日本橋馬喰町、横山町の鎮守である初音森神社。
14世紀に、藤原大納言師賢によって奉斎されたとされる神社で
御神徳多く、後に太田道灌が社殿を寄進したとも伝えられています。
奥州街道沿いのこの地は、古くから初音之里と呼ばれていて
樟木などが生い茂る森があったことから、この森が初音森と呼ばれていました。
この里には馬場があり、博労(馬の鑑定・売買を行う者:馬喰)であった、
高木源兵衛なるものの子が重い病に罹り、母親がこの社に願をかけ
7日目の満願の夜に、一人の女性が現れ子に乳を与える夢を見、
目をさましてみると、子は忽ち病が治っており、これを以って
初音之里の人々から更に厚く敬われるところとなったそうです。
江戸時代には浅草見附建設や明暦の大火にあたり、別当寺である西光寺となりの
墨田区千歳の現在地に遷宮します。
昭和二十三年に、旧蹟である東日本橋に新たに神社を建て
摂社として、由縁の地を豊受比売命が守っています。
14世紀に、藤原大納言師賢によって奉斎されたとされる神社で
御神徳多く、後に太田道灌が社殿を寄進したとも伝えられています。
奥州街道沿いのこの地は、古くから初音之里と呼ばれていて
樟木などが生い茂る森があったことから、この森が初音森と呼ばれていました。
この里には馬場があり、博労(馬の鑑定・売買を行う者:馬喰)であった、
高木源兵衛なるものの子が重い病に罹り、母親がこの社に願をかけ
7日目の満願の夜に、一人の女性が現れ子に乳を与える夢を見、
目をさましてみると、子は忽ち病が治っており、これを以って
初音之里の人々から更に厚く敬われるところとなったそうです。
江戸時代には浅草見附建設や明暦の大火にあたり、別当寺である西光寺となりの
墨田区千歳の現在地に遷宮します。
昭和二十三年に、旧蹟である東日本橋に新たに神社を建て
摂社として、由縁の地を豊受比売命が守っています。