陸前浜街道の名残

2017年01月16日 | 東京のお散歩
陸前浜街道は、国道6号線の別名として知られる道ですが
街道としての成立は古く、奈良時代にはすでにルートが確立されていたようです。

江戸時代の街道整備後は、奥州街道千住から、陸前岩沼までの
それまでの「浜街道」の名称が、領地ごとでバラバラになり
水戸以南では、6号線の別称の一つで、頻繁に使われる「水戸街道」が
一般的になりました。

明治5年に、政府通達により陸前浜街道という名称が正式名称となり
日本橋起点の国道として、新たにルートが設定されました。

千住から始まる古くからの街道ルートには、今でもその名残を
橋の名前などに見ることができます。


(古隅田川の陸前橋:足立区・葛飾区境)


(綾瀬川に架かる水戸橋:足立区)
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五反野親水緑道

2017年01月15日 | 東京のお散歩
東京拘置所の周りを流れる裏門堰親水路と丁字で別れて緑道が伸びています。

五反野親水緑道と名付けられた緑道は、水の流れが楽しめるようになっています。

この緑道は、かつて梅島村(梅嶋村:現在の足立区梅田七丁目付近)にあった
梅田の養魚場と呼ばれた池と、裏門堰水路、古隅田川などを結ぶ水路の一部で、
東武鉄道の線路が、荒川放水路の開削のために北側に移転した際に
それまでの水路が鉄道用地として転用されたために付け替えられた後の本流でした。

この水路がJR常磐線と交差する部分は、日本がまだGHQ占領下だった時代に
初代国鉄総裁下山定則氏の遺体が発見された、いわゆる下山事件の現場です。

五反野親水緑道が裏門堰親水路とぶつかる地点のやや東側には
以前まで死刑執行に使用されていた死刑場があったようです。

このような、ちょっと陰鬱さを払拭すべく作られた、穏やかな緑道という風情です。

うーん…
ちょっとネガティブに考えすぎですかね。




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薬祖神社

2017年01月14日 | 東京のお散歩
日本橋の「福徳の森」の中に、福徳神社と並んで鎮座する社があります。

大己貴命と少彦名命を祀る薬祖神社です。

この二柱の神は、日本の医薬酒造の神として古来から崇められていて
日本橋界隈の薬商は、この二柱を祀る上野五條天神社などを崇敬していました。

昭和四年に、東京薬種貿易商同業組合の屋上に、五條天神社から御霊の分霊を迎え
初代の薬祖神社社殿が完成しました。

昭和五十八年に昭和薬貿ビル屋上に二代目の社殿が造営され遷座しましたが
今回の福徳の森プロジェクトの一環で、昨年9月28日に三代目社殿へ遷座しました。


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福徳神社

2017年01月13日 | 東京のお散歩
中央区日本橋室町、COREDO室町の裏手に鎮座している福徳神社は
清和天皇の時代、貞観年間(西暦860年前後)には、すでに鎮座していたとされる
都内でも屈指の古い歴史を持つ神社です。

家康入府までのこの地は、武蔵國の片田舎でしたが、源義家や太田道灌にも崇敬され
家康公も天正十八年八月朔日の江戸入府後すぐに、福徳神社へ参詣したとされています。

また秀忠は、福徳という名(元々この地は福徳村と呼ばれていた)を賞賛し
慶長十九年正月の参詣の折に、鳥居から春の若芽が萌え出ているのを認め
「芽吹神社」の別名を与えたとされています。

平成二十六年から日本橋再生計画の一環として、三井不動産・清水建設の手で
新社殿および「福徳の森」を整備を行い、平成二十六年十月に神社新社殿が
昨年平成二十八年九月に福徳の森が竣工しました。








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椙森神社

2017年01月12日 | 東京のお散歩
日本橋堀留町の椙森神社(すぎのもり神社)は、平安中期に藤原秀郷が平将門の乱鎮定の際に戦勝祈願を行い、
戦勝後に白銀の狐像を奉納したことを起源とする神社で、日本橋七福神の一つ(恵比寿大神)でもあります。





江戸時代には、柳森、烏森とともに「江戸三森」のひとつに数えられ、庶民や諸大名の崇敬を受けました。

また、江戸時代に「富籤」が行われた事でも知られ、富籤を題材にした古典落語『富久』(三遊亭圓朝作)で
噺中の富籤が椙森神社の富籤として演じられることがあります。
(『宿屋の富』は、上方落語を三代目柳家小さんが江戸落語に移植したもの)

社殿は関東大震災で被災し焼失しましたが、昭和六年に鉄筋コンクリートの耐震造で再建されました。

このために、戦争中も空襲で焼失する事もなく、住民の避難場所として機能し、これをご加護とされました。
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人形町の弁慶像

2017年01月11日 | 東京のお散歩
日本橋人形町をかつて流れていた浜町川の暗渠である浜町緑道に
歌舞伎十八番、勧進帳の武蔵坊弁慶像が建てられています。



これは、この付近が堺町と葦屋町と呼ばれていた江戸時代に
市村羽座衛門の市村座と、中村勘三郎の中村座がこの地にあり
この他にも浄瑠璃の薩摩座や人形浄瑠璃の結城座などがひしめいていて
江戸歌舞伎発祥の地であり、芝居小屋文化の中心であったことを記念するものです。

現在は、明治座がその伝統を引き継いでいます。

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かすかべ防衛隊

2017年01月10日 | 鉄道
『クレヨンしんちゃん』作中で、野原しんのすけ、風間トオル、桜田ネネ、
ボーちゃん(そう言えば、ボーちゃんの本名って何だ?)、佐藤マサオで結成された
「かすかべ」(もちろん埼玉県春日部の事)の、愛と平和を守る組織。
それが「かすかべ防衛隊」です。

東武鉄道では、クレヨンしんちゃん25周年プロジェクトの一環として
春日部を走るスカイツリーライン(伊勢崎線)の車両5編成に
5人のメンバーそれぞれのラッピングを施して、運行しています。

地下鉄半蔵門線、東急田園都市線に直通する車両なので、埼玉、東京だけでなく
神奈川でも目にすることが出来ますが、運行によっては片道100km近くを
2時間半近くかけて走る事もあるので、一遍に全車遭遇するのは
かなり不可能に近そうです。


(しんのすけ 51055F)


(風間くん 51056F)


(ネネちゃん 51057F)


(ボーちゃん 51058F)


(マサオくん 51059F)
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水天宮 新社殿

2017年01月09日 | 東京のお散歩
日本橋蛎殻町の水天宮は、文政元年(1818)に久留米の水天宮から分霊し
久留米藩有馬家上屋敷(三田)に鎮座したことに始まり、明治時代に
同じく有馬家中屋敷のあった、日本橋蛎殻町の現在地に遷座しました。

江戸遷座二百年記念事業として、社殿の建て替えが行われ、
昨年4月から、新たな社殿で参詣客を迎え入れています。



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日本橋人形町

2017年01月08日 | 東京のお散歩
日本橋人形町は、オフィス街である以上に、江戸以来の繁華街として
街歩きの人気が高いエリアでもあります。

人形町という名は、もともと町名ではなく通りの名で、
人形師が多く住んでいた事から、人形町と呼ばれるようになったそうです。

江戸時代初期には吉原遊郭がこの地にあって、明暦の大火で焼失後、
現在の吉原(新吉原)へ、幕府の命によって移転しました。

家康入府頃は、まだ葦の茂る僻地で、そのために吉原(葭原)と呼ばれ
昭和八年に、町名として正式に人形町となるまで、元吉原の地域は
日本橋芳町という町名で、花街として賑わいました。





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浜町公園

2017年01月07日 | 東京のお散歩
関東大震災の復興事業で作られた浜町公園は、中央区最大の公園です。



隅田川に面していて、明治以前は肥後熊本の細川家下屋敷が、この場所にありました。

そのため、公園内には細川斉護らが建立した、加藤清正を祀る清正公寺があり
近代公園の中で、ひときわ異質な雰囲気を醸し出しています。

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銀巴里

2017年01月06日 | 東京のお散歩
銀座七丁目。

ここに、銀巴里というシャンソン喫茶がありました。
昭和二十六年に開店したこの店からは、丸山明宏(美輪明宏)がデビューし
三島由紀夫や吉行淳之介、寺山修司といった名だたる作家が集いました。

この界隈には、ジャズ喫茶に銀座ACBなどもあり、戦後の華やかな銀座は
この辺りから出来上がっていったと言っても、過言ではないでしょう。

銀巴里は平成二年に惜しまれつつ閉店しました。
今は、かつて店のあったビルの前に、石碑が建てられています。

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西銀座の風景

2017年01月05日 | 東京のお散歩
西銀座のプランタンが、昨年末で閉館しました。
数寄屋橋のソニービルも今年、閉館します。

銀座の街は、時代とともに生まれ変わりながら
今日まで発展し続けてきました。

それは解っていても、やはり子供の頃から慣れ親しんだ
銀座の定番の風景が、また少し変わってしまうのは
どこか寂しいような気がします。

多分それは、街が変わってゆくことじゃなくて
自分が歳をとったことへの寂しさなのかもしれません。



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日生劇場

2017年01月04日 | 東京のお散歩
日比谷の帝国ホテルの並びに建つ日生劇場。
正式には日本生命日比谷ビルの中の劇場ですが、常設劇場を持つ以前の劇団四季が
日生劇場で多くの公演を行ったことなどから、ニッセイのオフィスとしてよりも
やはり日生劇場としての知名度の方が高いようです。

竣工は昭和三十八年で、村野藤吾が設計、大林組が施工しました。

収容定員1330名(竣工時1358名)。
オーケストラによるクラシック演奏よりも、オペラやミュージカル公演が多い劇場です。

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東京箱根間往復大学駅伝競走

2017年01月03日 | 徒然
東京箱根間往復大学駅伝競争。
通称箱根駅伝。

今年も熱いドラマが繰り広げられました。

20歳前後の若者が、一本の襷を仲間に託し繋ぐため
ただひたすらに東海道を走るという正月の恒例行事は
単なる「スポーツ」ではなく、相撲などに似た様式美や
神々しささえ感じる時があります。

残念ながら、今年も襷を繋ぐことが出来なかった大学が
いくつか出てしまいました。
(私の母校も、襷が途切れてしまいました)

これは、チームの誰の責任でもありません。
道路事情という理由で、便宜上そうせざるを得ないのです。

襷という物体は繋げなくても、選手たちの想いは
次の区間にしっかりと繋いで大手町まで戻っています。

さて、次回は予選会から応援する楽しみが増えました。

どんな子が、どんな走りを見せてくれるのでしょうか。


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初音森神社摂社

2017年01月02日 | 東京のお散歩
日本橋馬喰町、横山町の鎮守である初音森神社。

14世紀に、藤原大納言師賢によって奉斎されたとされる神社で
御神徳多く、後に太田道灌が社殿を寄進したとも伝えられています。

奥州街道沿いのこの地は、古くから初音之里と呼ばれていて
樟木などが生い茂る森があったことから、この森が初音森と呼ばれていました。

この里には馬場があり、博労(馬の鑑定・売買を行う者:馬喰)であった、
高木源兵衛なるものの子が重い病に罹り、母親がこの社に願をかけ
7日目の満願の夜に、一人の女性が現れ子に乳を与える夢を見、
目をさましてみると、子は忽ち病が治っており、これを以って
初音之里の人々から更に厚く敬われるところとなったそうです。

江戸時代には浅草見附建設や明暦の大火にあたり、別当寺である西光寺となりの
墨田区千歳の現在地に遷宮します。

昭和二十三年に、旧蹟である東日本橋に新たに神社を建て
摂社として、由縁の地を豊受比売命が守っています。

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