・世界を変えることはできなくても、自分自身の言葉で、自分自身の人生を生きられたら、世界が違って見えるのだと、私は読書から教えてもらいました。
・『ギリシア哲学列伝』
「教養は、順境にあっては飾りであり、逆境にあっては避難所である」
(古代ギリシアの哲学者アリストテレスの言葉)
・ウォームズリー(刑務所での読書会)
受刑者にこれまで読んだ本でどれがいちばん好きかをたずねた。
「どれが好きっていうのではなくて、本を一冊読むたびに、自分のなかの窓が拓く感じなんだな。どの物語にも、それぞれきびしい状況が描かれてるから、それを読むと自分の人生が細かいところまではっきり見えてくる。そんなふうに、これまで読んだ本全部がいまの自分を作ってくれたし、人生の見かたも教えてくれたんだ。
・フランクルは『夜と霧』を終戦後、たった九日間で書き上げたといわれています。1947年に発刊され、日本では1956年に初版が発行されました。半世紀近くたってから、アメリカで、「私の人生にもっとも影響をあたえた本」(1991年)のベスト10に入るなど、どれだけ年を経ても古びない傑作です。何度読み直していても、ページを開くと最後までとまらなくなります。辛くて苦しいはずなのに読後感はなぜか美しくて、私は読み終わったあと世界の見方が変わりました。
フランクルは突然、何の理由もなく地獄に送り込まれた囚人たちが同じ状況下にもかかわらず、なぜある人は死に、なぜある人は生き残ることができたのか、その理由をこう分析しています。
人間が強制収容所において、外的にのみならず、その内的生活においても陥って行くあらゆる原始性にも拘わらず、たとえ稀であれ著しい内面化への傾向があったということが述べられねばならない。<中略>なぜならば彼等にとっては、恐ろしい周囲の世界から精神の自由と内的な豊かさへと逃れる道が開かれていたからである。かくして、そしてかくしてのみ繊細な性質の人間がしばしば頑丈な身体の人々よりも、収容所生活をよりよく耐え得たというパラドックスが理解され得るのである。
フランクルは精神科医として、以外にも頑丈な肉体より、未来に希望を抱けるかどうかが、極限状況における人間の生死を分けたと述べています。人間以下の扱いを受け、これ以上ないほどに飢えているのに別のもっと飢えた人に自分のパンを分け与えた人がいました。そして、未来を真っ黒に塗りつぶされた過酷な状況にあっても、夕日の美しさに感動する人がいたのです。自分にはとてもできないと思いました。
強制収容所で、個々の人間の生命の徹底的な無価値を体験させられたフランクルは、絶望に至るのは簡単だと繰り返し述べています。もし万一、不幸にも私たちの目の前に絶望や困難が立ちはだかったとしても、フランクルは大丈夫、きっと乗り越えられると繰り返し読者を励まします。フランクルは、人生に何かを求めるのではなく、人生に答えを与えるのが私たちの人生なのだと語りました。幸福な人生を求めるのではなく、私たちが幸福に生きれば、人生は幸福になる。いわれてみればあたり前のように聞こえますが、私の人生にとってはまさしくコペルニクス的転換でした。
・『告白と呪詛』エミール・シオラン著
私たちは、ある国に住むのではない。ある国語に住むのだ、祖国とは、国語だ、それ以外の何ものでもない。
・私は当時、仕事がなく、家もなく、これから先どうしたらいいのかわからなくなって、眠れない日が続いていました。電気を消した部屋で、目を開けているのか閉じているのかもわからないまま、ただ天井を見ていました。不安で寝られませんでした。でも、シオラン言葉に出会うことがでてきはじめて、そうかこれが夜なのか、と気づかされました。
「ぐっすり眠った夜は、あたかも存在しないかったような夜だ。私たちが眼を閉じることのなかった夜、それだけが記憶に灼きついている。夜とは、眠られぬ夜のことだ。
『生誕の災厄』
・学校を卒業して、企業に就職して、転職せず、辞令にしたがって定年まで働く。盤石だと思っていた人生すごろくの最初の一コマで、私はいきなり失敗してしまいました。就職氷河期と重なっていたこともあって、元のすごろくゲームに戻るのは容易ではありませんでした。毎日ハローワークに通い、求人票を探し、履歴書を投函し、自己PRをし続けた結果、運良く仕事を見つけることができましたが、私が眠れない夜を乗り切ることができたのは、紛れもなくシオランの『生誕と災厄』を読んだおかげでした。
・『生まれてこないほうが良かった 存在してしまうことの害悪』南アフリカの哲学者ディヴィド・べネクター著
・『平成論 「生きづらさ」の30年を考える』を読んでいたら、宗教学者の上田紀行が東京工業大学の授業で毎年実施しているアンケートが紹介されていました。ぜひ一緒に考えてみてください。
あなたが東工大を卒業して大企業に就職し、東南アジアの工場に派遣された。ところが、その工場では川に毒を垂れ流していて、下流で老人や子どもがたちが亡くなっていることがわかった。あなたはそれに気づき、工場長に報告して排水を止めるように進言する。すると工場長は、「いやいや、それは俺たちの問題じゃないだろう。俺たちは三年の期限でここに来ている。俺たちが声を上げたら俺たちが馬鹿を見る。現場の俺たちは知らないことにして、黙っておくのが処世術として一番だ」と答えた。あなたは社内の他の人とも相談するが、誰も賛同してくれない。
答えは三択です。①自分の名前を出して内部告発する。②匿名でインターネットなどに書き込む。③何もしない。
皆さんが選んだ選択肢は何ですか?
上田が2006年に実施した二百人の学生のアンケート結果によると、①が5人、②が15人、③が280人でした。東京工業大学といえば、いわずと知れた一流大学です。受験戦争を勝ち抜き、リテラシー能力の高い学生たちしか入学できません。この結果がより深刻なのは、人間を自由にするための学問、リベラル・アーツを学ぶ学生たちの9割が、「何もしない」を選んでいることです。自由を学ぶ学生たちが、不自由にさせられている見えない枷とは何なのか。
小川たまかは、『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。』の中で、私たちが生きて居る社会では働きづらさや生きづらさについて意見をいえば、目の前にある世界が一変してしまうリスクがあると指摘しています。
不公平を指摘すると、「面倒くさいヤツ」認定される。散々ひどい目に遭わされて、絞り出した声を「そんな言い方じゃ、誰も味方にならないよ」と言われる。そんなことがこれまで何度繰り返されてきたのだろう。
弾き出された側から見た世界のさみしいこと。多くの人はそんな世界を見たくないから、「弾き出された側」にならないように、慎重に薄いフィルムの上を歩く。
慎重に薄いフィルムの上を歩く学生たちの声にならない想いを深刻に受けとめた上田は、彼らが③を選んだ背景を考察します。そして「社会に『支え』というものがないときに、人の言動の『自由』は失われていきます。長いものに巻かれて自分の保身だけを考えていくようになる。つまり、『支え』と『自由』は、実はコインの表と裏の関係」なのだと結論づけました。上田はさらに踏み込んで、私たちが「支え」と「自由」を失ったのは「平成」という時代だったと総括します。
・『セラピスト』最相葉月著
「この世の中に生きる限り、私たちは心の不調とは無縁ではいられない」
・『「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由』汐街コナ著
・『世界は贈与でできている』近内悠太著
「助けてあげる。で、あなたは私に何をしてくれるの?」
「誰にも迷惑をかけない社会とは、定義上、自分の存在が誰からも必要とされない社会」
・「空白」 寮美千子著『空が青いから白をえらんだのです』(受刑者たちの詩)
離婚 親が勝手に決める人生
ぼくらを置いて家を出るとき
母は、どんな気持ちだったのか
さみしかったのか 悲しかったのか
それとも 肩の荷をおろして 楽になったのか
母が 家を出て三か月後
父が 事故で亡くなった
兄弟三人とおばあちゃんの暮らし
弁当は 自分で作る
だから 開けても楽しみがない
「おかん またキュウリ入れとるわ」
そんなこと いっぺん言ってみたかった
夜遅く帰ってきても
友だちを呼んでも 怒る人もいない
楽だと思ったけど ほんとはしんどかった(後略)
・『「空気」を呼んでも従わない』鴻上尚史著
勉強をなぜするのか親に訊いたときに、コップを指して、「国語なら『透明なコップに入った濁ったお茶』、算数なら『200mLのコップに半分以下残っているお茶』、社会なら『中国産のコップに入った静岡産のお茶』と色々な視点が持てる。多様な視点や価値観は心を自由にする」というようなことを返された
・『伝えたいこと』濱崎洋三著
・『自分の仕事をつくる』西村佳哲著
・『スモールハウス』高村友也著
・『自分で「始めた」女たち』グレース・ポニー著
・『はじめて考えるときのように』野矢茂樹著
『考える』ということは頭や脳でやることでなく、手で紙の上で考えることなのだと整理します。次に、考えることは自分ひとりでやることではなく、「ひととの出会いにある」と展開します。そもそも「自分の頭で考える」は、他人に左右されない自分の意見をもつとの意として使われますが、「意見をもっている」ことと「考える」ことは「ぜんぜん違う」のだと指摘します。
・アメリカ心理学会が掲げているストレス対策は五つです。
1) ストレスの原因を避ける
2) 笑い
3) 友人や家族のサポートを得る
4) 運動
5) 瞑想
・瞑想は一番単純に言えば、注意の練習だ。瞑想のトレーニングを十分積めば、注意は揺らぐことなく穏やかで集中したものになる。注意の質をそこまで高めると、心は簡単に、そして長時間にわたって、とてもリラックスしていてしかも隙のない状態になれる。そのようにリラックスしていてしかも隙のない状態になれば、三つの素晴らしい特質が現れてくる。穏やかさと明瞭さと幸せだ。
タンが開発したSIYのもっとも簡易的なプログラムは、たった二分間、座っているだけです。
・2000年に発表された、「うつ病の治療には薬(塩酸セルトラリン)よりも「運動の方が効く」というデューク大がの研究。
うつ病の運動療法研究報告/運動がうつ病に効果を示した海外の研究報告
・人は年をとるから走るのをやめるのではない、とディップシーの鬼はいつも言っていた。
走るのをやめるから年をとるのだ・・・。
・死とは何か? 死に至る五段階説
『死ぬ瞬間』エリザベス・キューブラ・ロス著
『人生は廻る輪のように』
・『「死」とは何か』シェリー・ケーガン著
・若松が『悲しみの秘儀』で読者に呼びかけたのは、自身の深い喪失の体験でした。この本を読んで気づかされたのは、私たちが本を開いて読んでいるのは、実はそこに書かれた物語ではなく、読むことで湧き上がってくる私たち自身の心の声だということです。
・『死を悼む動物たち』バーバラ・J・キング著
・『保守と立憲』中島岳志著
中島は、このオルテガの言葉を引用しながら、かつて私たちは「伝統」によって死者とつながり「常識」によって死者と対話してきたと説きます。
大切な人の死は、喪失であると同時に、新たな出会いでもある。死は決して絶望だけではない。死者とのコミュニケーションを通じて、人間は新しい人生を生きることができる。そんな姿を、死者は温かく見つめてくれるはずだ。死者と一緒に、私たちは生きるのだ。
・
『モリ―先生との火曜日』ミッチ・アルボム著
・本との出会いは人との出会い
感想;
三砂慶明
上記のサイトで本の紹介をされています。
本当に本が大好きな方のようです。
今、街中の書店が次から次へと潰れています。
本屋が20年で半減。閉店相次ぐ「大手書店チェーン」の生き残り策とは
どんな本を探しているか。
こんな状況の時にはどんな本が役立つか。
人生のどの悩みにはどんな本が余か。など
アドバイスできる人がいると、大きな力になるのではないかと思いました。
「うつの世界にさよならする100冊 本を読んでココロをちょっとラクにしよう」寺田真理子著 ”100冊のエッセンス紹介”
書店の生き残りは、お客さん一人ひとりの好みを知り、その人が求めていそうな本を紹介することで、お客さんはその本屋さんで購入するというのもあるのかもしれません。
ヴィクトール・フランクル著『夜と霧』が紹介されていました。
フランクルが始めた
ロゴセラピーをフランクルが強制収容所で実践したことで、フランクル自信がロゴセラピーの効果を確信したと言います。
読んでみたいと思う本を掲載しました。
まえがき なぜ人生に本が必要なのか
第1章 本への扉 人生を変える本との出会い
第2章 生きづらさへの処方箋 眠れない夜に読む本
第3章 新しい働き方を探す旅
第4章 「お金」から見た世界
第5章 「おいしい」は味なのか 現代の嘱託と料理の起源
第6章 幸福の青い鳥 瞑想と脳と自然
第7章 本から死を考える 死の創造力
あとがき 本との出会いは人との出会い