早稲田大学応用化学⇒早稲田大学大学院/東京女子医大⇒ハーバード大学⇒理研
・なにより不安に思っていたことは、若山先生の実験にはコントロール実験と呼ばれる対比のための実験が行われていなかった。お世話になっている若山先生に、「もっと検証してください」「実験にコントロールを取ってください」などと言うことは、私も含め誰もできなかった。
・理研 西川先生から「小さな研究室のPIのユニットリーダーに応募しませんか?」。ハーバード大学のバカンティ先生に相談すると、「他の研究室の研究員になるのは反対だけれども、研究室のPIになるなら応援するよ」と言ってくれた。
・笹井先生は、「レターは短い論文だから僕一人なら3時間もあれば書き終わっちゃうけど、せっかくだから少しだけ時間をかけて指導します」と言われた。アーティクルは謡うように読み手に訴えかけるように、レターは詩のように切れ味よく文書を書くという笹井先生の論文執筆は、経験の浅い私にさえ「ずば抜けた違い」を感じさせるものだった。途切れなくつむぎだされる言葉の選択が優美で的確で、かつリズミカル、まるで間違えずに音楽を演奏しているかのように言葉が繰り出されていった。
・若山先生からは、「本当にありがとう。小保方さんが僕のところに来てくれたことは、CDB11年の間で一番良かったことだと思います」というメールが届いた。
・特にネイチャー論文作成にあたり実験で一番お世話になり、データも一番よく見てもらっていた若山先生にには電話で心からの謝罪をした。
・分子生物学会の学会員ではなかったこともあって、電気泳動の切り貼りを行った場合、白線を入れなけれいけないと分子生物学会が定めていることは知らなかった。
・学生時代に、バンドの濃さで示される量ではなく、バンドの有無を論文の図表で示す場合には、曖昧ではなく明確にすべきだと指導を受けたことがあり、あるか、ないか、を見やすく加工することが改竄を疑われる行為だとは思いもしなかった。
・「私は不注意で、勉強不足であったけれども悪意を持って図表を作ったわけではありません」と声を絞り出すのが精一杯だった。
・いずれにせよ、私の実験ノートは他の研究者の見本とされるような記載方法が取られていなかったことは、猛省すべきことだと思う。
・テラトーマの図表は、当初、学生時代から研究していた、さまざまなストレス処理によって変化した細胞という内容の論文から、酸処理のストレスによって変化した細胞へとストレスの種類が限定されて、論文の内容が書き直されていく過程で、私がテラトーマの写真の差し替えを忘れたことに原因があった。私が注意深い確認を怠ったために、このような間違いが起こったのだ。私のの研究者としての自覚の低さ、認識の甘さを、心から恥じた。謝罪の言葉も見つからず、反省しているという言葉では言い表すことができない、後悔と自責の念に苛まれていた。
・私のこころは正しくなかったのか。
・これまでの生き方全部が間違っていたのか。
そう自問し、ただただ涙がこぼれた。むせび泣くような体力はもう残っていなかった。
・特に毎日新聞の須田桃子記者からの取材攻勢は殺意すら感じさせるものがあった。笹井先生からは、「このまま報道されては困るからできるだけ返答するようにしている。メールボックスを開くのさえ辛い、日々、須田記者の対応に追われてノイローゼがひどく他の仕事ができなくなってきた」と連絡を受けた。メールの最後は「お返事がない場合にはその理由をお知らせください」と締めくくられる。
・トイレから出ると、トイレの正面で「NHKの者です」と、いきなりカメラとマイクを向けられた。
・バカンティ先生とネイチャー編集部との話し合いの結果、「STAP幹細胞のマウス系統のデータに関しては研究室内の責任者であった若山先生しか情報を持ちえない。その人が、データが間違っているとネイチャーに連絡を入れている。STAP幹細胞のデータがアーティクルに入ってしまっている以上、仕方がない。アーティクルも撤回に同意する方向で進めよう」と連絡が入った。
・私は混入犯に仕立て上げられ、社会の大逆風の渦に巻き込まれていった。私は「若山研以外からのサンプル入手経路はない」と事実を述べ、「実験してはっきりさせる」とコメントを出すしかなかった。
・若山研にいた頃に作成され、大切に箱に保存していたサンプルのいくつかが、箱の中から消えていたのだ。特に重要な、ほぼすべての組織が初期胚に注入した細胞から形成されるSTAP細胞からの4Nキメラと呼ばれるサンプルのホルマリン漬けなどがなくなっていた。これが解析されていれば、STAP細胞としてキメラ実験に用いられていた細胞の由来が明確にわかったはずだった。
・この実験結果は、検証実験の第一段階だった「Oct4陽性細胞塊の確認」の要件を満たすものだった。このように、私が若山研で実験を行っていた範囲でのSTAP現象は、たしかに確認されていた。
・笹井先生がお隠れになった。金星が消えた。私は業火に焼かれ続ける無機物になった。
・相澤先生の「STAP現象を再現することはできませんでした」という第一声で、検証実験のすべてが失敗に終わり、そのために検証実験が打ち切られるという解釈で報道がなされた。しかし、検証実験のSTAP細胞の作成成功の基準と定められてしまった「多能性の確認」の実験はすべて若山先生の担当部分だった。若山先生の実験によって証明されたキメラマウスの作製が、検証実験では成功しなかったために、検証実験のすべては失敗に終わり、STAP細胞の存在は確認されなかったと結論付けられてしまった。
・誰かの役に立つ仕事に就くのが夢だった。その道をまっすぐに追っていたはずだった。これまでの人生のあらゆる場面を思い出し、いつのどの判断が間違っていたのか、どうしていたらよかったのか、私はここまで責められる悪人なのだと思うと、この世に自分が存在してしまっていることが辛く、呼吸することさえ悪いことのように思えた。
・早稲田大学は強く否定したが、私には大学の教育方針よりも社会風潮を重視した判定を下したとしか思えなかった。結局、約束されていたはずの論文指導を受ける機会は与えられず、審査に対する反論すら受け付けられないまま、私の博士号はいとも簡単に剥奪された。こうして私の研究者の道は幕を閉じた。
感想;
STAP細胞はハーバード大学のバカンティ教授の下でヒントと最初の研究が進み、CDBの若山先生のところで完成したようです。論本は返却を食らったので、執筆指導を笹井先生してもらい、ネイチャーに採用されたようです。
小保方さんは博士論文でも、最新の修正された原稿でなくその前の原稿を使うなど、データ管理や細胞管理に甘いところがあり、それもミスを大きくしてしまったようです。
生物に関する論文投稿には、自分だけではできず、多くの協力者がいて初めて論文が完成しているのだということがわかりました。若山先生のキメラ作成がなければ、STAP細胞は証明され投稿もなかったようです。
毎日新聞の須田桃子さんの本「捏造の科学者 STAP細胞事件」も読みました。
新聞報道などの情報からも判断して、
・捏造ではなかった。
・データ管理が科学者として稚拙すぎることが間違いを生じた。
・発見した現象に周りが色めき立って、検証が十分でなかった。
・当時CDB研の若山先生(山梨大学)が真実を把握している。
のように思いました。
確かに小保方さんの稚拙な点も大きかったと思いますが、早稲田大学の博士論文検証の不備、小保方さんの実験結果の検証不備、若山先生の実験の不透明性など、さまざまなことが絡み合っていたように思います。
それにしても純粋な科学の分野においても様々な人間模様があるようです。
それと偏見かもしれませんが、小保方さんの人懐っこさや美人でなければ、彼女自身一生懸命実験して来た成果もさることながら、ここまで優遇されなかったように思いました。
多くの先生に可愛がられていたようです。
それは本来プラスになることが小保方さんにとってはマイナスに働いたようです。
笹井先生は自らの命を断たれましたが、小保方さんにはこれまでのことを人生からの問いかけと思って、前向きに生きていて欲しいと願います。
それが、多くの先生、亡くなられた笹井先生に、そして社会にできることなのでしょう。
”誰かの役に立ちたい” その気持ちを今も持ち続けて、辛い人生の問いかけに応えて欲しいと願います。
過ちから立ち直れる社会であって欲しいと願います。
TOKIOの山口達也さんは、お酒&性の病気だと思います。
立ち直れる社会であって欲しいと願います。
・なにより不安に思っていたことは、若山先生の実験にはコントロール実験と呼ばれる対比のための実験が行われていなかった。お世話になっている若山先生に、「もっと検証してください」「実験にコントロールを取ってください」などと言うことは、私も含め誰もできなかった。
・理研 西川先生から「小さな研究室のPIのユニットリーダーに応募しませんか?」。ハーバード大学のバカンティ先生に相談すると、「他の研究室の研究員になるのは反対だけれども、研究室のPIになるなら応援するよ」と言ってくれた。
・笹井先生は、「レターは短い論文だから僕一人なら3時間もあれば書き終わっちゃうけど、せっかくだから少しだけ時間をかけて指導します」と言われた。アーティクルは謡うように読み手に訴えかけるように、レターは詩のように切れ味よく文書を書くという笹井先生の論文執筆は、経験の浅い私にさえ「ずば抜けた違い」を感じさせるものだった。途切れなくつむぎだされる言葉の選択が優美で的確で、かつリズミカル、まるで間違えずに音楽を演奏しているかのように言葉が繰り出されていった。
・若山先生からは、「本当にありがとう。小保方さんが僕のところに来てくれたことは、CDB11年の間で一番良かったことだと思います」というメールが届いた。
・特にネイチャー論文作成にあたり実験で一番お世話になり、データも一番よく見てもらっていた若山先生にには電話で心からの謝罪をした。
・分子生物学会の学会員ではなかったこともあって、電気泳動の切り貼りを行った場合、白線を入れなけれいけないと分子生物学会が定めていることは知らなかった。
・学生時代に、バンドの濃さで示される量ではなく、バンドの有無を論文の図表で示す場合には、曖昧ではなく明確にすべきだと指導を受けたことがあり、あるか、ないか、を見やすく加工することが改竄を疑われる行為だとは思いもしなかった。
・「私は不注意で、勉強不足であったけれども悪意を持って図表を作ったわけではありません」と声を絞り出すのが精一杯だった。
・いずれにせよ、私の実験ノートは他の研究者の見本とされるような記載方法が取られていなかったことは、猛省すべきことだと思う。
・テラトーマの図表は、当初、学生時代から研究していた、さまざまなストレス処理によって変化した細胞という内容の論文から、酸処理のストレスによって変化した細胞へとストレスの種類が限定されて、論文の内容が書き直されていく過程で、私がテラトーマの写真の差し替えを忘れたことに原因があった。私が注意深い確認を怠ったために、このような間違いが起こったのだ。私のの研究者としての自覚の低さ、認識の甘さを、心から恥じた。謝罪の言葉も見つからず、反省しているという言葉では言い表すことができない、後悔と自責の念に苛まれていた。
・私のこころは正しくなかったのか。
・これまでの生き方全部が間違っていたのか。
そう自問し、ただただ涙がこぼれた。むせび泣くような体力はもう残っていなかった。
・特に毎日新聞の須田桃子記者からの取材攻勢は殺意すら感じさせるものがあった。笹井先生からは、「このまま報道されては困るからできるだけ返答するようにしている。メールボックスを開くのさえ辛い、日々、須田記者の対応に追われてノイローゼがひどく他の仕事ができなくなってきた」と連絡を受けた。メールの最後は「お返事がない場合にはその理由をお知らせください」と締めくくられる。
・トイレから出ると、トイレの正面で「NHKの者です」と、いきなりカメラとマイクを向けられた。
・バカンティ先生とネイチャー編集部との話し合いの結果、「STAP幹細胞のマウス系統のデータに関しては研究室内の責任者であった若山先生しか情報を持ちえない。その人が、データが間違っているとネイチャーに連絡を入れている。STAP幹細胞のデータがアーティクルに入ってしまっている以上、仕方がない。アーティクルも撤回に同意する方向で進めよう」と連絡が入った。
・私は混入犯に仕立て上げられ、社会の大逆風の渦に巻き込まれていった。私は「若山研以外からのサンプル入手経路はない」と事実を述べ、「実験してはっきりさせる」とコメントを出すしかなかった。
・若山研にいた頃に作成され、大切に箱に保存していたサンプルのいくつかが、箱の中から消えていたのだ。特に重要な、ほぼすべての組織が初期胚に注入した細胞から形成されるSTAP細胞からの4Nキメラと呼ばれるサンプルのホルマリン漬けなどがなくなっていた。これが解析されていれば、STAP細胞としてキメラ実験に用いられていた細胞の由来が明確にわかったはずだった。
・この実験結果は、検証実験の第一段階だった「Oct4陽性細胞塊の確認」の要件を満たすものだった。このように、私が若山研で実験を行っていた範囲でのSTAP現象は、たしかに確認されていた。
・笹井先生がお隠れになった。金星が消えた。私は業火に焼かれ続ける無機物になった。
・相澤先生の「STAP現象を再現することはできませんでした」という第一声で、検証実験のすべてが失敗に終わり、そのために検証実験が打ち切られるという解釈で報道がなされた。しかし、検証実験のSTAP細胞の作成成功の基準と定められてしまった「多能性の確認」の実験はすべて若山先生の担当部分だった。若山先生の実験によって証明されたキメラマウスの作製が、検証実験では成功しなかったために、検証実験のすべては失敗に終わり、STAP細胞の存在は確認されなかったと結論付けられてしまった。
・誰かの役に立つ仕事に就くのが夢だった。その道をまっすぐに追っていたはずだった。これまでの人生のあらゆる場面を思い出し、いつのどの判断が間違っていたのか、どうしていたらよかったのか、私はここまで責められる悪人なのだと思うと、この世に自分が存在してしまっていることが辛く、呼吸することさえ悪いことのように思えた。
・早稲田大学は強く否定したが、私には大学の教育方針よりも社会風潮を重視した判定を下したとしか思えなかった。結局、約束されていたはずの論文指導を受ける機会は与えられず、審査に対する反論すら受け付けられないまま、私の博士号はいとも簡単に剥奪された。こうして私の研究者の道は幕を閉じた。
感想;
STAP細胞はハーバード大学のバカンティ教授の下でヒントと最初の研究が進み、CDBの若山先生のところで完成したようです。論本は返却を食らったので、執筆指導を笹井先生してもらい、ネイチャーに採用されたようです。
小保方さんは博士論文でも、最新の修正された原稿でなくその前の原稿を使うなど、データ管理や細胞管理に甘いところがあり、それもミスを大きくしてしまったようです。
生物に関する論文投稿には、自分だけではできず、多くの協力者がいて初めて論文が完成しているのだということがわかりました。若山先生のキメラ作成がなければ、STAP細胞は証明され投稿もなかったようです。
毎日新聞の須田桃子さんの本「捏造の科学者 STAP細胞事件」も読みました。
新聞報道などの情報からも判断して、
・捏造ではなかった。
・データ管理が科学者として稚拙すぎることが間違いを生じた。
・発見した現象に周りが色めき立って、検証が十分でなかった。
・当時CDB研の若山先生(山梨大学)が真実を把握している。
のように思いました。
確かに小保方さんの稚拙な点も大きかったと思いますが、早稲田大学の博士論文検証の不備、小保方さんの実験結果の検証不備、若山先生の実験の不透明性など、さまざまなことが絡み合っていたように思います。
それにしても純粋な科学の分野においても様々な人間模様があるようです。
それと偏見かもしれませんが、小保方さんの人懐っこさや美人でなければ、彼女自身一生懸命実験して来た成果もさることながら、ここまで優遇されなかったように思いました。
多くの先生に可愛がられていたようです。
それは本来プラスになることが小保方さんにとってはマイナスに働いたようです。
笹井先生は自らの命を断たれましたが、小保方さんにはこれまでのことを人生からの問いかけと思って、前向きに生きていて欲しいと願います。
それが、多くの先生、亡くなられた笹井先生に、そして社会にできることなのでしょう。
”誰かの役に立ちたい” その気持ちを今も持ち続けて、辛い人生の問いかけに応えて欲しいと願います。
過ちから立ち直れる社会であって欲しいと願います。
TOKIOの山口達也さんは、お酒&性の病気だと思います。
立ち直れる社会であって欲しいと願います。