ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

秋月城址へ行く(9)

2015年03月10日 00時02分32秒 | 旅行記

 〔今回は、「待合室」の第303回(2009年3月4日から10日まで)として掲載した記事の再掲載です。かなりの時間が経過したこともあって、一部を修正しております。なお、写真撮影日は2008年9月7日です。〕

 一旦、秋月城址を離れて秋月八幡宮へ行き、参拝しました。また秋月城址へ戻ります。今度は下り坂ですので、自転車を走らせるのも楽です。ただ、八幡宮から城址までは、舗装されているとはいえ道の状態があまりよく ありません。慎重に走らせます。

 城址に、上のように坂のようになったものがあります。草生していますが、よく見ると、何かが敷かれています。ここを人が歩くために、何かを敷いて滑り止めのようにしていたことがわかります。これは何でしょうか。

すぐそばに答えがありました。瓦坂といい、瓦を縦に敷いて盛り土が流出しないようにしていた訳です。

下に堀が通っており、一部では水が流れています。

 「雪隠」。何と読むでしょうか、などと感じのクイズになりそうです。「せっちん」です。要するにトイレのことです。東京オリンピックが行われる前までは、とくに東京でトイレについても色々な言葉が使われていたようで、雪隠の他、厠(北京では現在もこの字を使っています)、手水場(ちょうずば)、などがありました。今でも御手洗は使いますね。 門司港駅には「手水鉢」があります(これはトイレでない場所にありますが)。

 この石碑を見て驚きました。ここが日本における種痘の発祥の地であるということは、全く知らなかったのです。観光用の絵地図にも掲載されていないでしょう。

 種痘は、痘瘡という病気に対する免疫をつくるために行われる予防接種です。1980年に消滅したとされる病気、痘瘡は、天然痘などとも言われており、痘瘡ウイルスの感染によって起こります。かなり悪性の病気だそうで、高熱と小水疱に苦しめられて死ぬ確率が高く、仮に治癒したとしても痘痕(あばた)が残ります。もちろん、日本でも法定伝染病などに指定されていました。このような病気に対抗するために種痘を発見したのが、英国の医師であったジェンナー(Edward Jenner, 1749~1823)です。

 日本にいつ頃種痘が伝えられたのかはわかりませんが、19世紀であることは間違いないでしょう。それにしても、この秋月が最初だというのには驚きました。長崎か東京(江戸)であろうと思っていたのです。

秋月藩校稽古館跡の案内図です。

 また、橋の上に来ました。ここで撮影しておきましょう。本当は、このような場所で子どもたちが遊べると、様々な意味でよいだろうと思うのです。子どもの成長にプラスになることは間違いありません。何が危険であるかを体で覚えるでしょうし、自然に深い関心を抱くようになるかもしれません。

 上のほうを見れば、秋月の街並みが多少ともわかるでしょう。

 しばらく秋月城址をとりあげましたが、ここを離れ、甘木駅へ戻ろうと思います。別の場所に移動したいからです。とりあえず、甘木鉄道甘木駅のそばにある観光協会へ戻り、自転車を返すことにします。


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