梅雨寒

2018年06月15日 | 写真
梅雨寒の空の下

紫陽花も雨に濡れて

鮮やかながら寒そうです



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多摩川浅間神社

2018年06月14日 | 東京のお散歩
東急線多摩川駅から東横線と東急多摩川線が二股に別れるその付け根、
多摩川の段丘上に鎮座する多摩川浅間神社。

今から八百年ほど前の創建と伝えられていて、源頼朝が伊豆で挙兵し
安房から武蔵国府中へ向かう途中、豊島郡滝野川松橋に布陣した際

夫の身を案じた北条政子が、後を追いここまでやって来きたところ
足が痛み、この地に逗留することになりました。

この時、多摩川の畔の小高い丘、亀甲山に登ったところ富士山が美しく見え
自分の守り本尊である浅間神社に向かい夫の武運長久を祈願し
身につけていた正観世音像をこの地に祀り、住民が崇敬したのが
多摩川浅間神社の由来と伝えられています。

亀甲山は、国分寺崖線の終焉でもあり、古墳も出土している地で
古代以前には、ここから噴煙を上げる富士山を望める場所且つ湧水が豊富で
神聖視されていた場所であろうことは、想像に難くありません。


(多摩川浅間神社参道)



(湧水を利用した白糸の滝)



(中腹の鳥居)



(参道の脇には溶岩が組まれている)



(拝殿)



(拝殿脇から。冬場にはこの方角にくっきりと富士山が見える)



(田園調布が氏子域の為、長嶋一茂など著名な奉納者が目立つ)
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桐畑地下道

2018年06月13日 | 東京のお散歩
品川區を走る東海道本線の下をくぐる桐畑地下道。

平成七年に開通した、大森貝塚に隣接した地下道で
入口に縄文時代の生活を描いたタイル畫があったり
隧道中央に貝層の標本が展示されています。


海側の入口橫には湧水があり、金魚が泳いでいます。

この辺りは鹿島谷という小さな谷になっていて
更には荏原台の東端ということもあり、
豊富な湧水量となっています。

近隣には大井の由來にもなっている光福寺の井戸もあり
古くから湧水の多い土地でした。

縄文人たちも、おそらく湧水の豊富なこの地は
生活に便利な場所だっただろうと思われます。


(山側の壁画)


(中央部の貝塚標本)


(海側のポータル)


(湧水)
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大森貝塚

2018年06月12日 | 東京のお散歩
大森貝塚をめぐる、大田区と品川区による「ウチが本家」争いは
近年の研究などによって、発掘現場は品川区側であったことがわかっていて
大森貝塚遺跡庭園には線路脇に建てられた石碑の他にもE・モースの胸像や
調査シャフトの標本などが展示されています。

縄文時代には、箱根や富士山の噴火が盛んで、火山灰の影響によって
木の実などの採集が比較的困難になり人口も減少したと考えられており、
結果的に古東京湾の入江に面したこの場所に、集落が形成され
海産物の塵芥が多く集まったと考察されます。



(線路脇の石碑)



(遺跡庭園のモース像)



(貝層の標本)
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大森貝墟

2018年06月11日 | 東京のお散歩
明治十年(1877)、横浜で上陸し鉄道で東京へ向かっていた米国人動物学者モースが
大森駅を発車した列車の車窓から、荏原台の崖の地層に貝殻が積み重なっているのを発見し
もともと標本採集のために来日していたモースは、政府の許可を得て、発掘を開始しました。

モースの大森貝塚に関する発表論文に、発掘現場の詳細位置の記述がなく
報告書の記述が「大森村」であったことから、長年大田区と品川区で
「こっちが本当の貝塚」という本家争いが起こっていました。

大森貝墟は、このうち大森駅寄りの大田区側の石碑です。


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大森山王 日枝神社

2018年06月10日 | 東京のお散歩
大森駅前の日枝神社は、その昔租税が免除されていたとされたことから
不入斗村と呼ばれた新井宿の名主、酒井権左衛門の邸内社として
中世に比叡山の麓の日吉大社から勧請し創建されたと言われています。

山王権現を祀ることから、新井宿の中でも、この周辺を山王と呼んでいました。

鈴ヶ森を避けるための東海道間道と平間街道との交差点であり
縄文海進期の海蝕崖に近い下末吉面の荏原台東端に位置しているため
酒井家による勧請以前から、何かしら信仰的なものがあった可能性は
十分にあるかもしれません。



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天祖諏訪神社

2018年06月09日 | 東京のお散歩
京急線立会川駅そばの浜川総鎮守天祖諏訪神社は
もともと立会川を挟んで北浜川鎮守の諏訪神社と
南浜川鎮守の天祖神社が昭和四十年に合祀され
南側の天祖神社が天祖諏訪神社となった神社です。

天祖神社は、「大井郷之図」や旧別当寺来福寺の記録から
鎌倉時代初期ごろに神明社として創建されたと考えられ
一方の諏訪神社は松平土佐守の下屋敷の立地から
江戸時代初期寛永年間以前の創建と考えられています。

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山王祭神幸祭

2018年06月08日 | 東京のお散歩
江戸の天下祭りとして名高い日枝神社の山王祭。

今年は天皇陛下御在位三十年と、東京奠都百五十年という節目で
奉祝の祭禮となりました。

江戸三大祭の中でも神田祭と、この山王祭は江戸城内に入ることのできる
「天下祭」に数えられ、現在でも皇居に参賀する祭りでもあります。


麹町から四谷、九段、永田町、皇居、日本橋、京橋、霞が関と
広大な氏子域を御防講を先導として、直垂や狩衣姿の氏子たちが
二基の鳳輦や宮神輿、山車とともに静々と巡幸して周ります。


都心を優雅な祭列が練り歩く、年に一度の江戸っ子の楽しみです。








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立会川駅前の龍馬像

2018年06月07日 | 東京のお散歩
京急線立会川駅前に建つ坂本龍馬の立像。

黒船来航の際に、有事に備えた土佐藩下屋敷を
坂本直柔(龍馬)ら藩士が警護を行いました。
その下屋敷のあった場所が、立会川河口の浜川で
以前より高知市より贈られた像がありましたが
大河ドラマ「龍馬伝」(2010年 福山雅治)が放送された際に
現在の銅像が設置されました。


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梅雨入り

2018年06月06日 | 東京のお散歩
本日、関東地方が梅雨入りしました。

梅雨はイヤですが、「冬来りなば春遠からじ」と同じように
祇園祭が近づいてるなという感じがします。




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鈴ヶ森刑場

2018年06月05日 | 東京のお散歩
東海道品川宿を過ぎるあたりの鈴ヶ森刑場。

かつては海に面したこの刑場も、今は京急線の高架や
第一京浜道路の喧騒の真ん中にあって
陰鬱な雰囲気は微塵も感じさせない場所となっています。








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浜川神社

2018年06月04日 | 東京のお散歩
鈴ヶ森濱川神社は、天明の頃に教光院了善が高尾山と羽黒山で修行ののち
自宅に厄神大権現を祀り修験道寺院としたのが始まりとされ
江戸城大奥女中や諸大名から厚く信仰されていたようです。


了善は町奉行鳥居甲斐守の時に流罪になりましたが、後に遠山景元の時に
冤罪により赦免され、孫の大野良顕により再興されました。

明治の神仏分離令によって神社となり、大野氏は還俗して神職となり
現在まで代々奉仕しています。



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大井 海運稲荷神社

2018年06月03日 | 東京のお散歩
旧東海道品川宿の南、鈴ヶ森刑場の手前に建つ海運稲荷神社。

由緒書きなどが掲示されていないので、詳細は不明ですが
場所柄水産業者や漁業関係者の崇敬を受けていることは確かです。


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外国のような風景

2018年06月02日 | 写真
東京や横浜あたりを歩いていると
ふと外国にいるような錯覚に陥る風景があります。

東京の「東京然」とした風景もいいですが
たまに出会える、そんな景色もいいものです。


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神田上水懸樋跡(千代田区側)

2018年06月01日 | 東京のお散歩
小栗坂の突き当たり付近のJR中央線の線路際に建つ、神田上水懸樋跡の案内板。

文京区側は神田川沿いのため、石碑を設置できるスペースがありますが
こちらは線路があり、歩道の拡張も難しいため簡素な案内板のみとなっています。

神田上水が小石川(谷端川)からの取水から江戸川(神田川)からの取水に変わり
本来の流れに加えて浅草方面への分水である仙台堀(現在の神田川)ができると
その水面の標高差から、河川の上を上水を通水しなくてはならなくなりました。

それが神田上水懸樋であり、水道橋(地名、駅名、道路橋名)の由来にもなっています。

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