東京メトロ南北線西ヶ原駅を出てすぐの本郷通りの中央に
榎の繁った一里塚が遺されています。
これは、日光御成街道(岩槻街道)の二つ目の一里塚(一つ目は本郷)で
江戸墨引と朱引も間にある、いわば江戸の終わりという一里塚です。
大正時代、市電敷設による道路拡張で取り壊されそうになりましたが
すぐ目の前に住んでいた渋沢栄一翁や長野木瀧野川町長、
阪谷東京市長と、その後任の奥田市長ら多くの政財界人が尽力し
榎とともに一里塚が遺されました。
その後榎は枯れたため、現在の木は新たに植樹されたものです。