ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

渋谷の氷川神社

2020年06月22日 00時00分00秒 | まち歩き

 幼い頃から、何かと言えば渋谷駅周辺へ行きました。2004年6月からは国学院大学法学部の兼任講師(非常勤講師)として講義を持っていますので、渋谷区が職場の一つにもなっています。しかし、4月から渋谷区に踏み入れたことがありません。

 そこで、という訳でもないのですが、今回は、渋谷の風景の一つとして、国学院大学のすぐそばにある氷川神社(渋谷区東2丁目)を取り上げます。なお、写真撮影日は2007年1月27日です。

 現在、渋谷に行く時には東急田園都市線を使っていますが、この写真の撮影時には東急東横線を使っていました。その東横線の渋谷駅から、東横線に沿うように明治通りを歩くと並木橋に到着します。

 戦前、東横線には並木橋駅がありました。今もあれば便利だろうとは思うのですが 渋谷駅からの距離が短すぎるので、廃止もやむをえなかったでしょう。並木橋をさらに恵比寿側まで歩き、都バスの渋谷車庫に近い交差点をさらに直進して少し歩いたところを左折すると、氷川神社に着きます。

 このように、平沼騏一郎の名前が見えます。第35代の内閣総理大臣であるとともに、日本大学の第2代総長、そして大東文化学院の初代総長でもあり、A級戦犯でもあります。大東文化学院は、現在の私の勤務校である大東文化大学の前身です。

 ちなみに、日本大学の前身は日本法律学校なのですが、この学校が、元々、飯田橋にあった皇典講究所(現在の國學院大學。後に渋谷に移転)に設置されていたことは、意外に知られていません。そして、現在の國學院大學の敷地は御料地だったとのことです。

 国学院大学で仕事をする時には渋谷駅と国学院大学を往復することになります。都営バスの学03を使うこともありますが、徒歩で往復することが多いのです。時折、氷川神社のこの道を通り抜けています。 

 相撲の土俵があります。ここは、江戸郊外三大相撲の一つである金王(こんのう)相撲が行われた場所であるとのことで、現在も跡地として保存されています。

 金王と言えば、渋谷三丁目には金王神社があります(渋谷城址に建てられたそうです)。但し、歴史的には氷川神社のほうが古いようで、日本武尊の東征の際に建てられたという記録があるそうです。また、渋谷駅東口から永田町に向かう国道246号には金王坂があります。

 渋谷区には、かつて、金王町、常盤松町という、由緒ある地名がありました。住居表示の実施に伴う町名変更により、渋谷、東などとなってしまいましたが、町内会・自治会などの名称として残っているようです(金王町のほうはよくわかりませんが、常盤松のほうは、町内会や小学校の名称として現在も残っています)。

 

  後のほうに國學院大學の建物が見えます。

 

 

 

乃木希典の書によるという「明治卅七八年戦役」(明治二十七八年戦争。日清戦争のこと)の「紀念碑」です。ここにあるとは知りませんでした。 

 

 

 

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