鉄橋
2010年07月06日 | 旅
高雄と屏東の間に流れる「高屏溪」は
日本統治時代には下淡水渓と呼ばれていた。
全長171キロ。台湾第2位の長さにして
最大の流域面積の河川。
ここに架かる鉄道橋が2本ある。
1本は現在の台鐵の線路。
そしてその下流側に架かるのが国家2級史蹟(重要文化財)でもある「下淡水渓橋梁」
とよばれた全長1526メートルの鉄橋。
完成は1913年。つまり大正2年の12月。
完成当時は「日本最長」の鉄橋であった。
線路は1987年に現在のコンクリート橋に付け替えられたが
鉄橋そのものは1世紀にもわたってスマートな姿を残している。
ただ、残念なのは2005年の台風で橋脚の一部が流出してしまったこと。
屏東縣寄りには旧型客車の編成も鉄橋手前に置かれている。
この鉄橋の設計者、飯田豊二氏は鉄橋完成の半年前に
台南の病院にて死去している。
氏の功績をたたえた石碑は
現在、鉄橋の高雄寄りの駅、九曲堂駅近くに
大切に整備されている。
日本統治時代には下淡水渓と呼ばれていた。
全長171キロ。台湾第2位の長さにして
最大の流域面積の河川。
ここに架かる鉄道橋が2本ある。
1本は現在の台鐵の線路。
そしてその下流側に架かるのが国家2級史蹟(重要文化財)でもある「下淡水渓橋梁」
とよばれた全長1526メートルの鉄橋。
完成は1913年。つまり大正2年の12月。
完成当時は「日本最長」の鉄橋であった。
線路は1987年に現在のコンクリート橋に付け替えられたが
鉄橋そのものは1世紀にもわたってスマートな姿を残している。
ただ、残念なのは2005年の台風で橋脚の一部が流出してしまったこと。
屏東縣寄りには旧型客車の編成も鉄橋手前に置かれている。
この鉄橋の設計者、飯田豊二氏は鉄橋完成の半年前に
台南の病院にて死去している。
氏の功績をたたえた石碑は
現在、鉄橋の高雄寄りの駅、九曲堂駅近くに
大切に整備されている。