10月1日、安倍内閣総理大臣が2014年4月1日からの消費税(地方消費税を含む)増税を発表しました。法人課税減税もセットにしています。
翌日の新聞には、当然のことながら、消費増税に関する記事が多く掲載されました。その中で、朝日新聞朝刊17面13版に掲載された「耕論 増税は決めたけど」が特に気になりましたので、今回、ここに取り上げる次第です。
この記事は、「乏しい『正当性』、説得力なし」と題された、北海道大学教授の橋本努氏へのインタビュー記事と、「生活弱者の切り捨てに懸念」と題された、自立生活サポートセンター「もやい」理事長の稲葉剛氏へのインタビュー記事から成ります。どちらも読み応えのある記事ですが、気になったのは橋本努氏のほうです。理由を記せば、端的に立論に問題があるからです。
元々、今回の消費増税は、民主党政権時代末期の野田政権の時に、社会保障と税の一体改革の中身として、まさに社会保障の充実のためとして決定されたことです。その中身あるいは方法についての検証は、さしあたり、日本再建イニシアティブ『民主党政権 失敗の検証 日本政治は何を活かすか』(中公新書)を参照していただくとして、政権交代の後、消費増税の意味がよくわからなくなったことは否定できません。
橋本氏は「安倍政権は消費税率を3%幅引き上げ、5兆円規模の経済対策で国民に還元するとして」いることを指摘した上で「これでは財政赤字の拡大を防げず、なんのための増税なのか、思想がはっきりしないまま国を借金づけにする恐れがあります」と評価します。私も、この評価は正当なものと考えています。
注目すべきは、次の発言で、私の疑問の一つでもあります。
「解雇のハードルを下げる特区をつくるなどの規制緩和を目指す一方で、国債を増発して公共事業を増やし、増税もする。こうした安倍政権の経済政策は、『新しいタイプの新自由主義』にもとづくものでしょう。」
これが新自由主義なのか。新自由主義と土建国家の合体に過ぎないのではないか。
内容が目新しいものとも思えず、むしろ、第一次安倍政権、福田政権、そして麻生政権の特徴を端的に言い表したかにも見えます。新自由主義の抱える問題点に切り込みにくくなるのではないか、という懸念も生まれるでしょう。
しかし、思想を学習し、研究する際に留意すべき点を心得るならば、橋本氏の主張にも首肯することは可能です。社会契約論であれドイツ観念論であれ社会主義であれ、単純化したモデルで理解することは危険です。或る意味では日本人が得意とするステレオタイプや、過度なタイプ(グループ)分けに陥りがちで、正確な理解を不可能にするからです。それに、思想、主義といったものがいつまでも固定的な姿をしていると考えるのも不自然で、人によって、時代によって、形も中身も変わってくるものでしょう。
橋本氏は、「従来の新自由主義は、市場での自由な競争を重視し、できるだけ規制をなくして、政府の役割を小さくしようとしました。税金も低ければ低いほどいいので、増税には反対。こうした従来型の典型が、日本でいえば小泉政権です」と述べます。しかし、このような典型で理解することができるのは2008年秋のリーマン・ショックまでである、というのです。この大事件がきっかけとなって、新自由主義に様々な変形が認められるようになったのでしょうか。氏は「国が借金をして経済や福祉にカネをつぎ込むのは、ある程度は仕方がないという方向になった」とした上で、「新自由主義が福祉国家の考え方と融合して」、あるいは新自由主義が福祉国家の一部を取り入れて、氏の言う「北欧型新自由主義」が存在するというのです。北欧と言えば、消費税率が高いことでも知られています。その下で、一方で金融の自由化を、もう一方で労働環境の整備を進める、というようなものです。
「北欧型」という言葉ですぐに連想されるのがスウェーデン、次にデンマークというところでしょう。橋本氏もスウェーデンを例に挙げ、「北欧型新自由主義」の特徴は「所得税の累進課税のように政府による裁量の幅が大きい制度よりも、全員に一律の高い消費税率を課すという発想」であると述べています。
私の次の疑問は、ここにあります。先に挙げた疑問よりも、こちらのほうが大きなものです。
そもそも、新自由主義としてまとめられる思想の多くに共通するのは、実質的平等を実現しようとする志向がない点です。平等を非常に形式的に捉えているのです。選挙権の平等と同じように考えている、と表現すれば良いのでしょうか。1990年代から大蔵省・財務省が主張し続けている、所得税の課税最低限の問題を想起していただきたいのです。新自由主義の立場からすれば、累進課税による所得の再分配は企業間の競争を阻害しかねない「余計なお世話」なのであって、実際の負担能力などに関係なく、全員が一律の割合または金額を負担するような税が望ましいでしょう。付加価値税はうってつけです。また、論者によっては人頭税を高く評価します。付加価値税以上に人頭税が、新自由主義にとって相応しい税であるとも言えるためです。
労働環境の整備を必要とするということは、それだけ、負担能力の低い者が多いということ、あるいは、負担能力に無視しえない格差が存在するということを意味します。仮に負担能力に格差が見いだされないのであれば、敢えて労働環境を整備する必要性など存在しえないからです。高い税率による負担を一律に課して調整するというのですから、よほど制度設計がしっかりしているのでしょう。還元率が高くなければ、多くの人々の理解を得られません。
また、「所得税の累進課税のように政府による裁量の幅が大きい」という主張の意味がよくわかりません。端的に意味不明な言葉であり、私の最大の疑問でもあります。租税法学の立場からすれば、ここでいう裁量が租税法を執行する際の裁量、つまり行政裁量であるとは思えません。納税義務者に対する税率の適用に裁量が認められるとするならば、適正な課税など期待しえないので、行政裁量の行使が違法とされるでしょうし、そのような裁量を認める法(法律など)が憲法に違反してしまいます。
従って、橋本氏が「裁量」と表現するのは立法裁量のことでしょう。あるいは政策決定における裁量と表現しても良いかもしれません。税率を決めるのは法律ですので、結局は立法裁量です。氏が言いたいことは、所得税などで採用される累進課税には立法裁量が認められるが、消費税のような比例税率、単一税率であれば、立法裁量は認められない、というのでしょう。
しかし、少し考えればすぐにわかりますが、この主張は支離滅裂であるというべきか、論理として、それ以前に話としても成立しません。もっと悪い言葉で記すならば「馬鹿な話」なのです。こんなことがスウェーデンなどの国で真顔で主張されるのであれば、日本は見習う必要もなければ、真似する必要などありません。
どのような税であっても、立法裁量が認められます。こんな単純な事実が、何故、累進課税について妥当するのに、付加価値税、消費税については妥当しないのでしょうか。納得のいく説明をいただきたいものです。
そもそも、財政について、税制について、労働環境について、災害対策について、その他あらゆる事柄について、立法裁量、政策決定における裁量が認められるのは当然のことです。税制に話を絞るならば、経済情勢などに鑑みて、具体的にいかなる税制を採用するかは、時の政府(ここでは立法権と行政権を念頭に置いています)が決めることでしょう。もう少し具体的に記すと、誰が課税権者となるか(国か都道府県か市町村か)、誰が納税義務者となるか、何を課税物件とするか、課税標準をどう表すか、そして税率をどのように設定するか、ということです。
おそらく、橋本氏の主張は、累進課税の場合は複数の税率を採用することになるため、税率の設定に関する立法裁量が増大するということでしょう。それなら意味がわからなくもないのです。但し、これは当たり前の話で、単一の税率を決めるよりも難しいからです。
しかも、累進課税を採用するにしても、税率の設定に一定の限界があるのです。いや、裁量の行使に限界があるのは当然です。その一つが憲法による限界(日本国憲法を例にとれば第14条、第29条、第25条など)であり、社会情勢、経済情勢、財政状況などによる限界もあります。他の租税との関連も考慮に入れなければなりません(タックス・ミックスというものが話題になるでしょう)。
こうした限界は、当たり前のことですが付加価値税(日本の消費税は付加価値税の一種です)にも妥当します。もうおわかりでしょう。税率を5%にするか8%にするか10%にするか25%にするか、こういうことはまさしく立法裁量です。
また、付加価値税などの間接税にも、当然ながら税率決定だけに裁量が認められる訳ではありません。課税主体をどうするかという問題がありますし、納税義務者を誰にするかという問題は避けられません(これが簡易課税制度にもつながります)。課税物件については、現在の日本の消費税法第6条が一定の非課税取引を定めています。その範囲を決めるにも立法裁量が認められます。税率について記すならば、軽減税率の導入の可否なども問題となります。
これ以上記してもあまり意味がないと思われますのでやめておきますが、累進課税については裁量が認められ、一律税率については裁量が認められないというおかしな話は、成立のしようがないのです。超過累進課税が「官僚の裁量を増やす」というのであれば、比例課税、一律課税も「官僚の裁量を増やす」場合があるのです。
新聞のインタビュー記事のみに拠っていますので、橋本氏の主張なり意見なりを私がどこまで正確に把握しているかはわかりません。かなり多くの省略があったかもしれません。私自身、大分大学時代には、ローカル記事ではありましたが大分合同新聞、西日本新聞、朝日新聞のインタビュー記事に登場したこともあります(以前はホームページにも掲載していました)。発表される前に私は目を通させていただきましたが、最終的には記者さん、さらには新聞社の編集部の意向によります。それに、紙面の都合上、省略や簡略化をせざるをえません。こうした事情は私もよく理解しています。しかし、こういうことを考慮に入れても、橋本氏の主張には疑問を抱かざるをえないという部分があるのです。
なお、橋本氏が述べている、「財政健全化のための『規律』はあるようですが、『ルール』がない」、「安倍政権の経済思想に欠けているのは『機会の平等』を実質化しようとする視点です」、子どもの貧困に関連して「民主党政権は、まがりなりにも『子ども手当』を最重要課題に掲げましたが、それよりもむしろ後退してしまっている」という主張には、基本的に同意できます。
〔蛇足にならない余計な話〕 18時30分頃、電話が鳴ったので出てみたら、結婚紹介所か何かでした。「結婚のお手伝いをしている」と言うので、私は「既婚者です」と言って切りました。
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