(今回は、2010年7月14日から21日まで「待合室」第372回として掲載した記事です。なお、一部を修正しています。)
九州の大動脈というべき鹿児島本線は、門司港から小倉、博多、鳥栖、熊本、八代、水俣、川内を経由して鹿児島までの路線でした。しかし、九州新幹線の開業とともに、門司港~八代、川内~鹿児島に分断されました。八代~川内は第三セクターの肥薩おれんじ鉄道に移管されたのです。この区間は鹿児島本線でも利用客の少ない部分でしたが、移管に際して地元の自治体が熊本県側と鹿児島県側とで分かれており、鹿児島県側では阿久根市(九州新幹線の駅がない)以外の沿線市町村が消極的な態度をとっていたという話を聞いたことがあります(但し、確かではありません)。旧鹿児島本線として建設されたのに支線に転落し、極端に本数の少ない区間もある肥薩線がJR九州に残り、幹線の一部分がJR九州から分離されるというのも、実におかしな話です。それとともに、今も鹿児島本線という名称が残っているのも不思議なことで、熊本本線と川内線などというように変更すべきではないでしょうか。
それはともあれ、2008年9月1日、鹿児島本線の一部であった肥薩おれんじ鉄道を川内から利用してみることとしました。
川内駅で八代までの乗車券を手に入れました。2250円です。この川内駅では、ホームの番号の付け方がわかりにくいものとなっています。その駅の隅に、肥薩おれんじ鉄道のディーゼルカー、HSOR-100形が停車していました。奥にコンテナが見えるように、鹿児島本線は貨物の動脈でもあります。そのため、肥薩おれんじ鉄道には貨物列車が走っており(JR貨物も出資しています)、その関係もあって交流電化がなされています。しかし、経費の節減ということで肥薩おれんじ鉄道の車両はディーゼルカーです。交流電車の製造および維持のコストが高いという理由もあるようです。これに対し、JR貨物が運行する貨物列車は、電気機関車が牽引する列車です。この日もED76が牽引するコンテナ貨物列車を見ました。
このディーゼルカーは途中の出水まで走ります。車体には表示がないのですがワンマン運転です。片手操作のワンハンドルマスコンを備えています。実際に乗ってみるとやたらと変速します。また、線形があまりよくないのに意外に早く走るためか、エンジン音もかなり大きなものになります。 薩摩高城駅からは東シナ海に沿って走りますが、ディーゼルカーの中では寝たり起きたりしていたこともあって、車窓を撮影することはできなかったのが残念です。折口駅から海が見えなくなり、出水駅に到着します。
かつては787系の特急「つばめ」、さらに寝台特急の「はやぶさ」や「なは」も走った区間を、一両のディーゼルカーは各駅に停車しながら走ります。私が乗った時には乗客が少なく、これでは第三セクターに分離されても仕方がないと思いました。川内駅を12時23分に発車し、出水駅には13時26分に到着しましたので、1時間3分もかかったことになります。九州新幹線なら12分です (そもそも、比較するのがおかしなことかもしれません)が、在来線時代の特急はどの程度の時間をかけていたのでしょうか。
出水と言えば鶴の飛来地です。そのため、駅には何羽かの鶴がいます。勿論、生きている鶴ではありません。
出水市を最初に通ったのは1999年8月のことですが、この時、私は川崎ナンバーの日産パルサーJ1Jを運転していました。そのため、出水駅のことは知りません。おそらく、何年も前からこのような鶴のモニュメント(?)が置かれていたのでしょう。
鶴とディーゼルカーの組み合わせです。ここは787系か寝台客車との組み合わせを見ておきたかったところですが、もうそれはできません。次にここを通ることがあれば、鶴の飛来の季節にこの駅を降りてみたいと思っています 。ただ、肥薩おれんじ鉄道の経営状況がよくないとのことですから、いつまで存続するのか、不安も残ります。
出水駅で八代行に乗り換えます。こちらはラッピング車両となっています。奥のほうに九州新幹線の高架橋が見えますが、このラッピング車両は鹿児島本線であった区間の各駅に停車します。
13時26分、八代行が発車しました。次の米ノ津あたりから有明海がよく見えてきます。天草諸島も見えました。米ノ津を発車してしばらくすると、鹿児島県から熊本県に入ります。そして、袋、水俣、新水俣と停車していきます。肥後田浦駅あたりからは不知火海が見えます。ただ、残念ながら、東シナ海、有明海、不知火海の境目などはよくわかりません。
八代に到着したのは14時57分でした。出水から八代まで1時間27分もかかったことになります。従って、川内から八代までは、接続のための待ち時間を除外して2時間30分もかかったことになります。九州新幹線なら、川内から新八代まで26分か32分で行けます。速さでは格段の違いがありますが、九州新幹線はトンネルばかりで海を見られる時間はほんの少ししかありません。車窓を楽しむなら、断然、肥薩おれんじ鉄道です。
鹿児島本線の普通電車に乗り換えたいのですが、発車時間まで14分あります。どちらにしても八代駅を出なければならないので、駅の周りを見ることとしました。ちなみに、八代駅は肥薩線の起点でもあります。
肥薩おれんじ鉄道の八代駅です。JR八代駅の南側にあります。線路はつながっていますし、ホームもつながっているのですが、駅舎は別となっています。
この辺りは、中心街から離れているようです。それにしても寂れた駅のように感じられます。駅のすぐそばには日本製紙の工場があり、降りた瞬間にはどこかの工業地帯に入り込んだかのようにも感じられます。この駅を利用したのは初めてのことでしたが、何度か写真や動画で見たことがあります。実際に目で見ると、写真や動画とは違うような印象を受けます。
九州には前衛歌人の種田山頭火の足跡が多く残っています。彼は1882年に山口県で生まれ、1940年に没しました。ここで「前衛」と記しましたが、山頭火の俳句は自由律であり、私にはむしろ俳句の原型を復活させたかのようにも思われます。文庫で句集を買った程度で、あまり詳しくはないのですが、心にズシリと来るような断片の重みを感じます。
考えてみると、日本語の詩が誕生した時、まだ一定のリズムなり作法なりは出来ていなかったはずです。万葉集の最初に登場する雄略天皇の長歌は、五・七調ではなく、典型的な長歌や短歌に慣れた者にとっては完全にリズムが崩れているかのように感じられるでしょう。しかし、歴史が進むに従って、五・七調という日本語特有のリズムが形成されたのでしょう。
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