茗溪 駿台

2020年10月15日 | 東京のお散歩
茗渓とか駿台という響き、なんとも風流です。

御茶ノ水駅付近の神田川は、江戸時代に人工的に開削されたもので
仙台藩の普請によって開通したため仙台堀とも呼ばれています。

中国の赤壁にも擬えられるほどの谷で、風流人らに愛され
茗(酒に酔うとか茶という意味)渓と呼ばれるようになりました。

もともとは地続きの台地で、家康の江戸入府の際に
駿府から同行してきた譜代の家臣がこの付近に屋敷を与えられ
駿河台と呼ばれるようになりました。

江戸城からも近く、また当時は富士山も望めました。
(明治大学の校歌にも「霊峰不二を仰ぎつ」とあります)

この駿河台がいつしか短縮され、駿台と呼ばれるようになりました。

駿台予備学校(法人名は駿河台学園)、や駿台学園(現在は王子にあります)、
明治大学の学内組織の名前として、駿台の名が活きています。

(住居表示としては千代田区神田駿河台)



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