朝日新聞社のサイトに、今日(2022年9月7日)の9時30分付で「安倍元首相の県民葬『地方自治法を根拠に実施』 山口県が見解示す」という記事が掲載されていました(https://digital.asahi.com/articles/ASQ9676MHQ96TZNB00K.html)。
それほど詳しい記事ではないのですが、見出しで或る程度の内容がわかるものとなっています。
山口県は、10月に安倍元首相の県民葬を予定しています。これについて、市民団体が質問書を県に出しており、県が9月5日に回答したということです。
その内容は、県民葬の法的根拠が地方自治法にあるというものです。記事には「県庁で団体のメンバーに面会した県の担当者は、県民葬に関する事務について、地方自治法の定める『地域における事務』にあたるとして、『実施の法的根拠がある』と説明した」と書かれています。
おそらく、地方自治法第2条第2項にいう「地域における事務」をいうのでしょう。しかし、内閣総理大臣経験者の葬儀は同項にいう「地域における事務」に該当すると解すべきなのでしょうか。
例えば、当該地方公共団体の長や、議会の議員が現職で死亡した場合に葬儀を行うというのであれば、それは「地域における事務」に該当すると言えなくもないでしょう。元職であっても同様と考えられます。しかし、この場合であっても所属会派の限定などがないことが条件となります。そもそも、法律や条例の制定状況によっては「地域における事務」に該当するという解釈には無理が生じます。
ここで、地方自治法第2条第2項の文言を引用しておきましょう。
「普通地方公共団体は、地域における事務及びその他の事務で法律又はこれに基づく政令により処理することとされるものを処理する。」
都道府県および市町村が処理するとされる事務は「地域における事務」と「その他の事務で法律又はこれに基づく政令により処理することとされるもの」とに分けられるのですが、「地域における事務」とはいかにも漠然としているという憾みがあります。地方自治法の解釈に際して参照すべき定番の文献、松本英昭『新版逐条地方自治法』〔第9次改定版〕(2017年、学陽書房)の38頁に、次のような文言があります。
「『地域』という用語を用いたのは、普通地方公共団体の包括的な自治権能を表現するため、単なる空間的な概念のみを表す用語でなく、普通地方公共団体の要素である『区域』『住民』『法人格と自治権』を含め、広い意味でとらえ得る用語がふさわしいと考えられたからである。この文言を用いることにより、現に地方公共団体において処理されている事務のほとんど全てを含み得る広い概念として構成されている。このような意味で、ある事務がその区域内で場所的に完結しているかどうかではなく、住民を含め当該地域との合理的な関連性が認められれば、『地域における事務』であると考えられる。」
また、上記記事による限りではありますが、山口県の回答に疑問をよせるならば、県民葬は「地域における事務」のうち、地方自治法第2条第8項にいう自治事務なのか、同第9項にいう法定受託事務なのかということが答えられていないのです。法的根拠を言うのであれば、自治事務、法定受託事務のどちらに該当するかを回答すべきでしょう。おそらく、山口県が想定しているのは自治事務なのでしょう。
松本氏の解説書を引用したのは「住民を含め当該地域との合理的な関連性が認められれば」という部分に注目したからです。また、法律を解釈する場合は、ただ当該条文の文言の解釈からスタートすることは当然ですが、関連する規定も参照して文言の意味を確定すべきでしょう。今回の場合は「地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする」という地方自治法第1条の2第1項の規定を参照すべきでしょう。同項は国と地方との役割分担に係る規定ですが、地方公共団体が所掌すべき事務、とくに「地域における事務」の基本的性格を示すものと考えるべきでしょう。「住民を含め当該地域との合理的な関連性」の有無は、第1条の2第1項にいう「住民の福祉の増進を図ること」が認められるか否かによって判断すべきであると考えるべきでしょう。
さて、県民葬には「住民を含め当該地域との合理的な関連性」が存在するのでしょうか。前述のように、当該地方公共団体の長や、議会の議員が現職で死亡した場合に葬儀を行うというのであれば、それは「地域における事務」に該当するとも考えられます。元職であっても同様です。さらに、当該都道府県または当該市町村から選出された(正確な文言ではないのですが、便宜上このように記します)現職の国会議員または国会議員経験者の県民葬または市町村民葬であれば、理解も可能です。但し、これも既に述べたように、所属会派の別を問わず、全ての国会議員(経験者)について県民葬または市町村民葬を行うことが条件となります(少なくとも、その候補となりうることが条件でしょう)。
しかし、そもそも要人の葬儀が「住民の福祉の増進を図ること」につながるのでしょうか。つながらないのであれば「合理的な関連性」は認められないでしょう。「合理的な関連性」があるというのであれば、その論拠を示すべきでしょう。今回の山口県の回答に論拠が示されているかどうかは不明ですが、おそらくは県予算からの支出を伴うことからしても、合理性を論証すべきでしょう。
もっとも、国葬、県民葬ということからすれば、対象は誰でもよいという訳ではないという声があることは理解できます。当然のこととも言えるでしょう。それでも、何らかの明確な判断基準は必要でしょう。多くの国民から疑念の声が出されていることには様々な理由がありますが、やはり、国葬なり県民葬なりの挙行に際しての明確な判断基準が存在しないことが大きいでしょう。都道府県または市町村の教育委員会の動きなどを見ると、混迷ぶりがよくわかります。
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