朝日新聞社のサイトを見ていたら、「車で一周30分、冬眠ほとんどが顔見知りの選挙戦 大分」(https://www.asahi.com/articles/ASNBW6T59NBTTPJB006.html)という、10月28日11分50分付の記事を見つけました。大分県にある姫島村の話です。
この姫島村は、国東半島の北側にある離島の姫島のみを領域とする村で、国東市の伊美港(合併前は国見町)からフェリーに乗ると到着します。私も一度だけですが行ったことがあります(大分大学時代、当時の県内58市町村全てをまわっています)。平成の大合併では東国東郡の4町と合併するという案が大分県から示されていましたが、姫島村は自立を選択します。そのため、大分県では現在唯一の村であり、人口も最少です(1938人)。
現在の村長は1984年に初当選して以来、現在まで9期務めています。現在の村長の父親である前村長が7期連続で無投票当選、現在の村長は8期連続で無投票当選でした。これはかなりの記録であると思うのですが、2016年、久しぶりに現職と新人の争いとなりました。実に61年ぶりの村長選挙戦となった訳で、何度かテレビ番組などでも取り上げられました。結果は現職の勝利で、現在は9期目です。
そして今年、2020年です。11月1日に村長選挙が行われるということで、村長選挙の告示は10月27日に行われました。現在の村長が当選すれば10期目となり、九州では最多当選、最長在職期間となります。候補者は2人で、2016年の村長選挙と同じです。
1955年の村長選挙から2016年の村長選挙までの61年間、姫島村の村長選挙で無投票当選が続いたのは、1955年の村長選挙戦で島を二分する程の激しい争いとなり、住民の間でしこりが残ったからであると言われています。おそらく、島民の間で長く語られてきたのでしょう。
姫島村には選挙ポスターに関する条例がありません。そのため、選挙戦などではおなじみのポスターは作られていません。また、選挙カーも使われてこなかったのでした。本当に選挙カーがないのか、村長選挙について使われなかっただけなのか、村長選挙でいずれかの候補が使わなかっただけなのかはわかりませんが(村議会議員選挙も行われていますので)、記事にも書かれているように姫島は車を使えば30分ほどで一周できるほどの大きさの島なので(車で文字通りの一周をすることはできなかったと記憶していますが)、選挙カーは不要であるとも言えます。
21世紀に入ってからの一時期、地方公共団体の長(都道府県知事、市町村長)の多選が問題とされ、いくつかの地方公共団体において多選自粛条例が制定されました。しかし、憲法上の疑義が出されたこともあり、制定当時の長にのみ適用される(私が住んでいる川崎市の条例もこの類です)、または廃止されることで、現在も施行されている地方公共団体は非常に少なくなっています。
「近年、長の多選に対する批判が強くなり、多選自粛条例を制定する自治体も登場している。勿論、多選が直ちに地方政治に弊害をもたらす訳ではないという意見もある。平松氏は、一貫してその立場を取り続ける。しかし、現実の問題として、長の在任期間が長ければ長いほど、停滞感が漂い、腐敗などが起こりやすくなるのも事実である。少なからぬ国民が、このことを実感しているし、国際政治や歴史などの観点からしても、いわば経験知に属するであろう。」
これは、私が2003年に書いた「リーダーたちの群像~平松守彦・前大分県知事」(月刊地方自治職員研修2003年10月号31〜33頁)からの抜粋です。今も考えを変えていませんが、市町村の場合はそれぞれの事情があり、簡単に書けるものではないことも承知しています。
しかし、姫島村の現状をどう打開するかという視点は必要です。1955年には人口が4200人ほどであったそうですが、現在は1938人で、そのうち有権者は1780人です。御多分に漏れずというべきか、高齢化率も高く、65歳以上の住民が全住民の51%を占めています。これは大分県内で最も高い数字であるとのことです。また、姫島村といえば水産業(養殖を含みます)ですが、従事者も20年前と比較して6割も減り、200人程となっています。
大袈裟かもしれませんが、姫島村の将来を決める村長選挙と言えそうです。どのような結果になるのか、注視したいと考えています。
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多選をどのように定義するかは難問とも言えますが、群馬県は5期以上を務める県内市町村長のデータを公式ホームページで紹介しています。また、全国知事会の公式ホームページによると、現在、7期目が石川県知事、5期目が青森県知事、兵庫県知事、徳島県知事、大分県知事、4期目が岩手県知事、栃木県知事、富山県知事、岐阜県知事、奈良県知事、熊本県知事となっています。
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平成の大合併は、西高東低の傾向があったとは言え、日本全国を覆いました。大分県は市町村合併に熱心であった県の一つで、2000年12月15日に発表した市町村合併推進要綱において別府市を除く全市町村について合併を促し、県内を14の行政区域にまとめるという案を提示しました。実際にはこの案の通りにならない所もありましたが、18の市町村に統合される結果となりました。合併せずに残ったのは、別府市、日出町、玖珠町、九重町、津久見市、そして姫島村です。やはり、それぞれの事情があります。合併協議が難航した結果によるところもあれば、そもそも合併協議につくこともできなかったところもあります。
当時、私は勤務地の都合などもあって市町村合併問題に取り組んでおり、講演をしたり論文を書いたりということを行っていました。今でもその頃のことを思い出すことがあります。今は中津市の一部となった耶馬溪町で講演をさせていただいた時の、会場の熱気は忘れられません。
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