第193回国会に、参議院議員提出法律案(参法)第79号として「当せん金付証票法の一部を改正する法律案」が提出されています。非常に短い法律案ですが、果たして、中身は妥当なものでしょうか。
「当せん金付証票法(昭和二十三年法律第百四十四号)の一部を次のように改正する。
第六条に次の一項を加える。
8 生活保護法(昭和二十五年法律第百四十四号)第六条第一項に規定する被保護者は、当せん金付証票を購入してはならない。
附則
この法律は、生活保護法の一部を改正する法律(平成二十九年法律第▼▼▼号)の施行の日から施行する。
理由
生活保護法上の被保護者は、当せん金付証票を購入してはならないこととする必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。」
簡単に言えば、生活保護を受ける者は宝くじを買ってはいけない、ということです。
提出理由が非常に短く、何故に「生活保護法上の被保護者」が宝くじを買ってはいけないのかが説明されていません。それに、宝くじを購入した人が「生活保護法上の被保護者」であるか否かを売場の係員が判断する必要が出てくるはずですが、どのようにするのでしょうか。
また、仮にこの法律案が国会で可決されて法律となり、生活保護法第6条第8項になったとします(ちなみに、現段階において第6条には第5項までしかありません)。「生活保護法上の被保護者」が宝くじを購入すれば、第6条第8項に違反することとなりますから、判明次第、「保護の実施機関は、被保護者が保護を必要としなくなつたときは、速やかに、保護の停止又は廃止を決定し、書面をもつて、これを被保護者に通知しなければならない」(第26条前段)ということになるのでしょう。
このような法律案が提出されることには様々な背景があるのでしょう。しかし、今回は序の口のようなもので、将来、次々に類似の、つまり、「生活保護法上の被保護者」は◎◎をしてはならないという内容の法律案が提出される危険性があります。実際に、数年前に「生活保護法上の被保護者」がパチンコをしてはならないというような条例を制定しようとした地方公共団体もありました。怖いのは、このような傾向がエスカレートしていくことです。宝くじ購入の禁止が通れば、次はパチンコ、公営競技(競馬など)となるでしょうし、ギャンブルだけに止まることはなく、酒、スマートフォンなど、次々に禁止事項が増える可能性があります。従って、完全に、人にレッテルなりスティグマなりを貼ることとなります。これが何を意味するのかは、おわかりのことと思います。
しかし、分断の社会とも言われる現在(そう言われていないかもしれませんが)では、人に★★という刻印を押しつけ、その人を叩くことが普通に行われたりしています。いじめの構造と同じです。自分もいつそのようになるかわからないという意味で、誰にでも可能性はあるのですが、自分はそのようにならないと思う人が多いのでしょうか。想像力の欠如としか思えません。
お断りしておきますが、私は、生活保護制度が適正に運営されることを否定する者ではありません。「生活保護法上の被保護者」の一部が不正受給などの悪用を行っているという事実も知っています。しかし、不正の率が高い(たとえば50%超)というのであれば厳しい対策をとるなどの必要性がありますが、本当に必要とされている場合に生活保護の手が届かないような現状において、上のような法律案を成立させる意味がどれほどあるのかが問われるべきです。
対策としては様々なものが考えられるでしょう。現金給付では問題が生じるというのであれば、現物給付を増やすという手もあります。国や地方公共団体による管理の色彩は強くなりますが、バウチャー、チケットを使うことも考えてよいかもしれません。
また、わざわざ宝くじの購入を禁止するような条文を入れなくとも、先に引用した生活保護法第26条前段により、生活保護の停止または廃止を行うことは十分に可能です。裁判例でも、軽自動車を保有していた世帯が保護の停止または廃止を受けたというような事例が散見されます。宝くじだけを明文化する意味があるのでしょうか。
「生活保護法上の被保護者」については◎◎をしてはならない、という趣旨の法律案は、実に安直なものであり、なすべきこと、処理すべきことの順序が誤っており、賛成できません。不正対策と保護の仕方を十分に検討して(上に記した現物給付の増加、バウチャー、チケットの利用など)、それでも十分でないような場合に初めて禁止事項を定めるべきです。生活保護法の基本は取締法規ではありません。
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最近の改憲論議などを見ていると、改憲賛成派には生活保護制度に否定的な方が少なくないようです。それならば、改憲論者に申し上げたいことがあります。生活保護制度を叩き続けるのであれば、いっそうのこと、日本国憲法のうち、第25条を削除したらいかがでしょうか、ということです。こうすれば、生活保護制度の憲法上の根拠がなくなりますし、この制度を廃止することも簡単になります。何よりも、国が生存権を保障する必要がなくなります。社会保障制度の見直しも、今までよりは簡単にできるかもしれません。
あるいは、憲法第25条の全文を改正し、自立(自律)を国民の義務にするのです。いや、生活保護制度の最終目的も「自立」であり、その実現のための「保護」ですから、むしろ「自力更生」という言葉のほうが相応しいでしょう。困窮していても国などに保護を求めることなく、自立していけと義務付けるのです。
但し、憲法第25条を削除するなり全文改正するなりということを行うと、最近急速に話題となっている教育無償化の改正内容とは、少なくとも部分的に矛盾します(生活保護制度バッシングと教育無償化も同様です)。教育の無償化は、国民がその能力(学力)に応じて、資力に関係なく、教育を受ける権利を保障することになるからです。見方を変えるならば、教育面に限定されるとはいえ、無償化は「国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長すること」を意味します(生活保護法第1条から引用しました)。憲法に明文化するということは、国が無償化を完全に実現し、維持することを義務付けられることになる訳です。第25条において往々にして見られる、或る意味で得手勝手なプログラム規定説を採ることは許されないでしょう。また、無償化と言っても奨学金の廃止にはつながりません。憲法学界でも通説となっている授業料無償説が採られるでしょうから、教科書(これについては小学校や中学校については法律で無償化が採られています。また、高校については一部が無償化されています)や参考書、文房具などの学用品なども、場合によってはIT機器のようなものを購入することを考え、奨学金は維持されることとなります(勿論、憲法に明文化する趣旨からして、給付制でなければおかしいでしょう)。
長くなりましたが、教育の無償化は、部分的に生活保護としての要素も含んでいる、とまとめられます。従って、現在の第25条と第26条とを完全に切り離す訳にはいかないのです。
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全然関係のない話ですが、明治のカールが、今年の8月生産分以降、関東地方などの店頭から消えるというニュースが流れました。こどもの頃から馴染んでいて、今でも時折、スーパーマーケットなどで見かけては買っています。
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