ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2024年立夏の兵庫島 その1

2024年05月06日 10時10分00秒 | まち歩き

 2015年4月、このブログに兵庫島で撮影した写真を掲載しました

 その後、2019年10月の台風で被災し、しばらく兵庫島に行けない状態が続きました。何時頃のことかわかりませんが、兵庫島に行くことができるようにはなりました。しかし、長期工事中であり、現在も迂回を強いられます。

 写真掲載から9年、2024年の立夏に、妻と兵庫島を歩きました。その際に何枚か、SONY Cyber-shot DSC-WX500を使って撮影をしたので、掲載しておきます。2015年の写真は何のカメラを使ったか、CANON EOS Kiss X5だったかな、そう言えば、2012年2月、EOS Kiss X5を買ってからすぐに兵庫島で撮影したな、などと思いながら歩いていました。最近手放したのですが、またミラーレス一眼カメラを手にしたいと考えています。どうでもよいことを記しました。

 以前にも記したことですが、兵庫島は、現在、二子玉川緑地・多摩川二子橋公園と陸続きになっています。多摩川と野川の合流地点が兵庫島ですので、二子橋は(喩えが悪いですが)石を投げれば届くほどの所にあります。ちょうど、大井町線の5両編成が橋を渡っています。手前が道路の二子橋で、かつては大井町線の電車が道路の真ん中を走っていました。

田園都市線の電車と大井町線・田園都市線を直通する急行が行き交うところを撮影しましたが、遠すぎました。右側に二子新地駅が見えます。

 2019年10月の台風で水没したはずの池ですが、御覧のように復活しました。角度のせいか、それとも底のためなのか、緑色に見えます。二子橋と新二子橋との間で、被災前は二子橋から少しばかり新二子橋のほうに向かった所から野川に架かる橋を渡ってここに着くことができましたが、現在は工事中で二子橋の下流側、玉川一丁目からの迂回を強いられます。

 地図を見ると、この池は東京都世田谷区玉川三丁目にあるのですが、左側に僅かながら神奈川県川崎市高津区の場所があります。境界を示すものが何もないのでわかりませんが、高津区瀬田と高津区久地一丁目となっている所があるのです。この辺りに限らず、多摩川をめぐる東京都と神奈川県との境界は複雑です。

 兵庫島は世田谷区立の公園とされています。先程の池のそばに木々が生い茂る場所があり、小高い丘のようになっています。登ってみると、新奥沢線新奥沢駅跡砧線中耕地駅跡と同じような石柱が建てられていました。玉川地域活動団体連絡協議会が設置したものでしょう。

 兵庫島の名称の由来が書かれた説明板です。これも以前に取り上げたことがあるのですが、世田谷区は、矢口渡について大田区ではなく稲城市にあったという説を採るようです。同市には矢野口という地名があり、南武線の矢野口駅もあります(京王相模原線の京王よみうりランド駅も矢野口にあります)。矢野口と調布市多摩川との間に多摩川原橋が架かっていることも付け加えておきましょう。

 ただ、同じような地名が近隣にいくつもあるという例は少なくありません。矢口渡が大田区と稲城市の双方にあってもおかしくはないでしょう。

 左側に案内板があります。ただ、この裏の説明板の内容が古く、駅名が二子玉川園になっていたり、二子玉川駅から渋谷に向かう鉄道路線が新玉川線となっていたりします。勿論、二子玉川ライズなど書かれていません。新玉川線が田園都市線に編入されたのが2000年8月6日で、二子玉川園が二子玉川に改称されたのも同日です。従って、案内板は20世紀中に作られたのでしょう。


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