神保町と小川町

2015年09月03日 | 東京のお散歩
古書店の街神保町とスポーツ用品店の街小川町。
となりあった二つの街は、もともと武家屋敷が並ぶ町でした。

(古書店街神保町)

神田神保町は、江戸時代の旗本神保(伯耆守)家の屋敷が、
現在の集英社や有斐閣の一画にあった事に由来しています。

(現在の神保町と小川町の境・駿河台下)

神田小川町は、その名の通り小川があった事に由来します。
この「小川」とは、江戸時代にすでにこの地から姿を消した川で
ひとつは神田川の人口開削前に流れていた原神田川である平川とされています。

(スポーツ用品店街小川町)

平川は、現在の神田川開削時に一度、本流から切り離されてしまい
平川濠からつながる水路となっていました。
(現在は再び神田川と接続しています。)

(九段下から平川とその向こうの神保町を望む)

もう一つは、小石川(礫川)です。
上流部では谷端川、千川と呼ばれたこの川は、
神田川の人工開削以前は、現在の白山通り(都営三田線)のあたりを流れて
日比谷入江に注いでいたとされていて、現にこのルート付近の地質は
周辺に比べて軟弱のようです。

現在の小川町は、これらの河川よりも東側に位置していますが
神保家の屋敷ができる以前、更に神田川開削工事以前、
つまり地図もほとんど遺っていない江戸氏の時代や太田氏、後北条氏の時代には
ひょっとしたら今の神保町駅周辺や、もしかしたら九段下あたりまで
小川町と呼ばれていたのかもしれません。

(すずらん通り)
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