ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

川崎駅東口のさいか屋が来年5月に閉店する、と聞いて

2014年04月11日 10時18分44秒 | 社会・経済

 川崎市と言えば、現在も人口が増えている政令指定都市です。最近では武蔵小杉駅周辺の再開発により、全国的にも小杉の名前が知られるようになりました(根っからの地元民は「武蔵」をつけたりせず、ただ「小杉」と言います。但し、駅所在地の正式な町名は小杉町です)。川崎市役所が川崎区から小杉に移転するという噂は、市民の間でかなり流布しておりましたし、実際に市役所が小杉町か溝口の辺りに移転するという計画もあったようです。

 そのためか、最近では川崎駅周辺に対する注目度も低くなっているのではないでしょうか。それでも、勿論、川崎市の本来の中心地は川崎区であり、川崎駅周辺、とくに東口です。

 川崎駅東口と言えば、地下街のアゼリア、ルフロン、アーケード商店街の銀柳街(「ぎんりゅうがい」と読みます)、チネチッタ、DICE、川崎モアーズなどがあります。そして、老舗と表現してよい百貨店として、さいか屋があります。公式サイトに拠れば、元々は横須賀市で不動産賃貸業を営んでいた会社であるということですが、後に掲げる今日付の朝日新聞朝刊の記事によると、1872(明治5)年に横須賀市で開業した呉服店が母体であったということです。1955(昭和30)年に商号を川崎さいか屋と改め、1956(昭和31)年、本社を横須賀市から川崎市川崎区に移転するとともに、川崎駅東口に百貨店を開店させます。これがさいか屋川崎店です。ちなみに、1969(昭和44)年に商号を現在のさいか屋に改めています。

 以来、現在まで58年間、さいか屋川崎店の営業が続けられてきたのですが、来年の5月31日をもって閉店となります。今日付の朝日新聞朝刊27面14版(神奈川・川崎)に「さいか屋川崎店 来年5月に閉店 『百貨店ない街寂しい』」という記事が掲載されており、さいか屋の公式サイトにも「さいか屋川崎店の営業終了について」という文書が掲載されています。

 理由として挙げられるのは、来年、つまり2015(平成27)年の5月31日に定期建物賃貸借契約期間が満了となることです。さいか屋は、公式サイトによれば2009(平成21)年、京浜急行電鉄を割当先とする第三者割当により増資を行いました(これにより、資本金は31億4906万3737円となっています)が、同年の夏に事業再生実務家協会へ事業再生ADR手続を正式に申請しています。そして、上記朝日新聞記事に拠れば2009年12月、公式サイトに拠れば2010(平成22)年3月に、川崎店の土地・建物を東京都内の投資組合に76億円で売却しました。その上で定期建物賃貸借契約を締結して営業を続けてきたという訳です。

 (新聞記事と公式サイトとの間にズレがありますが、土地・建物の売却、および定期建物賃貸借契約が締結されたのが2009年12月、正式に売却されたのが2010年3月ということのようです。)

 この時期、さいか屋は横須賀店の大通り館を閉鎖し、川崎店の外商部を廃止するなど、リストラを進めています。事業再生ADR計画は昨年の3月に完了したとのことですが、売り上げは減少しているようで、上記朝日新聞記事によると、2009年2月期で194億円ほどであったのが2014年2月期には108億円ほどとなっています。

 閉店の原因には様々なものが考えられますし、該当するものも複数でしょう。まず、長きにわたる消費低迷です〔しかし、2002(平成14)年2月から2009年3月までは「いざなみ景気」とも言われています〕。これにリーマンショックが重なりました。そして、2011(平成23)年の東日本大震災です。この他に、川崎駅周辺地域の事情として、2006(平成18)年に川崎駅西口(幸区)にあった東芝川崎事業所(堀川町工場)の跡地にラゾーナ川崎プラザが開業したことをあげておきましょう。具体的なデータを持っていませんのでよくわからないのですが、川崎駅西口の再開発は、東口の百貨店や商店街に対してかなり大きな打撃となったはずです。それだけでなく、川崎市の性格の変化をよく示す例ともなっています。ラゾーナ川崎プラザは前記の通りであり、ソリッドスクエアは明治(かつての明治製菓)の工場の跡地です。

 そして、百貨店という業種そのものが抱える構造的な問題もあるでしょう。1990年代からと記すのが正確か否かわかりませんが、日本全国で百貨店の閉店などが相次いでいますし、百貨店として開業しながら業態を転換し、専門店街のようなものになっている所も多くなっています(私がよく行く青葉台東急スクエアも、元々は青葉台東急百貨店でして、他の施設と統合して現在の業態となっています)。

 川崎駅周辺も同様です。先に記した川崎モアーズは、1970年代前半まで百貨店でした。一旦閉店しましたが、1978年にショッピングセンターとして再開業しています。なお、モアーズを展開する横浜岡田屋は、現在、本社を横浜市に置いていますが、発祥の地は川崎市です。

 また、DICEの場所には、かつて小美屋(こみや)がありました。小美屋の場合は、1980年代に三菱電線工業川崎工場跡地に開業した川崎ルフロンに川崎西武(西武百貨店)と丸井が進出したこともあり、赤字経営となりました。結局、1990年代に閉店しています。一方、川崎西武も、21世紀に入ってから程なく、川崎ルフロンから撤退しています(現在、ヨドバシカメラなどが入居しています)。他方、丸井は日本百貨店協会に加盟しておりません(但し、百貨店に含める見解もあります)。

 岡田屋はモアーズとなってかなりの時間が経っており、小美屋は消滅し、川崎西武も撤退したので、日本百貨店協会に加盟する百貨店は、川崎駅周辺ではさいか屋だけとなっていました。そのさいか屋も来年の5月末をもって閉店するということになると、街に百貨店がないということになります。これも時代の変化なのでしょうか。

 そう言えば、私は川崎市に生まれ育ち、大分大学在職中の7年間を除いて川崎市に住み続けていますが、ここ何年か、川崎駅周辺を歩いたことがありません。一度だけラゾーナ川崎プラザに入ったことがありますが、それが4年ほど前のことですし、川崎ルフロンに入ったのも5年以上前のことでした。最後にさいか屋へ行ったのは20世紀中のことです。幼少の頃から何度も川崎駅東口へ行き、街中を歩いているのですが、大学院生となってから機会が減りました。しかし、さいか屋川崎店閉店のニュースを知り、やはり周辺の様子を改めて知っておかなければ、と思った次第です。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« おしらせです(2014年4月8日) | トップ | 2008年9月7日、唐津を歩く... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

社会・経済」カテゴリの最新記事