溝口三丁目にある溝口南公園は、旧大山街道沿いにあり、宿場町であった溝口の中心というべき場所にあります。田園都市線の沿線には旧大山街道の宿場町がいくつかあるのですが、溝口ほどに取り組みがなされている所は他にないようです。
公園の入口に、川崎歴史ガイドの案内板があります。武陽玉川八景之圖(図)という絵が紹介されており、江戸時代に溝口がどのように紹介されていたかがわかります。二ヶ領用水や、現在の津田山付近の丘などがかなり誇張された絵ではありますが、手前に溝口が描かれており、右側に二子、中央より左側に宿河原が描かれています。
溝口南公園を旧大山街道側から撮影したものです。高津図書館があった頃には、こちら側に図書館の入口があり、旧大山街道から手前の道路を歩いて入りました。もっとも、地図上では道路として扱われておらず、公園の一部とされているようです。両側に民家が並んでいるのは、図書館時代からのことです。
両側の民家も、時を経て変わっています。図書館があった頃には木造の建物が並んでいたと記憶していますが、今ではそのような建物をほとんど見かけません。
もう一枚、撮影しておきました。
溝口南公園を出て、旧大山街道へ出ました。国道409号線の高津交差点がすぐそばに見えます。信号機の奥は川崎信用金庫高津支店(四丁目)、手前に田中屋があります。お茶と秤を売っている店で、私も時々お茶を買います。この界隈には田中屋、あるいはたなかやという商号の店が多く、どれも地元で古くから営業している店です。
何の変哲もない交差点にも見えますが、この交差点は府中街道と大山街道との交差点です。そればかりでなく、神奈川県道14号鶴見溝ノ口線の終点が、ここ高津交差点なのです(この交差点より奥は川崎市道ということになります)。
私は、大学院生時代に田園都市線の溝の口駅を利用していました。その頃、時々、「公証役場はどこか」などと尋ねられました。「公証役場はこの駅ではなく、高津駅の近くです」と答えると、怪訝な顔をされたものです。しかし、元来はこちらが溝口の中心部でしたから、仕方がないのです。
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