ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

秋月城址へ行く(1)

2015年02月28日 20時17分40秒 | 旅行記

 〔今回は、「待合室」の第284回(2008年9月17日から24日まで)として掲載した記事の再掲載です。かなりの時間が経過したこともあって、一部を修正しております。なお、写真撮影日は2008年9月7日です。〕

 以前から何度も記しておりますが、私は2004年度から2012年度まで、西南学院大学法学部の集中講義「税法」を担当していました。途中、2007年度、2009年度および2011年度には福岡大学法学部の集中講義「財政法」も担当していましたので、本務校(大東文化大学)の夏休み期間中に2回も福岡市へ行きました。1日4コマを7、8日行うこととなっていたので、同僚などから「大変だね」などと言われることも多かったのですが、大分大学時代から福岡市、とくに天神にはよく遊びに行っておりましたので馴染みもありましたし、気に入っている都市で仕事をすることができるのはよいものです。

 2008年度は、9月2日から、途中に2日間の休みをはさんで10日まで、西南学院大学で集中講義を担当いたしました。この年か翌年の世界都市ランキング(住みやすさなどのランキング)で、福岡市は、日本では東京の次という順位だったはずです。トップ10に入ったのが東京と福岡で、東京が3位、福岡が9位か10位であったと記憶しています。ニュースを聞いた時に納得した覚えがあるのです。

 西南学院大学における集中講義の期間中には土曜日と日曜日があり、この両日が中休みでした。そこで、毎年、この中休みを利用して、福岡県内を軸としてどこかへ行くことにしていました。2007年には、およそ4年ぶりに大分県日田市を訪れましたし、大牟田市、九州国立博物館も訪れています。今年は、朝倉市にある西鉄甘木駅へ行き、さらに秋月城址へ行こうと決めていました。

 ただ、秋月城址は甘木駅から少し離れた場所にあります。バス路線があるのかどうか調べたのですが、地域が地域だけに本数が少なく、そればかりか調べにくかったこともあり、これまで行く機会を見出せずにいました。甘木駅までなら、西鉄甘木線か甘木鉄道甘木線を利用すればよいことはすぐにわかるのですが、そこから先が大変なのです。レンタカーを借りようとも思ったのですが、費用などを考えれば電車とバスを利用したほうがはるかに安くあがりますし、楽です。

 ともあれ、甘木駅までは行ってみようと思い、西鉄福岡(天神)駅へ行きました。

 西鉄福岡(天神)駅 から甘木駅へ行く場合、いくつかの方法が考えられます。多分、最も多いのが、特急で西鉄久留米まで乗り、西鉄久留米で甘木行に乗るという人でしょう。次が、小郡まで急行に乗り、甘木鉄道に乗り換えるという人です。 かつては、急行で朝倉街道に出てバスに乗り換えるという人も多かったようです。しかし、私はいずれの方法もとらず、急行で宮の陣に出て、そこで甘木行に乗り換えるという方法をとりました。特急で西鉄久留米まで行って甘木行に乗っても、この甘木行が宮の陣で急行の到着を待つだろうと思ったからです。時刻表を調べたらその通りでした。それなら、特急に乗らず、8分後に発車する急行で十分ですし、 西鉄久留米で乗り換えるよりも宮の陣で乗り換えるほうが運賃が安く済みます。また、小郡で甘木鉄道に乗り換えるという方法ですと、接続の問題があり、甘木鉄道でよかネットカードを使用できないという問題もありました。

 大牟田行特急に間に合う時間で、3番線に特急大牟田行が止まっていますが、あえてその8分後の急行に乗ります。上の写真がそうで、2番線に急行花畑行が止まっていましたので、これに乗ることにします。かつての特急用、2000形です。かつて、と記しましたが、2008年にも時々特急に使用されていました。そうかと思うとラッシュ時などには普通電車として走っていました。

 右に写っているのは、現在の特急用の8000形で、今年導入されたICカードのnimocaの広告ラッピングをつけています。別の編成では西鉄100周年のラッピングになっていました。

 元々特急用としてデビューした2000形は、1973(昭和48)年から翌年にかけて製造され、同年にローレル賞を受賞しています。 6両編成6本が製造されており、私が撮影したのは最終編成です。計36両が製造されましたが、既に1編成か2編成が廃車となっています。1989(平成元)年に8000形がデビューしたため、2扉から3扉に改造された上で急行用に格下げされましたが、座席などは転換クロスシートのままです。中央に運転席があるという点も珍しいでしょう。

 ローレル賞受賞を示す円形プレートが付けられています。その左隣は電光式の案内表示板で、停車駅などを表示します。

 「懐かしい」とお思いの方もおられるでしょう。2000形は、2010年10月17日を最後に、西鉄天神大牟田線から引退しました。なお、2000形の2枚の写真は、このブログに2012年01月07日23時22分10秒付で掲載した「西鉄2000形の写真」に掲載されています。

 9時38分になり、急行花畑行が発車しました。私が時折歩いたりする薬院と大橋に止まり、太宰府天満宮へ行く際の乗換駅である西鉄二日市、車庫のある筑紫を過ぎると、かなりのスピードを出し、いつの間にか筑前から筑後に入り、無人駅の味坂あたりを通過する際には九州自動車道の向こう側に鳥栖の市街地を眺め、10時12分、宮の陣駅に着き、1番線の甘木行ワンマン電車に乗り換えます。単線で、時折は住宅地、大部分は畑の中をゆっくりと走っていきます。乗客の態度までガラリと変わります。電車の中では、若い連中がこのあたりの方言丸出しで大声で話しまくっていました。今、関西地方は別として、きつい訛を聞ける機会は少なくなりつつあります。

 10時13分に宮の陣駅1番線から発車した甘木行ワンマン電車は、10時47分に終点の甘木駅に到着しました。到着する前に甘木鉄道の線路が見えますが、駅は全く別の場所にあります。西鉄の甘木駅は、上の写真の通りで、駅前にはバスターミナルもなく、秋月や田主丸などへ行くバスの停留所もありません。 なお、この駅舎は、現在の西鉄の駅では最も古い建物だそうです。

 考えてみれば、甘木駅で降り立ったのはおよそ7年7か月ぶりのことです。当時、私は大分大学教育福祉科学部の講師でした。翌年(2002年)に助教授になり、その2年後(つまり2004年)には大東文化大学に移り、またその3年後(つまり2007年)には教授になりました。月日の流れるのは……と言いますが、駅とその周辺はあまり変わっていないように見えます。

 それにしても、ここが旧甘木市の玄関口であるとは思えない小さな駅です。これでも甘木線の駅としては大きいほうで、この駅には自動改札機がありますからよかネットカードは問題なく使えますが、ホームが狭いこと、駅員が1人か2人しかいないことなどは共通していますし(馬田と上浦は無人駅)、他の駅には自動改札機もありません。

 上の段落で旧甘木市と記したのは、2006(平成18)年3月20日から、この甘木駅周辺が朝倉市の一部となったからです。

 甘木市は、元々朝倉郡の一部でした。1954年に甘木市が成立しましたが、平成の市町村合併と言われる大波の中、甘木市と朝倉郡全町村、1市4町2村での合併が検討され、任意の合併協議会が設置されました。しかし、法定の合併協議会が設置される際に夜須町と三輪町は参加せず、この二つの町は別に合併して筑前町となっています。法定合併協議会での協議も整わず、2004(平成16)年4月に解散しています。この結果、小石原村と宝珠山村は枠組みから外れ、別に合併して東峰村となりました(以前、このコーナーで取り上げた宝珠山駅のある場所です)。同年10月、甘木市、朝倉町、杷木町が合併協議会を設立します。その結果、朝倉市が成立した、という訳です。

 旧朝倉町と旧杷木町には大分自動車道が通っていますが、鉄道路線はなく(第二次世界大戦前にはあったのですが)、甘木駅が朝倉市の玄関であるということになります。

 先ほどまで私が乗っていた7000形です。ここから大牟田まで2両で走ります。甘木線と天神大牟田線(宮の陣~大牟田)のワンマン運転用ですが、編成によっては4両で天神大牟田線の福岡側や太宰府線を走ります。2001(平成13)年にデビューしています。

 駅前の道路は国道322号線で、奥のほうへ進むと大分自動車道甘木インターチェンジの少し西側を通り、大刀洗町役場の近くを通って久留米に行けます。逆に手前のほうに進むと、すぐに交差点がありますので左折し、次の交差点で右折しますと、秋月のほうへ行けます。国道322号線は、北九州市小倉北区から田川市、嘉麻市を通ってこの甘木駅に出て、大刀洗町を通って久留米市へ向かう道路である、ということなのです。

 右側に公衆電話があり、そのすぐそばに灰色のポストのようなものがあります。プロパンガスのボンベのようにも見えますが、これが「悪書追放」ポストです。東京都や神奈川県ではあまり見られませんが、福岡県などでは時折見かけます。形は様々ですが、このような場所では駅前などに置かれています。ただ、大分県で見た記憶がありません。

 九州では、市街地が駅から離れているという場所が少なくありません。熊本市はその代表ですが、朝倉市もそうでして、市街地はこの駅から少し離れた場所にあります。自動車であれば難なく探し出せるかもしれませんが、鉄道を利用する旅行客にはわかりにくいでしょう。レンタカーを借りればよかったかな、などとも思ったのですが、料金とガソリン代などを考えてあきらめたのでした。今回は、集中講義の期間中にしては珍しく運転免許証を持参していたのですが。

 駅の改札口を出て左に歩くとすぐに交差点があります。懐かしさを覚えるような建物がありましたので、失礼して撮影させていただきました。

 川崎市でも、東急田園都市線の沿線、とくに旧大山街道では、このような構造の建物を見かけます。入口が引き戸になっていて、そこを開けて入るという店です。最近は少なくなってきて、郊外などでは見かけませんが、街道筋などでは残っています。私が小学生の頃には、上の写真のような建物の駄菓子屋や煎餅屋などが多くみられたものです。引き戸などは、営業時間中には完全に開けられている店も多かったのですが、閉める際には雨戸などを、ということになります。

 秋月へ行くバスは、西鉄甘木駅から少し離れた甘木鉄道甘木駅の前から出ます。そこにバスターミナルがあるからです。問題は出発時刻です。


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