ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

「植草甚一コラージュ日記 東京1976」

2012年10月23日 00時09分21秒 | 本と雑誌

 閉店してから10年以上が経ちますが、今でも、高校1年生の時分から通っていた六本木WAVEを思い出すことがあります。このレコード屋で、ジャズやクラシック、その他の音楽の良さ、楽しさを学んだのです。LPやCDの置き方など、他のレコード屋にはないものがありました。「こんなものもあるんだぞ」とか「こんなものも楽しいよ」と訴えかけるようでした。HMVにもタワーレコードにも石丸電気(現在のエディオン)にもディスクユニオンにも新星堂にもツタヤにもその他のレコード屋にもない空気が、たしかに六本木六丁目にはあったのです。10代後半の私は、1984年8月31日に初めてWAVEに入ってから、すぐさまその雰囲気に魅了されました。3時間か4時間くらい、棚を眺めては楽しんでいたのです。

 その後、同じ六丁目にあるABCに行くと、晶文社から刊行されていた「植草甚一スクラップ・ブック」が揃っていました。私は、ジャズに関係する巻を中心に買いましたので、全巻を揃えてはいないのですが、買っては読んで楽しんでいました。植草甚一氏の、あの独特の文体にひかれて、ジャズの面白さを知り、深みにはまり込んでいったのです。

 植草氏は1979年に亡くなっていますが、そんなことを感じさせないものが「植草甚一スクラップ・ブック」にはあります。とくに「植草甚一日記」は、戦時中の日記と1970年頃の日記が掲載されていますが、時代に左右されない一貫した自由さがあり、驚かされたものです。私が日記をつけるようになったのも、植草氏の日記を読んだからです。経堂に住んでいた彼は、三軒茶屋、池尻、渋谷、下北沢、神保町、本郷、銀座、新宿、六本木(植草氏は誠志堂へ行っていたのでした)などをまわり、散歩し、古本を買い漁ります。そんな生活の姿に、何の気なしに引き込まれます。

 さて、「植草甚一スクラップ・ブック」ですが、これは彼の全集でして、月報が付いています。その月報に1976年の日記が連載されていました。しかも、活字になっていない、植草氏の自筆のままの日記です。これもなかなかのもので、鶴見俊輔氏も「植草甚一日記」への解説で書かれているように、自然に引き込まれ、勇気付けられるように思えてくるのです。心のどこかで「まとめて読みたい」という願望を抱くものでした。私のようなジャズファンは勿論、映画ファン、英米文学ファン、フランス文学ファンも、同じような思いを抱くでしょう。

 つい先日、たまたま某書店で、「植草甚一スクラップ・ブック」の月報に掲載された日記をまとめた文庫本を見つけ、すぐさま買いました。平凡社ライブラリーの「植草甚一コラージュ日記  東京1976」です。月報と全く同じ体裁ですので、植草氏の日記は活字化されていません。多少の読みにくさはあるものの、よくぞ文庫本で出してくれたと拍手を送りたいような気分です。

 今年の夏に出たばかりの、1976年の日記。東京に生まれ育った者の、世田谷区を中心として東京を歩き回ることによって生まれた日記。ジャズファンならずとも一読、二読、多読の価値はあります。一日で何度も繰り返して読める本は、そう滅多にあるものではありません。


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