子供の頃「デパートの屋上」が好きだった。
池袋の近くに住んでいる為、東武や西武の屋上は
「近所の公園」的な遊び場だったのだ。
休日は銀座や日本橋のデパートの屋上が
遊び場になっていた。
当時(昭和50年代初期)は、どのデパートにも屋上に小さな遊園地的施設があって
ただ、池袋の三越(既に閉店。)にはそれがなくて、確かついでにおもちゃ売り場もなくて
好きではなかったのだ。
小学生のころは制服を仕立てる時だけ
仕方なく三越へ連れて行かれたのだ。
(大人になってからは食料品の質の良さや接客の良さで愛用するようになったが…)
今でもデパートのエレベーターに乗ると「R」ボタンを探してしまう。
そのボタンこそが、子供たちの楽園へ行くボタンなのだ。
屋上遊園地には観覧車的な乗り物があったりして
それに乗るとそれこそ東京じゅうが見渡せるんじゃないかと
そんな風に思える時代だった。
逆に、屋上から上げられたアドバルーンは、結構遠くから見えた。
屋上には、釣り堀なんかもなって、こちらは大人比率が高かった。
今ではそんな釣り堀も、熱帯魚売り場とかに変わってしまってたりする。
子供たちの遊び場は、ただそれだけではなく
高校生のデートスポットであり、サラリーマンのサボり場でもあった。
商業施設らしく、ちいさなお稲荷さんもあったりする「下界」の雑踏とは隔絶された
まさに都会のオアシスだった。
屋上で遊べた頃のデパートは、今よりも何倍も元気だった。
池袋の近くに住んでいる為、東武や西武の屋上は
「近所の公園」的な遊び場だったのだ。
休日は銀座や日本橋のデパートの屋上が
遊び場になっていた。
当時(昭和50年代初期)は、どのデパートにも屋上に小さな遊園地的施設があって
ただ、池袋の三越(既に閉店。)にはそれがなくて、確かついでにおもちゃ売り場もなくて
好きではなかったのだ。
小学生のころは制服を仕立てる時だけ
仕方なく三越へ連れて行かれたのだ。
(大人になってからは食料品の質の良さや接客の良さで愛用するようになったが…)
今でもデパートのエレベーターに乗ると「R」ボタンを探してしまう。
そのボタンこそが、子供たちの楽園へ行くボタンなのだ。
屋上遊園地には観覧車的な乗り物があったりして
それに乗るとそれこそ東京じゅうが見渡せるんじゃないかと
そんな風に思える時代だった。
逆に、屋上から上げられたアドバルーンは、結構遠くから見えた。
屋上には、釣り堀なんかもなって、こちらは大人比率が高かった。
今ではそんな釣り堀も、熱帯魚売り場とかに変わってしまってたりする。
子供たちの遊び場は、ただそれだけではなく
高校生のデートスポットであり、サラリーマンのサボり場でもあった。
商業施設らしく、ちいさなお稲荷さんもあったりする「下界」の雑踏とは隔絶された
まさに都会のオアシスだった。
屋上で遊べた頃のデパートは、今よりも何倍も元気だった。