幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

ピンクのハートに人だかり、弘前公園で桜満開 観光客でにぎわう ”自然の光景に物語を見つける”

2024-04-20 01:30:40 | 生き方/考え方

感想
 自然に人は物語を創りますね。
幽霊もその一つなのでしょう。

 ギリシャ神話で星座にお話を創りました。
個々の星は関係が無いのですが、人がそれを結びつけて物語を創っています。

 人生の個々の出来事は単独かもしれませんが、そこに物語を創ると、一つひとつがつながり意味を持って来るのでしょう。
その意味を創れるかどうかも、人生を生きる上で大きいように思いました。

 美しいですね。

「困難を乗り超えて生きる」サヘル・ローズ氏 (東京いのちの電話公開講演会)

2024-02-05 13:45:28 | 生き方/考え方
東京いのちの電話公開講演会 2023年度厚生労働省自殺防止対策事業オープンセミナー(2024年2月4日)  
注 個人のメモであり個人の理解ですので正確でない箇所もあるかと思います。

「困難を乗り超えて生きる」サヘル・ローズ

 ペルシャ出身のサヘル・ローズです。
 伝えたいことは、「自分を飾らない」こと。
私は弱い。強いと思ったことはない。
弱さから強さが生まれるが、強さからは弱さは生まれない。

 言葉の暴力で傷つき、知らないうちに自分が傷つけたことも、そうして生きてきた。
自殺をしようと思ったこともある。
でも、今伝えたいことがあるから生きている。

 今38歳、(会場から「そんな歳に見えない」)、ありがとうございます。
一人だったら、私は生きて来られなかった。
自分が弱っている時は一人でないと気付かなかった。でも、私へのまなざしがあったから生きて来られたかと。

 私が生まれた頃、イランとイラクが戦争をしていた。それが悲しい現実。
親を戦争で亡くした。自分の身分を証明するものがない。
4歳の記憶が、孤児院にいたのを覚えている。私の誕生日を証明してくれるものがない。

 7歳の時に養子縁組。その日が私の誕生日になっている。
それは母フローラのおかげ。
18歳の時に、養母が養子縁組をしてくれた。
当時イランでは養子縁組するために3つの条件が必要だった。
①結婚している
②お金が一定額以上ある
③子どもが産めない
 養母に逢った時、私は養母に「お母さんになって」と言ったらしい。
フローラは手術をして子どもを産めないようにした。
それは違法な手術だった。
医師から、自宅でならと言われ、麻酔もなしに手術だった。非常に痛かったと。
子どもの頃、母のお腹にすごい傷痕があったのを覚えている。
フローラは親から反対され、言われた。
「あの子を引き取るのは“あなた”でないといけないのか」と。

 日本の学校で、生まれた頃の何か記念のものを持ってくるように言われたことがあり、同級生の中には”へその緒“を持ってきた子もいた。こんなものを残しているんだと。多くは赤ちゃんの頃の写真を持ってきた。でも私には写真がなかった。
12歳まで、それがとても不思議だった。なぜ私にはないのか。

 養父から虐待を受け、母はこのままではいけないと思い、家を出て野宿をした。
野宿は2週間になった。地域の人が見つけてくれた。そして地域の人が支えてくれた。スーパーの食コーナーの試食が私にとっての主食だった。いつもくるのに嫌がらなかった。逆に食べられるものを紙袋に入れて持たせてくれた。地域の人が見てくれていた。
まなざし、埼玉の人の優しさ、温かいおせっかい。
イランの孤児院の時にはそのまなざしはなかった。

 母は清掃の仕事を始めた。TVもゲーム機もなかった。何にもない部屋で母の帰りを待っていた。
お米は冷めたご飯を母と一緒に食べた。だから今でも冷めたご飯が好き。
母のまなざしがあった。

 SNSで人と心で繋がることが乏しくなってきた。
一人ひとりが持ってた世界が孤立に。
自分の孤独、闇を否定しないで欲しい。
TVなどでも自分のことを「闇っ子」と言っていたら、「言わないで」と言われた。
お互いに受け皿にならないと。そのためには“言葉をかける”ことが大切。

 母は私を大学に行かせたかった。
周りと比較してしまった。
自分への価値観、自己否定感を社会が下げさせている。

①自分を認めて欲しい。自分を愛して欲しい。
自分を蔑む傷口からは何も生まれない。
そのままの自分を愛して欲しい。
100人いたら、私のことを好きな人は一人。
「そんな人だとは思わなかった」
「幻滅した」などと言われ、自分を減点していく。
社会がお互いが最初は0点で、減点方式ではなく加点で見て欲しい。
私の話が全員に伝わるとは思わない。

②自分の弱さを大切にしたい。
それが自分のツール。
誰かに迷惑をかけるかなと思う。
迷惑をかけてよい。
自分が窒息する前に出して欲しい。 
中学三年間孤独。
カウンセラーに「頑張ろう!」と言われ息が詰まった。

③頑張らなくて良い。
立ち止まって良い。
休んでよい。
ただ、生きていくために働かないといけない。
大人になると責任を負わされる。でも、
「あなたが守りたい人がいるなら、止まる勇気を持って欲しい」 
「苦しい」と言葉に出す。「助けてくれ」と言う。そうすれば誰かが見つける。
辞書も人が創ったもの。だからそれを100%正しいと思わなくて良い。
同じ音色を出すことで、人とつながることがある。
相手が「苦しい」と言ってくれた時、話し合える。
私の言葉を100%受けとめないでください。1%でよい。

 私は聞き流せないタイプ。
グループラインがとてもトラウマになる。
トラウマの特効薬はない。

 中学3年生の時、自殺しようとした。
母の通訳代わりをしていた。
どんどん学業も遅れていった。
小学6年生から「20歳です」と言って働いていた。
メイクして誤魔化していた。見た目はバレなくても、中身は子ども。
千葉のそごうでアルバイトしていた。
子どもなのでオモチャ売り場に興味があり、何で大人がオモチャをと。

 頑張るスイッチが入っていたので、母に弱音を吐けなかった。
勉強机もない。冷蔵庫もない。食べ物もなかった。
ジャニーズのシールも買うお金がない。手に入らないものが多く、友だちの会話に入っていけない。
母が「学校どうだった?」と時々尋ねる。
私は母に心配かけたくなかったので、「楽しかった。**ちゃんと遊んだ」と返していた。
**ちゃんは架空の人物。
成績は悪くてオール1だった。母には1が一番良いと伝えていた。

 弁護士になりたかった。
母が清掃で働いていた会社はペルシャじゅうたんの会社だった。
騙されて、借金をしてしまった。信頼していた人の保証人になったが、その人は逃げてしまった。
千代田区の裁判所で母の通訳をした。悪い人が逃げた。裁判官は「母が騙されていた」ことを理解してくれて、和解を提案してくれた。
返せる金額だけを。長い年月かけて、私の働いたのも借金の返済に充てた。
弁護士はなぜ悪い人の味方をするのか?
弁護士になって悪い人にきちんと罰を与えたいと思った。
私は裁判に負けたら、その相手を刺して殺そうと思った。

 中学3年生の時、自殺したいと思って、早退して家に帰った。
自殺して母が一人になることは考えていなかった。
というかそこまで考えられなかった。
私が死ねば、相手は私が死んだことで苦しめることができると思った。
母は仕事でいつもいないはずなのに母がいた。
母は枕に顔を押しつけて泣いていた。
母はそれまで弱音を吐かなかった。
母は150cmくらい。我が家には枕一つ、ふとん一つしかなかった。
いつも抱き合って寝ていた。
母は後一週間500円しかなくても、500円もあるよと言っている人だった。
ぼろぼろの服も、「まだ使えるから」という人だった。

 私は母に「どうしたの?」と尋ねた。
母は「疲れちゃった」と言った。
いつもキラキラしてる母が弱音を吐いた。
そのことが嬉しかった。
この人も「人間だ」と思った。
私も「疲れた」と言っていいんだと思えた。
「死にたくて、早退して帰って来た」と言えた。
そうしたら、母が「死んでよいよ」と言ってくれた。
止められたら、今ここで死ななくても別の日に別の場所で自殺していたと思う。
死にたい気持ちを受けとめてくれたと思えた。
母が「あなたが自殺するのを見ていたいから、そして私も一緒に死なせて」と言った。
そして本気で死のうと抱きしめてくれた。

私は家族のことがわからない。
欠けていることが多い。私は欠けている。
だからダメだと思っていた。
今ならそれはそれでよいと思える。
欠けているのが当たり前。
母を立体的に感じることができた。
穴の開いている服を着ている母を抱きしめた時、母の身体は骨と皮だけになっていた。
「こんなに母は小さかったんだっけ」
苦しい言葉飲み込んで働いていた母はボロボロだった。
生みの親を憎んだ。今でも憎む。その思いがいまだにグルグル回っている。
それ以上に、ずーっと見守ってくれた母。
私が犯罪を犯しても受けとめてくれる母。
私は「母のために生きよう」とそのとき思った。

 人は自分のためだけでなく、誰かのためになっている。
どんなに困難と問題を抱えていても、眼の前に人がいるから生きられている。
生きようと思っても生きられない。
お金が出てくる世界で、生命が奪われている。

①自分を愛する。
 簡単ではないことはわかっている。わかっていても自分のことが嫌いになる。
自分が嫌いなところは、ひょっとしたら、誰かにとって良いことかもしれない。
自分の色を失くさないで欲しい。
社会は自分の考えをだすことが少ない。
出すと周りの空気が変わる。

 児童養護施設や介護施設をボランティアで訪問するようにしていることが多い。
そういうところでは共鳴できることが多い。
いつもの空間から一歩離れて違う空間に行って欲しい。
自分探しの旅はしないで欲しい。
それは今の自分を否定することになる。
別の価値観を持っている人と出会う。
私はそういうところに行くようにしている。
 
②誰かの相談に聴く側に 
 でもそうしていると溜まっていく。全てを抱え込まないで欲しい。
自分のメモリーカードがいっぱいになったら、止める。
それは逃げることにならない。
身を引くことも考えて

 会話と対話
対話が少ない。
相手の顔色が変わったりと衝突が生まれる。
違って当たり前。

 映画を作っている。4年かけて。
キャストは8人。皆児童養護施設出身者。
でも一人はもういない。
もう丸一年になる。自殺した。
彼の話を聴いていた。
彼は自分の子どもに同じことをさせたくいないと言っていた。
施設の子どもとレッテルを貼られる。
でも、生まれた環境と親を憎んだことがないと。
5人は親に殺されかけたことがある。
それでも親を愛している。
親が老後、困ったら面倒をみたいと。

 私は彼の自殺を止められなかったことがずーっと罪悪感になっている。
彼は死ぬ一週間目にお話ししたいと私に連絡が送って来た。
その時映画の完成前でもありとても忙しかったので、「もう少ししたら会おうね」と返していた。
もし、会っていたら、彼の心を軽くしてあげられていた。
どんなに体験していても、過ちを繰り返してしまう。
仲間からの連絡はSOSだと思う。
もっと支援する側が、苦しんでいる人が頑張るのではなく、もっとおせっかいできる社会にしたい。

 エレベーターで声かけても返って来ない。
変えられない痛みがあるのは財産だと。
それを失くすと社会が悪くなる。
自殺した彼の娘は8歳。
父がどうして亡くなったかはまだ知らない。
遺された側は、自分から命を絶たれると、何かできたのではないかと、心がえぐられたままになる。
重い話でごめんなさい。

 この時の経験を友人に言ったら、母と似ていた。
その人は施設を出た人が集まれる場所がないので、その場所を提供している。
時々、夜中に「死んでやる」と電話がかかってくる。
直ぐに自転車で駆け付けていた。
今は「いいよ」「止めないよ」「この電話切るよ」
「でも明日生きていたら必ず電話頂戴ね。待っているから」と伝える。
3日後にかかって来たこともある。
ずーっと心配している。
最後の選択をする人には、「帰る場所」がない。
生まれた命は宝物。
それがどれだけ大切か。
抱きしめる。この優しさの輪が広がって、いつか平和も広げて行きたい。
そうしないと世界が良くなっていかない。
かかってくる電話に出なかった。

母は弟を亡くした。弟が先に亡くなったことを母は毎日泣いている。
ずーっと数か月泣いている。
「もう泣かないで。いつまで泣いているの」と母に言ってしまった。
母が「泣かせて」と。
母への禁句が「元気」「誕生日」の言葉。
弟と3日違いが母の誕生日。

 母の知り合いにご飯をおすそ分けしたりしていた。
その人は生活保護。
母が落ち込んでいた時、その人との関係が母をさらに苦しめると思って、しばらく連絡してこないでとお願いした。
そして1か月後くらいに、母が「しげたさん来ないね」と。その人の名前はしげたさん。
母が料理を作ったので、しげさんのところに持って言ってと。
持っていき、ドアノブに料理の入った袋をぶら下げて、ピンポンを2回押すのが私たちとしげたさんの合図になっていた。
その後にまた料理を届けたら、前の袋がそのまま。
そこで不安になって管理人さんに尋ねた。
「しげたさんは亡くなったよ。しばらく発見されなかった」
私は本当にバカだった。
しげたさんの唯一の話し合い手は私たちだけだった。
それを私が止めた。
母がまた料理を作った。
そして「しげたさんに持って行って」と言った。
私は困ったが、覚悟を決めて母にしげたさんが亡くなっていることを伝えた。
そうしたら母が「知っていたよ」と。

 この話をしているのは、どんなに気を使っても、どんなに周りを見ていても、自分が会話のない人を見て何もしないのは、どんな人間も罪びと。私も罪びと。
それをずーっと背負うこと。受けとめて、感情を持ってる。
涙は、誰も苦しい、心を出して、泣いてください。
泣けるのは、生きようとしているから。籠の中の自分を見て欲しい。
自分を一番見ているのは、インナーチャイルド。
あなたの溝を聴くのもあなた。
一人じゃない。
心の声に耳を傾けて欲しい。

 自分の中に余白が生まれると、声をかけることができる。
気にかけている人がいる。
思いやる。浮かんできた人に声をかける。
文明の発達、たとえばSNS、人とつながるために使って欲しい。

 国家と国民を一緒に見ないで欲しい。
その国民が望む戦争はない。
お互いが信じることのためにやっている。
それは戦争をしない。
戦争にはリセットボタンがない。
始まると戦争は止められない。
相手の立場に立たない人が多い。
その意識(相手の立場を考える)が低くなってきた。
流れてくるものをそのまま受け止めると加担したことになってしまう。
自分が見ているものを押しつけると苦しくなる。
自分が存在するだけで、大切な平和のピース(ジグソーパズルの一個)になる。

感想
 辛い話をされるとき、サヘル・ローズさんは涙声で話されていました。
辛い話をすることが、生きることを伝えるためには必要だと思ってだと思います。

 生きているだけで誰かの支えになっている。
生きているだけで十分だと、信じることなのでしょう。

 サヘル・ローズさんのことは知っていました。
東京いのちの電話で講演会があるのを知り、ぜひ聞きたいと思い直ぐに申し込みました。

 この講演、多くの人に聴いて欲しいと思いました。
メモしてブログにUpするのは、少しでも、サヘル・ローズさん(砂漠に咲くバラの意味)のメッセージを聴いて欲しいと思うからです。

 母と子が野宿した周辺のさいたまの人が優しくて良かったです。
その優しい人に自分がなれるかです。

 東京いのちの電話での講演でした。
埼玉いのちの電話でも、来てくれるように思いました。
そして埼玉の人の温かいおせっかいの話をもっとしていただけるのではないかと思いました。

 ユダヤの人、トルコの人、台湾の人に親日家が多いのはその国の人に優しくした先人の日本人がいたからです。

 サヘル・ローズさんのYouTubeとX(元ツイッター)に登録しました。

<遅咲きデビュー(6完)>囲碁棋士・外柳是聞さん 背水の舞台で栄冠つかむ ”敵に勝つには己に勝つことが必要”

2023-01-10 03:30:30 | 生き方/考え方
https://news.yahoo.co.jp/articles/38ae51ea2a328294f492674bbedb83dbd6616c51 1/9(月) 6:15 河北新報
「新人王になって地元の盛岡の人々に良い報告ができたのがうれしい」と語る外柳さん

 若くして頭角を現す早熟型がいる一方で、着実に力を蓄え、遅れてデビューする晩成型もいる。長く厳しい冬を耐え、ついに咲いた大輪の花。干支(えと)にあやかりピョン、ピョーンと飛躍の年だ。(6回続き)

■結果に一喜一憂

 年齢制限ぎりぎりで挑んだ大舞台で、誰よりも迷いもがき苦しんだ男が栄冠をつかんだ。

 盛岡市出身の囲碁プロ棋士外柳是聞(せぶん)さん(28)=五段=。2021年10月、若手の登竜門とされる新人王戦を制した。「周りの棋士に感じた引け目が、優勝したことで少しだけ楽になった」と話す。

 ずっと出遅れの囲碁人生だった。プロ候補生の院生となったのは年齢制限上限の14歳。在籍期間満了の17歳までに合格できす、プロデビューを果たしたのは19歳の春だった。

 結果に一喜一憂する性格が災いした。負けると気持ちがふさがり、生活リズムが崩れ、勉強量が減るといった悪循環を繰り返した。

 デビューした14年は7割超だった勝率は、15年から5年間は5割台に低迷。勝ち負けを繰り返し、気付けば同世代に先を越され、早熟の年下にも追い越された。新人王戦優勝やタイトル戦リーグ進出といった目標が、遠い世界の話のように思えた。

■先勝で心乱れる

 20年、勝率が6割を突破した。なぜ勝てるようになったのかは分からない。人工知能(AI)ソフトを使って研究するためのパソコンを買い替え、勉強量が増えたからか。それとも、たまたま運を引き寄せたのだろうか。21年には6割4分5厘にアップした。

 それでも自信がつくことはなかった。

 「大きな舞台で打つのはこれが最後になるかもしれない」。21年の新人王戦もあまり期待しないまま始まった。年齢制限は予選があった20年の8月時点で25歳。自身にとって最後の決戦の舞台だった。

 準々決勝で年下の強豪を下して勢いに乗った。準決勝も快勝した時、初めて大舞台に臨んでいることに気付いた。

 決勝3番勝負の相手は「ハンマー」と評される力戦派の四段上野愛咲美さん(21)。下馬評は上野さんが優勢だったが、1局目は相手の誤算もあって外柳さんが勝った。

 先勝で欲が生まれ、心が乱れた。「優勝したい」「負けたらどうしよう」。2局目は敗退。その後別の棋士との対戦でもぼろ負けし、気分が沈みきった。

 ここで腹をくくった。いつ寝て、いつ起き、いつ髪を切ったのかを思い出せないくらい研究した。 

■敵は自分自身

 3局目。AIで研究した布石を捨て、思いつきで打ってみた。普段は悪い手を打つと後悔するが、何も考えずに次の一手に集中した。「冷静派」と言われる棋風を発揮し、相手の攻めをかわして堂々と押し切ってタイトルを得た。

 「挑戦する気持ちで、伸び伸びと打てたのが良かった。まずはほっとしたが、多くの皆さんにお祝いの言葉をもらい、勝ったんだという実感が湧いた」

 初タイトル獲得から1年余り。22年の勝率は6割6分7厘に達し、今月に昇段も果たしたが、今も勝敗にやる気や意欲が左右される。敵は年下棋士でも年齢でもない。自分自身だ。

 それでも遅咲きで勝ち取ったタイトルが自信につながっているのは確かだ。「強くないのは分かっている。うぬぼれるつもりはない。少しずつ成長していきたい」。熱い闘志を胸に秘め、トップクラスへの飛躍を静かに誓う。(報道部・山老美桜)

感想
勝ちたいと思うのは当然です。
でも勝負で、「勝とう」が頭を占めてしまうと返って勝てません。
今一番良い手は何か。今に集中することなのではないでしょうか。
勝とうと思うと身体が心が固まってしまい、十分な力を発揮できなくなるのです。

美空ひばりさんの歌「柔」に下記の歌詞があります。
勝と思うな 思えば負けよ

将棋や囲碁のプロになる人は、地域で”天才”と言われた人ばかりです。
ところがその天才が集まったプロ棋士養成では天才の中にも天才がいるのです。
でもその天才も実はものすごい努力というか、すごい時間をかけているのです。

努力に終わりはない/インタビュー 永瀬拓矢六段(第87期棋聖戦挑戦者) ”日々の努力が未来に花開く”

ダン・ジャンセン ウイキペディアより
高い実力を誇り、長年冬季オリンピックでは金メダル最有力と目されながら、かつてメダルになかなか届かなかった悲劇の選手の一例として、しばしば名を挙げられることがあった。しかし最後の最後で念願の五輪金メダルをようやく獲得、スピードスケートの英雄としても大きな話題を呼んだ。
引退後
現在、彼は米NBCのスピードスケート解説者を務め、また亡くなった姉を記念し設立した、白血病克服のためのダン・ジャンセン財団を運営している。一方で金メダルを獲得し、実業家としても成功したジャンセンは多忙から家族とすれ違いが多くなり、2006年にはロビンと離婚している。

心理コーチについて、今に集中することに取り組んだそうです。
ただ人生は金メダルを取ったからと言って約束されていないし、幸せは何かわからないですね。
「塞翁が馬」
結果を受けてどうするかが問われているのでしょう。

勝ちたいと思った瞬間、既に負けているワケ有名麻雀プロが考える「成果を生む発想」
https://toyokeizai.net/articles/-/131827 東洋経済 土田 浩翔 : 最高位戦日本プロ麻雀協会特別顧問 2016/08/22 8:00


大前提は「愛される人になる」こと
相手の気持ちに寄り添うためには、相手の立場に立って考える想像力が不可欠になります。今、相手は何を望んでいるのか。この立ち居振る舞いは相手を不快にさせないか。

ただ、そこで、自己利益が目的になってしまうと、自分のために相手にこうしてあげるという損得勘定が入り込んでしまいます。

損得勘定は、それが透けて見えたときに、相手を不快な気持ちにさせます。それでは勝ちに近づくどころか、遠ざかってしまいます。真の勝利とは、自分が勝っても負けても、相手に、また会いたい、また一緒に打ちたいと思ってもらうことです。

「アイツだけには負けたくない」はすでに負けている
対局中に「アイツだけには負けたくない」なんてそう思った瞬間、すでに負けている理由はここにあります。技術や強さを求めるのではなく、物に対して優しさと美しさを求めていく。そうすれば物からも愛され、結果としてうまくなり、強くもなれるのです。

私は、強くなるためにも、うまくなるためにも、必要な大前提とは、物からも人からも「愛される人になること」だと考えています。

目先の勝ち負けを追求するための小手先の技術論は結局のところ、そこまで重要ではありません。場当たり的なテクニックを駆使し、目先の勝ち負けのために牌たちを操る。技術論や比較論から脱却し、確率論や効率論といった数字の世界=損得勘定から離れないかぎり、牌たちから愛されることはありません。

相手のことを思う気持ちが、その勝負に集中できているのでしょう。
勝とうと思う気持ちが邪念になるのかもしれません。
勝とうと思う気持ちは試合中ではなく、努力の時のエネルギーにしたいものです。

これは勝負だけでなく、仕事でも日常でも同じことが言えるかもしれません。
上手くやらなければの気持ちが強くなると上手くできない。
失敗してはいけないとの気持ちが強くなると失敗しがちです。
寝ないといけないと思えば思うほど目が覚めてきます。
その気持ちから離れることなのでしょう。
どう離れるかは自分で工夫することなのでしょう。
参考になる本もたくさんあります。

ジェーン・スー 別れと引っ越しを経て、いま第二の思春期です(2021.12.29) ”ジェーン・スーさんの生き方から学ぶ”

2022-12-27 12:40:12 | 生き方/考え方
OTELPMACHI https://otekomachi.yomiuri.co.jp/workstyle/20211228-OKT8T324919/
作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティーと、多彩な才能で活躍するジェーン・スーさんが、最新エッセー集「ひとまず上出来」(文芸春秋、税込み1595円)を出版しました。コロナ下でひっくり返った価値観から、新たな“ジャストサイズ”の見つけ方まで、鋭い視点で捉えています。最近の生活や心境の変化などについて聞きました。 

――コロナ下で執筆されたエッセーですが、大きな生活の変化があったそうですね。

パートナーとお別れしたんです。8年くらい付き合っていたので、めちゃくちゃ悩んで、めちゃくちゃ泣きましたよ。2020年末には東京タワーが見える1LDKに引っ越しました。自宅だけではなく、事務所の引っ越しも重なったから大変でした。ビルの取り壊しが決まったため、退去しなくてはならなくなって。48歳ですからね、さすがにどっと疲れました。

コロナによる生活の変化自体は、それほど苦痛ではありませんでした。人の多いところに行くことが実はそんなに好きじゃなかったから、むしろ楽になったくらいです。心身ともに調子が良くて、これくらいのんびりしていたほうが幸せなのかもしれないという気づきがあったのは、大きな収穫でした。

コロナ感染拡大の初期、みんなが外出を控えている時期があったじゃないですか。運動不足解消のため、誰もいない銀座や新宿を友人と一緒にぐるぐる歩き回ったのがめちゃくちゃ楽しかった。電動自転車でちょっと遠出して、いつもと違うスーパーで買い物したことも。自分なりの楽しみを見つけることができました。

自分を不幸な場所に置き続けない
――ステイホームで、家を心地よく整えたいという人が増えています。新居の住み心地は?

ワークの充実こそ人生の充実につながると信じて生きてきたので、住まいを生活の場としてめでてこなかったんです。それで、一人暮らしとなると家の中に落ち着く居場所がなくなってしまったなあと。

誰かと一緒に暮らすのが、私にとっては居心地のいい生活を得る一番の方法だとわかってはいるんです。また次に行きますよ。もう疲れた、もう恋愛なんていいとしょんぼりしていたのは3か月程度。今はやる気がみなぎっています(笑)。

50近くなって、自分を不幸な場所に置き続けないことは、人間の唯一の義務なんじゃないかと思うようになりました。あんまり幸せじゃないなと気づいたら、動こうよと。

かくいう私も、自分の人生が上出来と思えるようになったのは、ここ数年。偉業を達成したから、欲しいものを手に入れたからということではありません。どちらかというと、こんなもんでしょうと腹落ちがしたという感じです。20代、30代は「何者でもない自分」に焦りを感じたり、人と比べて落ち込んだりしがちだけれど、それが通常運転なんじゃないでしょうか。年齢とともに腹斜筋や内転筋が衰えるように、物事に執着する“執着筋”もどんどん弱る。自分のポテンシャルに執着できなくなることは、ある意味、幸せなことだと思います。人と比べてもしょうがないってことがわかって、楽になりますよ。

好きなことより得意なことを
――今後、新たに挑戦したいことはありますか?

インタビューでそう聞かれるといつも、目を泳がせながら「ないです」と答えます(笑)。実際、確たる目標もなく、ただ目の前のことをするうちに今に至りましたから。

最初に就職したレコード会社では、本当にやりたかったことができずに辞めてしまいました。同業他社に転職して猛烈に働いて、あーつかれたと3年くらいで退社したのかな。しばらく自堕落な生活を続けていたんですが、コラムの執筆や作詞、ラジオ出演など、周囲の人が声をかけてくれたことをやってみたら、うまく回るようになった。

ラジオは好きだからというより、得意だから続けられているんだと思います。いま、自分には特技なんて何もないと思っている人でも、必ず人より得意なことがある。信頼できる人が評価してくれることを私は信じました。

仕事の上で、自分にうそをつかないことは大切にしています。そして、読者やリスナーを思考停止に陥らせるような決めつけはしないこと。それさえ自分に約束できれば、あとは楽しそうにしていればいいと思っています。大人が楽しそうでないとね。

メンタルブレブレも楽しんで
――仕事が順調な反面、体力の衰えを感じているそうですね。

がむしゃらに仕事に励んでいる若い皆さんにぜひお伝えしたいのが、40代になったらもっと忙しくなるよってことです。私の若い頃にそんなことを教えてくれる人がいなかったので、本にも書きました。仕事があるのはありがたいが、体のほうが悲鳴を上げ始めるわけで。

それに、鋼のように鍛え上げたはずのメンタルも、10代の頃みたいにブレブレ。「メンブレ」です。私の言葉が友達を傷つけたかもしれないとうじうじ悩んだり、相手に嫌われているんじゃないかと悲しくなったり。情緒不安定は、いわゆる更年期症状のひとつのようです。

この第二の思春期のような状態が、自分でもちょっと面白くて、楽しんでいます。友達に「もう全部ヤダ、メンブレ(爆)」とかLINEして、お互いゲラゲラ笑って。中学生に戻ったみたいですね。

そろそろワーク・ライフ・バランスを整えようと模索中。ワクチン接種後からしばらく休んでいた筋トレを再開する予定です。そして2022年は少し仕事をセーブしようと思っていたんですが、酉とりの市でピンときて昨年より大きな熊手を買ってしまったので、どうなることやら。
(聞き手・読売新聞メディア局 深井恵)

Profile プロフィル
ジェーン・スー
作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティー
1973年、東京都生まれ。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」「ジェーン・スーと堀井美香の『OVER THE SUN』」のMCを務める。「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題」で講談社エッセイ賞を受賞。著書に「私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな」「女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。」「揉まれて、ゆるんで、癒されて」「これでもいいのだ」「女のお悩み動物園」など。また高橋芳朗との共著「新しい出会いなんて期待できないんだから、誰かの恋観てリハビリするしかない 愛と教養のラブコメ映画講座」がある。

感想
「自分を不幸な場所に置き続けない」
不幸なところに置き続けると、心身にダメージを受け続けるのでしょう。
そうすると、何かをやるエネルギーも出てこないし、やる気も起きて来ないのでしょう。

課題は、どうすれば幸せな場所に自分を置くことができるかでしょう。
その前に、どうすれば、どんな時が自分が幸せに感じるかを確認して、一つでもそれを実践していくことなのかもしれません。

睡眠は手段、執着・固執せず 達観するのが肝心 ”寝ないといけないと思わない”

2022-12-23 11:55:11 | 生き方/考え方
https://style.nikkei.com/article/DGXZQOLM298190Z21C22A1000000?channel=ASH12011&n_cid=PSDB1012 2022/12/12 岡島 義の「眠りの森」探検

快眠に執着するのは避けた方が良い
「ないものねだり」(ないものを欲しがること)や「隣の芝は青い」(自分のものより他人のものの方が良く見えること)ということわざがあるように、自分にはないものを求めるのが人の性(さが)のようです。不眠に悩む人は往々にして快眠を求めてさまざまな努力をします。しかし、何事も「過ぎる」ことはよくありません。思いが強くなりすぎると、理想とする快眠に執着・固執することで視野が狭くなり、睡眠が手段であることを見失い、目的化してしまいます(「日本人の5分の1は不眠 悩む人と悩まない人の違いは?」参照)。今回はこのような執着から抜け出し、達観する方法について探っていきましょう。

自分の状態、客観的に観察し続ける
快眠に執着してしまうと、日中、だるい感じがし、気分も乗らず、「よく眠れなかったから無理しない方がいいかも」と活動を抑えてしまうことがあります。これはうまく眠れなかった日に不眠に悩む人が陥ってしまう特徴的な悪循環ループです。

一見すると、自分の状態を観察できているようですが、今後起こり得ることへの不安に飲まれてしまっており、「主観的に」観察している状態と言えます。例えると「木を見て森を見ず」。非常に近視眼的になってしまい、今のつらさを解消することにばかり目が向いてしまっています。

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ここで必要な視点は「客観的」に観察し続けることです。先の悪循環ループを例に取ってみましょう。

日中、だるい感じ(身体の状態)に気づき、気分も乗ってない状態(気持ち)なので、「よく眠れなかったら無理しない方がいい」という考えが浮かんだ。

あまり違いのないようにも見えますが、自分の中で起きている変化を客観的に分析していることがお分かりでしょうか。そして、悪循環ループとは異なり、この後の行動の選択肢が広がります。つまり、「活動を抑えるしかない」という一者択一ではなく、「いつも通り活動してみる」とか「とりあえず30分休憩してみる」といったように、バリエーションが増えます。

では、少し練習してみましょう。次の主観的な観察を客観的な観察に変えてみてください(文末に回答例を載せています)。

「全然寝つけない……」

「あす、大事な商談があるのに!」

「頭が痛い……」

「きょうも眠れなかったらどうしよう」

このように、「客観的」というのは自分の身体・気持ち・考え・行動をそのものとして捉えることです。これらを自分の中にいる「ピクシー(妖精)」とみなし、皆さんはそれぞれのピクシーの動きを観察し続ける司令塔のような役割というイメージを持つといいかもしれません。

「タケコプター」で見渡す
これは、いわば交通渋滞に巻き込まれたときに、ドラえもんの「タケコプター」を使って上空から地上を見渡すかのように、どのような選択をすることで、渋滞を回避できるか(人生の目的に向かえるか)を判断する視点といえます。不眠になるとどうしても「木を見て森を見ず」状態に陥ってしまいます。そこで、客観的な観察を続けることができれば、「木も見て森も見る」ことができるようになり、不眠から抜け出すための好循環ループに入ることができるのです。

好循環ループとは現状を客観的に観察(Observe)し、現状の問題(すなわち、悪循環ループ)に陥っている状況を判断(Orient)します。そこで、どのようにすると悪循環ループから抜け出し、人生の目的に向かえるかの意思決定(Decision)を行い、実際に行動(Action)に移します。そこで生じるさまざまな変化について観察していきます。この好循環ループは、それぞれの頭文字を取って「OODAループ」と呼ばれています。しかし、OODAループを当たり前のように使いこなすには自主練習が欠かせません。

例えば、不眠で悩む人は、不眠恐怖の影響から、できるだけ寝床にいた方が身体が休まるし、睡眠時間も確保できると思っています。しかし、真実はその反対で、寝床に入っている時間は実際の睡眠時間程度にした方が質の良い睡眠が得られるのです(「不眠症は睡眠薬に頼りすぎず 悪循環のくせを好循環に」参照)。一方で、「眠れないのに寝床に入って我慢する」となると、「それで眠れなかったら、さらにひどくなる」という考えと不安感が強くなり、なかなか実行に移すのが難しい方法でもあります。まさに「行くも地獄、戻るも地獄」といった感じです。そんなときには、「客観的な観察」のことすら忘れてしまい、悪循環ループから抜け出せなくなってしまい、どんどん自分を追い詰めてしまうでしょう。

睡眠の好循環を生む仕掛け作りを
そこで、まずは、OODAループを思い出す仕掛けづくりをお勧めします。外出中、寝る前、寝室など、異なる環境にいてもOODAループを思い出すため、普段、皆さんがよく見ている物を特定しましょう。例えば、外出中であればスマートフォンや手帳、寝室であれば置き時計などが該当するかもしれません。

次にそれらのアイテムに「客観的な観察」を思い出せるヒント(例えば「タケコプター」とか「達観」など)を結びつけます。一例として、紙にヒントを書き、スマホならそのヒントを写真で撮って待ち受け画面に設定するとか、置き時計ならその紙を貼り付けるとかいった具合です。いつでも目につくような仕掛けの完成です。

常に好循環ループでいられることは望ましいことではありますが、何が起こるか分からないのが人生の醍醐味でもあります。まずは「客観的な観察」の獲得を目指し、自主練習に励んでみてはいかがでしょうか?

客観的な観察の回答例

「全然寝つけない……」→「全然寝つけない」という考えが浮かんでいるなぁ。

「あす、大事な商談があるのに!」→「あす、大事な商談がある」と考えて心配になっているぞ。

「頭が痛い……」→「頭が痛い」と感じているわ。

「きょうも眠れなかったらどうしよう」→「きょうも眠れなかったらどうしよう」という考えが浮かんで不安になっているなぁ。

岡島 義(おかじま・いさ) 
東京家政大人文学部心理カウンセリング学科(睡眠行動科学研究室) 准教授。博士(臨床心理学)。日大文理学部卒、北海道医療大大学院博士課程修了。早大人間科学学術院助教などを経て2018年より現職。毎日8~9時間睡眠をとると快調だと気づき、夜9時に寝て朝5時ごろ起きる生活を続けている。

感想
寝られない時、寝ようとしてもなかなか寝られません。
明日大事な会議があるから寝ないといけないと思うとますます目が覚めてきます。

ある時、精神科医が講習会で、
「寝なければと思うと、寝られません。
 その時は、身体を休めているだけでも、かなり休息になります。
 寝ようと思わず、楽しいことでも考えて過ごせば、知らない内に寝ています」
と言われました。

それから、寝られない時はそれを実践しています。
「寝られなくてもよい」と心から思うことです。
そうしていると寝ていることがほとんどです。

ロゴセラピーでは逆説思考との考えがあります。
寝られないなら、「よい、ベッドの上で楽しいことを朝まで考えるぞ!」と思うと、朝まで起きてられません。
30分でも1時間でも熟睡すると、睡眠時間が足らなくても一日何とかなるものです。
失敗してはいけないと強く思えば思うほど、失敗します。
失敗してもよい、思い切りするんだと思うと失敗しません。
人間の心はふしぎです。