皇室との縁の深い神宮外苑のスポーツ競技場で唯一、宮号が冠された競技場が
秩父宮ラグビー場です。
この競技場の所有者は独立行政法人日本スポーツ振興センターで
国立霞ヶ丘競技場の施設の一部という位置づけになっています。
元々この場所には女子学習院がありました。
戦後は米軍に接収され駐車場として使われていましたが、
関東ラグビー協会や関係者が苦心し専用競技場の建設に漕ぎ着け、
昭和二十二(1947)年に東京ラグビー場として竣工しました。
昭和二十八(1953)年に日本ラグビー協会総裁であった秩父宮雍仁親王が薨去されると
競技場建設に尽力された殿下の名を冠し、秩父宮ラグビー場と改称されました。
この競技場も、オリンピック開催までに解体する計画となっています。
秩父宮ラグビー場です。
この競技場の所有者は独立行政法人日本スポーツ振興センターで
国立霞ヶ丘競技場の施設の一部という位置づけになっています。
元々この場所には女子学習院がありました。
戦後は米軍に接収され駐車場として使われていましたが、
関東ラグビー協会や関係者が苦心し専用競技場の建設に漕ぎ着け、
昭和二十二(1947)年に東京ラグビー場として竣工しました。
昭和二十八(1953)年に日本ラグビー協会総裁であった秩父宮雍仁親王が薨去されると
競技場建設に尽力された殿下の名を冠し、秩父宮ラグビー場と改称されました。
この競技場も、オリンピック開催までに解体する計画となっています。