族

 (2) 生計を主宰している者以外の親族が医師、歯科医師、薬剤師、弁護士、税理士、公認会計士、あん摩マッサージ指圧師等の施術者、映画演劇の俳優その他の自由職業者として、生計を主宰している者とともに事業に従事している場合において、当該親族に係る収支と生計を主宰している者に係る収支とが区分されており、かつ、当該親族の当該従事している状態が、生計を主宰している者に従属して従事していると認められない場合  当該事業のうち当該親族の収支に係る部分の事業主は、当該親族

 (3) (1)又は(2)に該当する場合のほか、生計を主宰している者が遠隔地において勤務し、その者の親族が国もとにおいて事業に従事している場合のように、生計を主宰している者と事業に従事している者とが日常の起居を共にしていない場合  当該親族が従事している事業の事業主は、当該親族」

 所得税法第12条の解釈に関する判例として、ここでは2つの判決をあげておこう。

 ●東京高判平成3年6月6日訟務月報38巻5号878頁

 事案 Xは柏市で歯科医院を営んでいる。Xの息子であるSは歯科医師国家試験に合格した後の昭和56年5月15日から同歯科医院で診療に従事している。なお、S名義の個人事業の開業届出書が昭和57年3月11日に所轄税務署長に提出されていた。Xは昭和57年分および昭和58年分の所得税について、同歯科医院の総収入および総費用をSと折半して確定申告をしたが、所轄税務署長はSを独立の事業者と認めずXの事業専従者とし、同歯科医院の事業所得がXに帰属するものとして昭和57年分についての更正処分および加算税賦課決定処分、昭和58年度分についての更正処分および加算税賦課決定処分を行った。Xは異議申立ておよび審査請求を行ったが、いずれも棄却された。Xは出訴したが、千葉地判平成2年10月31日税資181号206頁は請求を棄却したため、Xが控訴した。東京高等裁判所は控訴を棄却した(上告はなされず、確定)。

 判旨 (所得税法第12条に関する部分のみ引用する。)

 (1)「親子が相互に協力して一個の事業を営んでいる場合における所得の帰属者が誰であるかは、その収入が何人の勤労によるものであるかではなく、何人の収入に帰したかで判断されるべき問題であって、ある事業による収入は、その経営主体であるものに帰したものと解すべきであり」(最二小判昭和37年3月16日集民59号393頁を参照)、「従来父親が単独で経営していた事業に新たにその子が加わった場合においては、特段の事情のない限り、父親が経営主体で子は単なる従業員としてその支配のもとに入ったものと解するのが相当である」。

 (2)本件の場合、「XとSは全く別個の世帯とは認められず、更に、Xは前記住所地において昭和35年から現在まで医院を経営していること、Sが開業にあたり必要とした医療器具、医院改装の費用は、X名義で借り入れられ、右医療器具等の売買契約等における当事者はXであり、返済は前記のとおりX名義の預金口座からなされていること、右借入れにあたり、X所有の土地建物(医院の敷地及び建物)に根抵当権が設定されていること、本件各処分以前、医院の経理上SとXの収支が区分されていなかったことが認められ、(中略)Xが昭和35年から20数年来医院を経営してきたものであって、子のSが同56年から医師として同医院の診療に従事することになり、それに応じて患者数が増え、Sの固有の患者が来院するようになったこと、同医院の収入が昭和56年から飛躍的に増大していることが認められるとはいえ、本件で問題になっている昭和56年から同58年にかけての医院の実態は、Sの医師としての経験が新しく、かつ短いことから言っても、Xの長年の医師としての経験に対する信用力のもとで経営されていたとみるのが相当であり、したがって、医院の経営に支配的影響力を有しているのはXであると認定するのが相当である」。

 (3)「したがって、右認定のようにXとSの診療方法及び患者が別であり、いずれの診療による収入か区別することも可能であるとしても、Xが医院の経営主体である以上、その経営による本件収入は、Xに帰するものというべきである」。

 ●最一小判昭和48年4月26日民集27巻3号629頁

 事案 行政行為の瑕疵に関する判決としても有名なものである。

 原告X1の姉の夫Aは、X1およびその夫X2からの借金の担保とするために、また、自らが経営する会社の債権者からの差押えを回避するために、自らが所有する土地および建物について、X1およびX2に無断で登記の名義を変更した。Aの事業経営が不振となったため、Aはこの土地の売却を思い立ち、売買契約書などを偽造した上で土地を第三者に売却した。Y税務署長は、調査をした上でX1に建物の譲渡に関する所得が、X2に土地の売買による譲渡所得があったものとして課税処分を行い、さらに滞納処分を行った。X1およびX2は、課税処分の無効を主張したが、一審判決(横浜地判昭和40年12月21日税資41号1235頁)および二審判決(東京高判昭和42年4月17日税資47号724頁)は、いずれも請求を棄却した。最高裁判所第一小法廷は、原判決を破棄し、事件を東京高等裁判所に差し戻す判決を下した。

 判旨 「課税処分につき当然無効の場合を認めるとしても、このような処分については、前記のように、出訴期間の制限を受けることなく、何時まででも争うことができることとなるわけであるから、更正についての期間の制限等を考慮すれば、かかる例外の場合を肯定するについて慎重でなければならないことは当然であるが、一般に、課税処分が課税庁と被課税者との間にのみ存するもので、処分の存在を信頼する第三者の保護を考慮する必要のないこと等を勘案すれば、当該処分における内容上の過誤が課税要件の根幹についてのそれであつて、徴税行政の安定とその円滑な運営の要請を斟酌してもなお、不服申立期間の徒過による不可争的効果の発生を理由として被課税者に右処分による不利益を甘受させることが、著しく不当と認められるような例外的な事情のある場合には、前記の過誤による瑕疵は、当該処分を当然無効ならしめるものと解するのが相当である」。本件の場合には「いわば全く不知の間に第三者がほしいままにした登記操作によつて、突如として譲渡所得による課税処分を受けたことになるわけであり」、X1およびX2に「前記の瑕疵ある課税処分の不可争的効果による不利益を甘受させることは」、X1およびX2が「上記のような各登記の経由過程について完全に無関係とはいえず、事後において明示または黙示的にこれを容認していたとか、または右の表見的権利関係に基づいてなんらかの特別の利益を享受していた等の、特段の事情がないかぎり、上告人らに対して著しく酷であるといわなければならない」。

 

 3.「疑わしきは国庫の利益に反して」(in dubio contra fiscum)

 租税法律主義、とくに「合法性の原則」から、一般的に「疑わしきは国庫の利益に反して」という法理が成立するか否かについては、議論の余地がある。

 北野弘久博士は、この法理が「法の解釈のみならず要件事実の認定についても妥当する」と述べている〈北野(黒川補訂)・前掲書『税法学原論』〔第7版〕78頁。但し、所得課税における推計課税は例外とされ、所得税法第156条、法人税法第131条などが「確認的規定」であると理解されている〉。判決にも、この法理の成立を認めるものがある。これに対し、金子宏教授は、課税要件事実の認定についてこの法理の成立を認めるが、租税法の解釈原理としては否定する〈金子・前掲書124頁、150頁〉。租税手続における納税義務者の権利を確保するためには、「疑わしきは国庫の利益に反して」を法理として認めるほうが妥当とも思われるが、これを安易に認めると法の解釈を放棄するということにもなりうる。

 なお、「疑わしきは国庫の利益に」(in dubio pro fisco)が成立しえないことは、現在、学説などにおいて一般的に認められている。

 

 4.借用概念と固有概念

 借用概念とは、他の法分野において明確な意味内容を与えられている概念のことである。利益配当、相続、不動産、配偶者、親族などが該当する。

 これに対し、固有概念とは、他の法分野において用いられず、租税法が独自に用いる概念のことである。所得などが該当する。

 既に述べたように、租税法は人々の経済活動に深く関わる法分野であり、そのような活動で繰り返される取引、度々生ずる経済現象を対象とする。そして、これらの取引や経済現象の多くは民法を初めとする私法の対象でもある。他方、私的自治の原則、とりわけ契約自由の原則の下において、当事者は経済活動の内容を原則として自由に決定しうることから、形式と実質、あるいは形式と意図が異なる場合もありうる。そこで、実質課税の原則との関連において、借用概念の解釈が問題とされた。

 経済的観察法、あるいは実質課税の原則を強調するならば、借用概念については、税務行政の便宜や公平負担の観点から、他の法の分野と異なる解釈を採ることが許される。あるいは、採ることが要請されると記すほうがよいのかもしれない。例えば、形式的には売買である経済取引の実質は贈与である、形式的には賃貸借である経済取引の実質は売買である、などとして課税することが要請されるというのである。これらは租税回避行為の否認として問題とされることもある。

 しかし、ここで納税義務の淵源となる様々な活動を改めて想起すると、その多くは何よりもまず私法によって規律される。そうであれば、その活動は私法上の効果を有するのであるから、とくに法律の明文の規定がある場合を除いて、私法の領域からの借用概念について異なる解釈を採るべき必然性はないし、同じ解釈を採ることが法的安定性の確保にもつながる。そのため、現在においては、借用概念を本来の法分野におけるのと同じ意義に解釈すべきであると考えるのが通説である。判例も同様である。

 勿論、立法によって、借用概念について他の法領域と異なる意味内容を付与することは可能である。この場合には法律によって「●●とみなす」という規定を置くこととなる。例えば、「人格のない社団等」(所得税法第2条第1項第8号、法人税法第2条第8号)を法人とみなす(所得税法第4条、法人税法第3条)。また、生命保険契約による保険金の受け取りなど、民法においては相続、遺贈、贈与のいずれにも該当しないものを相続、遺贈、贈与とみなす(相続税法第3条ないし第9条の5)。このような「みなし」規定を置くことにより、借用概念に租税法固有の意味を与えることができる。逆に言えば、「みなし」規定を置かない限り、借用概念は他の法領域と同じ解釈を採用すべきこととなる。その典型例が、民法第22条に規定される住所である。武富士事件として有名な最二小判平成23年2月18日判時2111号3頁を参照していただきたい。

 これに対し、固有概念の場合は、借用概念のような問題がないため、法律の趣旨や目的に照らして意味や内容を確定すべきことになる。固有概念の代表である所得について、通説および判例は経済的利得を意味すると捉え、行為や事実の法的評価と無関係に判断すべきであるとする。これに対しては、私法上有効な所得のみを所得税法上の所得とする考え方も存在する。しかし、私法行為に瑕疵があっても経済的な利得が現実に発生している場合に、これを所得でないとすれば、かえって公平負担の原則に反することとなりかねない。通説および判例の見解が妥当である。

 

 ▲第3版における履歴:2020年6月13日掲載。

 ▲第2版における履歴:「05 租税法の解釈と実質課税の原則」として、2011年3月16日掲載。

            2011年3月21日修正。

            2011年3月31日修正。

            2011年9月13日補訂。

            2012年7月11日修正。

            2012年8月5日修正。

            2013年8月1日修正。

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