子供の頃、近所…というよりも家の裏にあった塾に行ってた。
あの時代は、必ず百貨店の屋上には小さな遊園地があって
子供にとって百貨店に行くイコール遊びに行くと同義であった。
同じように当時は町に必ずと言っていいほど1件は個人経営の塾があって
塾に行くということは勉強以上に、遊びに行くと同義であった。
特に私の場合は学校が地元ではなかったので
「中学受験」の為に進学塾へ行くようになるまでは
その学習塾に通っていた。
もともと、ある人の屋敷だった建物をそのまま使っていたので
寺子屋の様な風情で庭もあって小さな勝手口もあったりして
夏は蚊取り線香、冬は石油ストーブの香りがする
そんな塾だった。
中学入学後も、ふたたびこの塾の門を文字通りくぐるようになったのだが
その土地が売りに出されることになって中2のある日、この塾は閉鎖された。
あの当時の塾長だった「おにいさん」は、もう還暦近い頃。
同級生の仲間はどうしているだろうか。
今、跡地には建て売りの家が4件建っている。
そして、その路地を抜けて通りに面した我が家も
解体が始まった。
町の風景は
こうして変わってゆく。
あの時代は、必ず百貨店の屋上には小さな遊園地があって
子供にとって百貨店に行くイコール遊びに行くと同義であった。
同じように当時は町に必ずと言っていいほど1件は個人経営の塾があって
塾に行くということは勉強以上に、遊びに行くと同義であった。
特に私の場合は学校が地元ではなかったので
「中学受験」の為に進学塾へ行くようになるまでは
その学習塾に通っていた。
もともと、ある人の屋敷だった建物をそのまま使っていたので
寺子屋の様な風情で庭もあって小さな勝手口もあったりして
夏は蚊取り線香、冬は石油ストーブの香りがする
そんな塾だった。
中学入学後も、ふたたびこの塾の門を文字通りくぐるようになったのだが
その土地が売りに出されることになって中2のある日、この塾は閉鎖された。
あの当時の塾長だった「おにいさん」は、もう還暦近い頃。
同級生の仲間はどうしているだろうか。
今、跡地には建て売りの家が4件建っている。
そして、その路地を抜けて通りに面した我が家も
解体が始まった。
町の風景は
こうして変わってゆく。