国立競技場

2015年09月15日 | 東京のお散歩
いろいろ問題が発生している2020(平成三十二)年の東京オリンピック。
そのメイン開場になる予定の国立競技場。

(在りし日の国立競技場)

現在工事が行われ、問題となっている「新国立競技場」は三代目の競技場となります。

(国立競技場工事現場)

初代は「雨の学徒出陣式」で知られた、明治神宮外苑競技場。
前回の東京オリンピックが行われた、いわゆる「国立」こと国立霞ヶ丘陸上競技場が
二代目にあたります。

まだ設計が決定していない三代目ですが、どん競技場になるのか
不安と期待でいっぱいです(どちらかといえば不安が9割です)。
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神宮球場

2015年09月14日 | 東京のお散歩
明治神宮外苑に広がる神宮球場。
東京六大学野球やヤクルトスワローズのホーム球場としておなじみのこの野球場は
実は明治神宮が所有している野球場です。



開場は古く、大正十五(1926)年10月23日で、閑院宮殿下と
摂政宮(後の昭和天皇)のご臨席で竣工式が行われた由緒ある野球場なのです。

実は野球場は2つあって、第二球場では高校野球や六大学野球以外の
東都大野球2部リーグやアマチュアの使用が主体となっています。

(第二球場を霞ヶ丘競技場跡側から)
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大塚 天祖神社

2015年09月13日 | 東京のお散歩
大塚駅の南側に鎮座する天祖神社は、かつて神明社と呼ばれた
天照大御神を祭神とする旧巣鴨村の総鎮守です。

(天祖神社)

旧巣鴨村は、現在の巣鴨駅から西巣鴨、大塚駅周辺や
池袋のサンシャインシティ周辺を範囲としていて
これは現在の豊島区の、ほぼ半分の面積に相当します。

(拝殿と境内)

創建は鎌倉時代末期で、豊島氏が伊勢から分霊を勧進したものとされています。

(駅前改良工事で移動させられた石碑)

境内の狛犬は子育て狛犬と呼ばれ、子狗に授乳している姿の
大変珍しい狛犬として安産や子安信仰を集めています。

(子育て狛犬)

例大祭は毎年9月17日に行われますが、神輿渡御などは
便宜上、前後の日曜日などに行われます。

(天祖神社の傍を走る都電)

近年、一部地域の神輿は、JR大塚駅の自由通路内を渡御しています。

(大塚駅改札前を渡御する神輿)
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祭りシーズン

2015年09月12日 | 徒然
地元の祭礼は来週ですが、隣接する地域の祭礼は今週から始まります。

連休明けも、区民まつりなどもあって、祭り好きには忙しい季節です。

明日は隣町池袋・大塚の天祖神社(巣鴨村総鎮守)の祭礼です。
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東京国際展示場

2015年09月11日 | 東京のお散歩
オタクの聖地のひとつとして挙げることができる、東京ビッグサイト。
企業系見本市などでもおなじみの建物です。




佐藤総合設計の設計に、間組JVの建設で竣工してから来月で20年になります。

何かと足を運ぶこの場所。
いつも新しいイメージでしたが、もうそんなに年を重ねていたんですね。
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府中の森公園

2015年09月10日 | 東京のお散歩
在日米軍府中基地の跡地利用として、昭和五十七(1982)年に
財務省(当時大蔵省)、防衛省(当時防衛庁)、東京都に三分割され
そのうち東京都に移管された敷地に平成三(1991)年に開園したのが
府中の森公園です。





武蔵野の「森」「丘」「川」が表現されている園内には、日本庭園もあり
この庭園だけでも、武蔵野の自然を味わうことができる造りになっています。

(府中の森芸術劇場)
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重陽

2015年09月09日 | 徒然
今日は重陽節。菊の節句です。
でも、前線と台風の影響で、朝から大雨。

旧暦の九月九日に期待するしかありません。
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武蔵国分寺(医王山)

2015年09月08日 | 東京のお散歩
鎌倉時代に合戦で消失した国分寺は、その後間も無く新田義貞が薬師堂を再建し
真言宗豊山派医王山最勝院武蔵国分寺(醫王山武蔵國分寺)として
現在にいたっています。

(本堂)

(山門)

境内には万葉植物園として、万葉集に詠まれた植物が植えられています。
さらに、境内や隣接する名主旧本多家跡の「おたかの道湧水園」からの湧水もあり
古い武蔵野のハケ地の面影を残しています。

(境内からの湧水)

(湧水園内の湧水)

(湧水園内に復原された七重塔模型)

(お鷹の道)
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武蔵国分寺

2015年09月07日 | 東京のお散歩
聖武天皇は天平十三(741)年、国家鎮護を目的として
各国に国分寺建立の詔を発しました。

これによって、奈良・東大寺を中心に各地に国分寺と国分尼寺が建てられました。

(武蔵国分寺跡)

武蔵國には国府の近く、つまり現在の府中の北側、
ハケ(崖線)の南側の段丘面に建立されました。

この崖線は国分寺崖線といい、もちろん国分寺市の名とともに
この勅願寺である国分寺に由来する地名です。

(国分寺駅に停車する西武国分寺線)

伽藍は鎌倉時代に分倍河原の合戦で消失してしまいましたが
その跡地では、現在も発掘調査と保存が行われています。

(七重塔跡)
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瀧神社

2015年09月06日 | 東京のお散歩
府中の崖線、立川段丘のハケに、大國魂神社の末社、瀧神社があります。

(御神木と社殿)

賀茂別雷命、玉依姫命、賀茂健角身命を祭神とするこの神社は
約六百年前に創建されたと伝えられています。

(鳥居)

鳥居の左側(社殿に向かって右側)のハケからは湧水が落ちていています。
かつては「滝」だったと思われるこの湧水も、平成に入り一時枯渇したそうですが
近年再び湧出するようになり、現在は定期的に水質検査を行うなど
市と氏子で、しっかりと管理されています。

(湧水地点)

大國魂神社のくらやみ祭りでは、神馬がこの水で禊を行う事や
東京競馬場に近く、なによりも競馬場舎宅の裏手にあることから
ジョッキーや厩務員など馬に関わる人々からの崇敬を集める神社でもあります。
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東郷寺

2015年09月05日 | 東京のお散歩
東京都府中市にある日蓮宗寺院聖将山東郷寺は、東郷平八郎の別荘跡に、
東郷元帥の死後、彼を慕う者たちによって建立された寺院です。

府中崖線に作られた昭和十五(1940)年建立の三門(山門)は、伊東忠太の設計で
黒澤明監督の「羅生門」に登場する門のモデルにもなりました。







大日本帝國の軍神にまつわる宗教施設は、神社であることがほとんどという中で、
仏教寺院が作られたという事からも、東郷元帥が如何に多くの人に慕われていたか
うかがい知る事ができます。
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上り屋敷

2015年09月04日 | 東京のお散歩
豊島区西池袋、西武池袋線の沿線は、昔から上り屋敷と呼ばれています。

昭和二十八(1953)年までは、西武池袋線に「上り屋敷駅」という駅もありました。

(上り屋敷駅跡地を走る西武池袋線)

上り屋敷という地域名は、江戸時代にこの付近(目白から落合にかけて)が
将軍のお狩場としてご禁足地であって、そこに将軍の休息所として設けられた建物が
「上り屋敷」と呼ばれた事に由来します。

(上り屋敷駅跡近くにある目白庭園)

この付近には、明治以降も戸田家や徳川家の屋敷が作られるなど
「お屋敷町」として知られてきました。

目白庭園は、平成に入ってから造園された池泉庭園ながら
そんな往時の屋敷たちを彷彿とさせる造りとなっています。

落合の「おとめ山」は、禁足地である「お留」が由来となっていて
こちらは湧水を中心とした自然公園となっています。

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神保町と小川町

2015年09月03日 | 東京のお散歩
古書店の街神保町とスポーツ用品店の街小川町。
となりあった二つの街は、もともと武家屋敷が並ぶ町でした。

(古書店街神保町)

神田神保町は、江戸時代の旗本神保(伯耆守)家の屋敷が、
現在の集英社や有斐閣の一画にあった事に由来しています。

(現在の神保町と小川町の境・駿河台下)

神田小川町は、その名の通り小川があった事に由来します。
この「小川」とは、江戸時代にすでにこの地から姿を消した川で
ひとつは神田川の人口開削前に流れていた原神田川である平川とされています。

(スポーツ用品店街小川町)

平川は、現在の神田川開削時に一度、本流から切り離されてしまい
平川濠からつながる水路となっていました。
(現在は再び神田川と接続しています。)

(九段下から平川とその向こうの神保町を望む)

もう一つは、小石川(礫川)です。
上流部では谷端川、千川と呼ばれたこの川は、
神田川の人工開削以前は、現在の白山通り(都営三田線)のあたりを流れて
日比谷入江に注いでいたとされていて、現にこのルート付近の地質は
周辺に比べて軟弱のようです。

現在の小川町は、これらの河川よりも東側に位置していますが
神保家の屋敷ができる以前、更に神田川開削工事以前、
つまり地図もほとんど遺っていない江戸氏の時代や太田氏、後北条氏の時代には
ひょっとしたら今の神保町駅周辺や、もしかしたら九段下あたりまで
小川町と呼ばれていたのかもしれません。

(すずらん通り)
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浅草奥山

2015年09月02日 | 東京のお散歩
「奥山」は、浅草寺の裏一帯を指す地名で、江戸時代から浅草寺参りの際に
ちょっと寄り道をして遊んで行く盛り場でした。



尤も、浅草寺参りは口実で、奥山や吉原へ行く客も多かったようです。



今でも花やしきから初音小路まで、老若男女がそれぞれの目的で遊びに来る
「浅草らしい浅草」がある場所です。

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浅草六區

2015年09月01日 | 東京のお散歩
浅草六区は、正しくは浅草公園六区と言って、
明治六(1873)年に太政官布告によって浅草公園と命名された浅草寺境内が
明治十七年に一区から七区まで区画された、その第六区の区画を指す地名です。



具体的には、浅草田圃と呼ばれた浅草寺裏に掘られた「ひょうたん池」の東西で
見世物小屋や芝居小屋などが並ぶ歓楽街となりました。

高度成長期以降、娯楽嗜好の変化で衰退しましたが、
地元の努力や懐古ブームなども手伝って、再び賑わいを取り戻しつつあります。

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