ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

東急8500系の完全引退は近い

2020年06月24日 00時00分00秒 | 写真

 1975年にデビューし、東急では最大となる400両が製造された8500系の完全引退が近づいています。既に、このブログでも何度か取り上げた、唯一の方向幕車にして7700系の引退後は最古参であった8606Fが引退しており、この他にも何編成かが引退しています。

 現在残されている編成も、2020系の増備が進めば順次廃車となります。乗車の機会や写真撮影の機会が多かった8500系ですが、最後まで追っていければ、と思っています。

 元々は新玉川線(現在の田園都市線渋谷〜二子玉川)用として、また帝都高速度交通営団半蔵門線直通運転用として製造された8500系は、田園都市線にデビューし、1976年にローレル賞(鉄道友の会)を受賞しています(この年に東横線でも運用開始されています)。1977年に新玉川線が開業し、本来の運用が始められました。1979年に半蔵門線の渋谷〜青山一丁目が開業した際には、営団の車両がまだ製造されていなかったこともあり、この8500系だけが運用されていました。1980年代には田園都市線および新玉川線で運用される編成の10両編成化が進み、1990年代には東横線での運用がなくなって田園都市線および新玉川線に集結します。なお、8638F、8639F、8640Fおよび8641Fは5両編成で、当初は10両編成として田園都市線で運用されたものの、すぐに大井町線に移りました。

 2002年に5000系(2代目)が登場したことに伴い、初期の何編成かが廃車となりました。その一部が長野電鉄、秩父鉄道、伊豆急行、そしてインドネシアのJabodetabek鉄道に譲渡されています。ただ、東急に残った編成は5000系の増備後も活躍を続けるとともに、8606Fと8642F以外の10両編成は東武伊勢崎線・日光線にも直通運転するようになっています。

 しかし、2017年から2020系が製造され(営業運転は2018年から)、増備されるにつれて、8500系は数を減らしています。将来的には完全に2020系に置き換えられます。また、大井町線の5両編成4本も2019年までに引退しました。これは、2020系の増備とともに、東武伊勢崎線・日光線に乗り入れることができない2000系が5両編成化されて9020系となり、大井町線に転属したことによるものです。

 私が小学校1年生であった年にデビューし、何かと乗る機会が多かった8500系には、やはり一種の特別な思い入れがあります。

 当初は東横線で乗ることが多かったのですが、新玉川線開業直後、半蔵門線開業直後にも乗りました。とくに、1989年、半蔵門線の半蔵門〜三越前が開業し、神保町を通るようになってから、非常に便利な路線となった田園都市線・新玉川線・半蔵門線を利用する機会が大幅に増え、8500系にも乗る機会が増えました。そして、1992年4月から1997年3月までの大学院生時代に、通学のために田園都市線・新玉川線・半蔵門線を利用していたため、毎日のように、という言葉が大げさでも何でもないほどに8500系に乗りました。勿論、2000系、営団8000系にも乗りましたし、2000系が一番の楽しみでしたが、編成数からして8500系に乗る機会が多かった訳です。

 5000系のデビュー後も乗車機会は多かったのですが、2020年に入ってから見る機会も減っています。

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