(以下は、「待合室」第232回として、2007年10月8日から16日まで掲載した記事に修正を加えたものです。)
私が大東文化大学法学部の教授になってから5か月ほどが経過した2007年9月4日、九州、少なくとも福岡県ににお住まいの方々であれば御存知の街を歩きました。「関東地方などと言っても通用しそう……。やっぱり違うかな?」などと思えるような場所ですし、実は全国的にみても隠れた名所、穴場的な街です。そこは、福岡市博多区にあります。
天神から高速バスに乗って田川後藤寺に出て、日田彦山線に乗って日田へ行った日、何となく行きたくなった場所がありました。そこで、日田から高速バスに乗って天神へ戻り、西鉄天神大牟田線の普通電車に乗り、福岡市内では最後の駅となる場所へ行きました。何度も天神大牟田線に乗っていますが、おそらく、同線にある駅では最も下町という表現に相応しい所でしょう。東京で言えば京成押上線のどこかの駅にも似ているような気がします。(あくまでも私の印象ですが)天神大牟田線でこのような下町の印象を与えるような駅は珍しいのです。起点の福岡(天神)は 東京の銀座、新宿、渋谷、代官山(大名や今泉が代官山周辺と何となく似ているような気がするのです)を足してから4で割ったような場所であり、薬院から大橋までは東京の目黒区内の東急東横線沿線のような感じで、井尻が板橋区や練馬区の街並みに何となく似ています。春日原からは郊外の住宅地という風景になります。
上の写真がその下町のような場所にある駅の様子です。 天神大牟田線(と言っても福岡から花畑まで。但し、平日ラッシュ時には特急としても活躍します)の主力5000形が持つ、西鉄を印象付ける左右非対称のスタイルを踏襲した6000形の普通電車が停まっています(但し、5000形は力行ハンドルと制動ハンドルが別ですが、6000形以降の西鉄電車は東急でおなじみのT型ワンハンドルマスコンを採用しています)。この駅には普通電車しか停まらないのですが、福岡市内ということもあって、乗降客は多いようです。カーブの途中にホームがあり、特急や急行もこの駅では速度を落とします。
この駅は、天神大牟田線では唯一、博多区内にあります。しかも、同線で最も難読で、漢字で書くのも難しい駅でしょう。雑餉隈です。これで「ざっしょのくま」と読みます。西鉄福岡(天神)駅から電車に乗り、井尻を過ぎるとJR鹿児島本線を越え、右にカーブします。その途中にある駅です。ここは、武田鉄矢氏の出身地としても知られています。また、いまやインターネットや携帯電話ではおなじみのソフトバンクの発祥の地です。そして、福岡県や大分県ではおなじみのスーパーマーケット、マルショクの発祥の地でもあります。
難読の地名や駅名は、意外に多いものです。福岡市内にもあります。中央区の警固(けご)、東区の馬出(まいだし)、早良区(区名自体が読みにくいのですが「さわらく」です)の野芥(のけ)は、その代表でしょう。博多も、有名であるから難読と評価されないだけで しょう。
また、 難読というカテゴリーとは異なりますが、同じ漢字を記しても地域によって読み方が異なるという場合があります。その極端な例は別府でしょう。別府と書けば、多くの人は大分県の別府市を想起するでしょう。これは「べっぷ」と読みます。しかし、同じ九州でも、福岡市の地下鉄七隈線にある別府という駅(所在地は城南区)がありますが、こちらは「べっぷ」ではなく、「べふ」と読みます(兵庫県にも同じ読み方の地名があります)。 今度は、福岡から大分を通り抜けて宮崎県延岡市に行きますと「別府」という交差点がありますが、信号待ちをしている間に案内板をみて驚きました。どう考えてもそう読めなかったからです。延岡の別府は「べっぷ」 でも「べふ」でもなく、「びゅう」と読むのです。ちなみに、そこは何の変哲もない場所でした。
もう一つ、例を思い出しました。福岡県行橋市、日豊本線に新田原という駅があります。これは「しんでんばる」です(原という字を「はる」あるいは「ばる」と読むのは、九州や沖縄の特徴です。但し、常にそう読むわけではありません)。そこから南下して宮崎県児湯郡新富町に入りますと、航空自衛隊の新田原基地があります。こちらは「にゅうたばる」と読みます。通常、「新」の音読みは「しん」であり、「にゅう」とは読まないはずです。最初に知ったときは英語のnewを漢字の読みに当てたのかと思ったほどです。
雑餉隈駅を出ると、東口のほうは住宅街で、西口のほうにはいくつかの商店街があります。道幅は狭く、東京でなら荒川区の三ノ輪橋、板橋区の仲宿や豊島区の駒込のような感じでしょうか。区画整理もなされていないようで、斜めに伸びる途中で曲がったりしている道路がいくつもあります。春日原駅側の踏切からまっすぐ伸びる道路を歩くと、すぐにアーケード商店街があります。新天町商店街です。この商店街はJR南福岡駅のほうに伸びていますが、アーケードの距離は短いほうです。
西鉄天神大牟田線とJR鹿児島本線はほぼ並行して通っていますが、正真正銘の乗換駅は大牟田だけです。しかし、駅が比較的近い場所にあるという例はいくつか存在します。雑餉隈駅はその代表例で、JR南福岡駅までは十分に歩ける距離です。しかも、JR南福岡駅は、かつて雑餉隈と名乗っていました。
しかし、地図を見ても、福岡市博多区には雑餉隈という地名がありません。この商店街の名称が示すように、雑餉隈駅の西側は新天町といい、東側は麦野といいます。現在、 福岡市内での雑餉隈は通称なのです。ところが、雑餉隈駅と春日原駅との間、というより春日原駅付近ですが、大野城市には雑餉隈という地名が存在します。ややこしいのですが、このあたりは福岡市博多区、春日市、大野城市の境界が複雑に設定されていますので、仕方のない話です。
商店街にこんな手作りの案内板がありました。「よござっしょ」は「ようござんす」の博多弁「よござす」と雑餉隈とをかけている洒落になっています。博多弁を使っている人たちにとっては駄洒落でしょう。博多にわかの伝統も感じさせます。そう言えば、九州朝日放送の有名アナウンサー、沢田幸二氏のブログの名称も「よござっしょのくま日記」となっています。
博多にわかは、或る意味で江戸の小噺、謎かけなどと共通する、かなり洗練された言葉遊びと言えます。少なくとも、今の関西系の漫才などではみられない、非常に豊かなセンスに溢れた言葉遊びです。言葉で遊ぶという点で、東京と福岡に、本当に洒落た芸能が存在することに、川崎市出身の私は驚かされました。 ユーモアという点では博多にわかのほうが上かもしれません。
最近、とくに強く思うのですが、関西系をはじめとして、漫才、漫談、コントなど、お笑いのレヴェルがかなり落ちているような気がします。多分、関西の芸人には謎かけも都都逸もできないでしょう。これらはかなりのセンスを要求します。私自身がうまくできないのですが、上手い謎かけや都都逸を聞く度にセンスの良さに感心するのです。言葉遊びができないし、避けられているのです。他人の失敗を笑ったり、自分の失敗などをネタにするのは、ギャグであるとしても安直に過ぎます。やはり、気の利いた洒落、風刺などが必要です。私も、時折ですが漫才や漫談などを聞いたりします。しかし、エスプリを感じさせるものがほとんどありません。だから残らないのでしょうか。
言葉遊びは、外見は上品で、中身にはいくらでも皮肉などをこめられる、という良さがあります。日本人が失いつつあるものは、言葉の美しさでも何でもなく、言葉遊びのセンス、もっと言うならば洒落のセンスでしょう。「おやじギャグ」という言葉を聞く度に、日本人の言語感覚が衰えているような気がしてならないのです。そもそも、日本人は昔から洒落と七五調で言葉遊びを楽しんでいたものです。万葉集以来の掛詞も、手っ取り早く言えば洒落のようなものです。
博多にわかには、かなり広い意味での洒落があります。芸人を自称するなら、落語、都都逸くらいは、できれば博多にわかも勉強して欲しいものです。
歩いているのは、夕方と言うには少しばかり早い時間ではあります。人通りが少ないのは気になりますが、どうなのでしょうか。もう少し時間が経てば、人が増えるのでしょうか。屋根から吊り下げられている飾り物も気になります。まさか、長月に七夕という訳でもないでしょう。しかし、こういう商店街をのんびりと歩いていると、まるで時間が遡ったような感じがして良いものです。魚屋や八百屋のおじさんやおばさんが、威勢のいい掛け声を出しているところなどを聞ければ、さらにうれしくなるものです。そのような店は本当に少なくなりました。私が大学生の頃には、アルバイトでそんなことをやったりもしたものですが、今では大きな声で「いらっしゃい!」も「ありがとうございます」も言えない店員ばかりが巷に溢れています。これも商店街の衰退などが引き起こした現象なのでしょうか。逆に、衰退の原因となったのでしょうか。
福岡で、ようやく本当の駄菓子屋さんを見つけました。他の商店街にもあるのかもしれませんが、雑餉隈で、私が小学生であった頃にはいくらでもあった駄菓子屋さんそのものを見つけました。思わず入り、少しばかりですが売り物を眺めました。10円から100円までの駄菓子は勿論、数百円のおもちゃなどもありました。
この駄菓子屋さんのそばにある交差点(上の写真では左側のほうにあります)からアーケードを抜けると、今では飲み屋が数軒とパチンコ屋くらいしかないような通りがあります。「案内所」らしいものもありました(違うかもしれません)。観光名所でもないのに「案内所」があると言えば、いわゆる風俗街です。雑餉隈は風俗街でもあったそうです。何となくですが、その雰囲気が残っていました。駄菓子屋さんなどがある商店街の近くに大人の歓楽街があるというのも変な話ではありますが、かつてはそういうものだったのでしょう。福岡の歓楽街と言えば、何と言っても中州ですが、雑餉隈もそういう街であったのでした。
ちなみに、私はいわゆる歓楽街を好みません。そのため、東京なら新宿の歌舞伎町、福岡なら中州、というような場所にはほとんど行きません。歩いても面白いと思わないからです。大分の歓楽街、都町にも、昭和通りの第一勧業銀行(現在のみずほ銀行)大分支店を除けば、1年に1回くらい行けばよいほうでした(かつての住人という立場で記すと、もし大分市で美味しいものを食べたいのであれば、郊外を車で走り回って探すことをお勧めします。かつてのゼミ生たちを連れて行って好評だったのは、ほとんどが郊外にある店でした)。川崎市出身ですが、堀之内を歩いたこともないし、川崎駅東口の飲み屋街を歩いたこともありません。もっとも、東京であれば銀座や日本橋なども、私の好みからは外れます。幼い頃から、何度か、銀座や日本橋には行っていますが、いまだに、銀座の何処が面白いのか、よくわかりませんし(本、CD、楽器などを基準にすれば、自然にそうなります)、日本橋も、丸善が閉店して東京駅前に新しい店ができてからは行かなくなりました。せいぜい、愛車を走らせて通過するだけです。
雑餉隈駅付近の商圏はそれほど広くないようです。歩いているうちに、また天神大牟田線の近くに出ました。6050形の普通電車大善寺行が通ったので、ついでに、というような気持ちで撮影しました。何故か、この色彩が気に入っているのですが、日本は勿論、外国でも西鉄電車のような青色(アイスグリーンとも表現されます)の鉄道車両はほとんどないでしょうし、このような色の自動車も見たことがありません(そもそも、自動車会社のほうで用意していないでしょう)。福岡でしか見られない、独特の色彩です。
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