ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

秋月城址へ行く(7)

2015年03月08日 01時29分10秒 | 旅行記

 〔今回は、「待合室」の第301回(2009年2月17日から24日まで)として掲載した記事の再掲載です。かなりの時間が経過したこともあって、一部を修正しております。なお、写真撮影日は2008年9月7日です。〕

 

この場所に城の建物があったのか、当時からこのような並木道であったのかわかりませんが、山奥へ続くような細道がありました。奥のほうに登り坂があります。

 慰霊塔です。元々何のために建てられたのかについては、解説らしいものがあったと思うのですが、撮影しておりません。1876(明治9)年に起こった秋月の乱で没した人々のためのものでしょうか。それとも、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦のいずれかの戦争によって没した人々のためのものでしょうか。

 かつて、ここに秋月城の天守閣などがあったのでしょうか。現在は公園のようになっており、ここで子どもたちが遊んだりすることもできます。まさに「兵どもが夢の跡」です。右側のほうに秋月中学校の校庭がありますが、上の写真の場所と校庭はつながっており、これと言った仕切りらしいものはありません。

 城址の中にある秋月中学校の校舎です。運動会などでお馴染みのテントがいくつも置かれていましたので、運動会が近かったのかもしれません。灰白色の校庭は少し狭そうです。それよりも、やはり校舎を見るべきでしょう。竣工から何年経っているのかわかりませんが、今も2階建て、昔ながらの建築であるように見えます。ここに鉄筋コンクリートの3階建てか4階建ての校舎を建ててみても似合いません。きちんと、真平でない屋根が付いているところがいいでのではないでしょうか。

 一通り歩いて、自転車を置いた場所に戻ります。今は涸れていますが、ここに堀がめぐらされていたことがすぐにわかります。用途を失い、苔などが生えていますが、これも独特の雰囲気をかもしだしています。

秋月城の主であった黒田家の職制が書かれた案内板がありました。

さて、ここから自転車に乗り、今度は秋月八幡宮を目指します。


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