余部橋りょう

2010年07月16日 | 
今日の21時7分ころ、浜坂行きの列車が
この鉄橋を通過するのを以って
余部橋りょうは98年という永い歴史に幕をおろします。

新しい橋では
過去のような痛ましい事故など起きないよう願っています。
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港町の風景

2010年07月15日 | 
小樽、函館、横浜、神戸、門司、長崎、基隆、高雄。
私の好きな港町。

近代建築が多く残っていて
潮風に吹かれながら
そんな街かどをブラブラするのは
とても楽しい。

漁港ではなく、国際貿易港として賑わった港町には
異国の情緒(もっとも上記のうちの最後2都市は海外だが)がたくさんあって
それが日本の伝統的な美しさや風景と上手に混ざり合って
独特の味わいを醸し出している。

こんどの連休は
どこか港町へ遊びに行こう・・・
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大雨

2010年07月14日 | 
台湾は台風シーズンを迎えようとしています。
台風2号(Conson:康森)がフィリピン近海で発生し
広東省方面へ向かっていることを受けてか
台北の天気予報は毎日雨マーク。

昨年、台湾には台風による甚大な被害があり
復旧作業が未だに続いています。


日本は台風シーズンはもう少し先ですが
九州・中国地方では土砂災害や河川の氾濫で
避難勧告なども出ているようです。
先日のゲリラ豪雨では
東京の自宅からそれほど離れていない場所が
かなり浸水したようです。

火も怖いけれど
水はそれ以上に怖いもの。

気をつけていても
自然の脅威は待ってくれないので
大変です…
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観光ガイド

2010年07月13日 | 
香港や台湾の書店やコンビニのマガジンラックには
必ず日本の観光ガイドの本やムックが置いてある。

で、その本を手に取ってみると
普通のガイドブックとは違って
「一般的な」観光地の記載が少なく
そのかわりに例えば東京ならば下北沢(下北澤)だとか吉祥寺といった
日本人でも「通好み」と思える場所に
多くのページを割いている。

日本への観光客はリピーターも多い上、
国際的観光地化されてしまったASAKUSAや
AKIHABARAなどへ行くよりも
「日本」を愉しめるからというのがその理由らしい。


これらの本、日本人が買って帰っても
結構参考になります。
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演劇人

2010年07月12日 | 徒然
一人の演劇人が
天に召されたという一報が
今朝、目に入った


つかこうへい氏


肺がんだったらしい

まだまだこれからもたくさんの仕事が出来るほどの
若い年齢だった

実は氏は私と同じ町内の人で
かつてはよく商店街でも顔を合わせたりして
当時でも売れっ子演出家ではあったけれど
格好にこだわらず
気さくに挨拶してくれるような
そんな人であった


地元のために劇団を立ち上げたり
地味な「北区」に欠かせない有名人として
貢献してくれたことに
今更ながらに感謝したいと思います

この場をお借りしてご冥福をお祈りいたします
合掌
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夜景の名所

2010年07月11日 | 
台北市街は盆地なので
狭い面積に多くの建物が密集している。

と、いうことは香港と同じく
夜景がきれい …な、はずである。

市内には台北101という
有名な高層ビルがあるけれど
その展望台の入場料はビルの高さと比例するかのごとく
高額である。(400圓=約1300円)

なので実は、まだ101の展望台へ行ったことがない。


実は、そんな高額な入場料を払わなくても
台北の夜景が見れる場所が
近郊に数箇所存在している。

1箇所は猫空。
台北市南部にあって、市内を一望できるカフェやレストランなども
点在している。

夜景スポットとしては
地元民にとっては定番だけれども
観光客にとっては穴場かもしれない。

もっとも、観光案内所などでは案内しているので
外国人(つまり日本人など)の観光客が皆無かというと
そうでもないので、初めて行く人でも安心ではある。

もう1箇所が中國文化大學。
ここは陽明山の手前にある大学で、体育館のすぐそば
と、いうよりも体育館の下から台北盆地が一望できる。

屋台も2~3店ほど出ていて
夜な夜な文化大の学生カップルや男女のグループが
集まってきている。

ただし、近道が大学のキャンパス内を通るルートだったり
バスしかアクセスがなかったりするので
自分とその連れ以外の外国人観光客の姿を見たことは
まったくといっていいほどない。
ある意味、つまらないw



夜景、(´∇`)イイ!
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台湾の車窓から ~まもなく終点~

2010年07月10日 | 


台東縣から屏東縣へは
すこしばかり内陸を通ります。

南国な風景をながめながら
機関車に牽かれた青い客車は終点高雄を目指します。



観光客のほとんどは知本への温泉客で
屏東縣に入る頃には
旅の学生や
地元の人たちだけになりました。

電気の消された車内は
南国のゆったりした午後の空気に占領され
凡そ現れるあろう、終点間近のせわしなさは
高雄駅の構内信号を過ぎても私の前に姿を現しませんでした。
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台湾の車窓から ~東部北回帰線篇~

2010年07月09日 | 
台湾は米どころでもあります。

東海岸を南へ向かう列車は
花蓮を過ぎると中央山脈と東岸山脈に挟まれた
狭隘な盆地をコトコトと走り続けます。



この付近はフルーツやコメなど
良質な農産物が採れる場所でもあります。


観光客を多く乗せた列車は
エンジンを唸らせながら
昔よりもはるかに走りやすくなった鉄路を
北回帰線の更に南を目指して走ります。
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台湾の車窓から ~東海岸篇~

2010年07月08日 | 


台湾の東海岸は
海岸線ギリギリまで断崖が迫っていて
1980年代までは鉄道も一部が分断されていたため
まさに「陸の孤島」でした。

北部の蘇澳から花蓮までと
南部の知本から大武あたりまでは
その断崖と海岸の間の狭い回廊を列車が走ります。


北部の海岸線の向こう約100キロには
与那国島があり
晴れた日にはうっすらとその島影が望めます。

そう、この場所はまだ日本の最南端の集落「冨嘉」よりも
まだ北に位置しているのです。

列車は海を左に見ながら
南へと走ります。
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屏東

2010年07月07日 | 
高雄から下淡水渓橋梁を渡ると
そこは屏東縣。

屏東は椰子やサトウキビが採れる
いかにも「南国らしい」風情の地域。

故高松宮殿下は、屏東の温泉を愛し、
また屏東で採れたコーヒーは昭和天皇への献上品でもあり
陛下もそのコーヒーを愛されました。



駅前を走るバスも、ここまでくると台北や高雄といった大都市とはちがって
「田舎のバス」な雰囲気があります。



と、言ってもここは今では高雄のベッドタウン。
老街の風情の中にも、流行店や便利店(コンビニ)が
しっかりと溶け込んでいます。



現在、高雄捷運が屏東まで延伸の計画をしています。
高層の商業ビルがまだ無いこの街も
後站(駅ウラ)に高層マンションが建ち始め
すこしずつ変わろうとしています。
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鉄橋

2010年07月06日 | 
高雄と屏東の間に流れる「高屏溪」は
日本統治時代には下淡水渓と呼ばれていた。
全長171キロ。台湾第2位の長さにして
最大の流域面積の河川。
ここに架かる鉄道橋が2本ある。

1本は現在の台鐵の線路。
そしてその下流側に架かるのが国家2級史蹟(重要文化財)でもある「下淡水渓橋梁」
とよばれた全長1526メートルの鉄橋。



完成は1913年。つまり大正2年の12月。
完成当時は「日本最長」の鉄橋であった。

線路は1987年に現在のコンクリート橋に付け替えられたが
鉄橋そのものは1世紀にもわたってスマートな姿を残している。


ただ、残念なのは2005年の台風で橋脚の一部が流出してしまったこと。



屏東縣寄りには旧型客車の編成も鉄橋手前に置かれている。




この鉄橋の設計者、飯田豊二氏は鉄橋完成の半年前に
台南の病院にて死去している。
氏の功績をたたえた石碑は
現在、鉄橋の高雄寄りの駅、九曲堂駅近くに
大切に整備されている。
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原住民文化

2010年07月05日 | 


台湾は
民族的に難しい問題をかかえている。

「難しい」部分を抜きにして考えて
簡単に説明すると
元々、つまり清などの列強が上陸する以前に
この島でくらしていた人たちの文化が
大切に伝えられているということ。

これは昔からそうだったのではなく
ここ10数年のことではあるけれども
アイヌ文化を擁する日本なんかも
参考になる部分は大きいような気がする。

ぶっちゃけて言うと
いろいろな部族の伝統的なものが
エンタテイメント化されていたり
意匠化されていてファッション的にも観光的にも
十分楽しめるので、それはそれで素敵なことなのです。
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台北オタ事情2

2010年07月04日 | 

さて、昨日の記事にも書きましたが
台湾でも日本の同人誌は人気があります。

台湾人の作家も同人誌を出しているのですが
それらはコミケなどで購入できます。

台湾大学の正門近くにある「緑林寮」には
常時、同人誌やアニメグッズなどを扱っています。

店主はもともと学校の教師で
アニメ好きが高じてこの店を開いたそうです。




台北駅前にあるNOVAビル。


ここは1Fにパソコンショップやケータイショップ、スタバが入っていて
上の階にはレストランやダイソー(100均ではなく39元ショップ)、
ガンダムショップ、鉄道模型の店などが入ってます。





このほかにも「臺鐵本舗」(鉄ヲタ:鐵路迷向け。ただし普通のお客さんの利用も多い)
飛行機ヲタ向けの「AIRSHOP飛機館」などがあるだけではなく

八路、光華商場の電脳街や、メイドカフェなど
日本の秋葉原に近い状況になりつつあります。
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台北オタ事情

2010年07月03日 | 
台北市内には、いわゆる「オタ」(中国語で「宅男」)向けのお店が
何店か存在しています。



西門にある「萬年ビル」は
ケータイ屋やゲーセン、フィギュアの店などが入っています。



日本人や台湾人にも「オタクビル」として有名ですが
日本のその類のビルほど、「それらしは」は感じられません。




もちろんアニメイトもあります。
ただ、台湾のオリジナルものはなく
日本のコミックの中文版や、輸入した日本の同人誌が
商品のほとんどを占めています。
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○○○○のために

2010年07月02日 | 


夜になると台北の街に鳴り響く
【エリーゼのために】

音の鳴っている先には
必ず黄色い車。

そう、「ごみ収集者」です。

この車が来ると
みんな家や店、事務所からゴミ袋をもって現れ
ゴミ収集車に投げ入れていきます。

この車は「エリーゼのために」を鳴らしながら
「台北市民のために」やってくる車なのです。
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