東急線多摩川駅から東横線と東急多摩川線が二股に別れるその付け根、
多摩川の段丘上に鎮座する多摩川浅間神社。
今から八百年ほど前の創建と伝えられていて、源頼朝が伊豆で挙兵し
安房から武蔵国府中へ向かう途中、豊島郡滝野川松橋に布陣した際
夫の身を案じた北条政子が、後を追いここまでやって来きたところ
足が痛み、この地に逗留することになりました。
この時、多摩川の畔の小高い丘、亀甲山に登ったところ富士山が美しく見え
自分の守り本尊である浅間神社に向かい夫の武運長久を祈願し
身につけていた正観世音像をこの地に祀り、住民が崇敬したのが
多摩川浅間神社の由来と伝えられています。
亀甲山は、国分寺崖線の終焉でもあり、古墳も出土している地で
古代以前には、ここから噴煙を上げる富士山を望める場所且つ湧水が豊富で
神聖視されていた場所であろうことは、想像に難くありません。
(多摩川浅間神社参道)
(湧水を利用した白糸の滝)
(中腹の鳥居)
(参道の脇には溶岩が組まれている)
(拝殿)
(拝殿脇から。冬場にはこの方角にくっきりと富士山が見える)
(田園調布が氏子域の為、長嶋一茂など著名な奉納者が目立つ)