月刊誌『日経WOMAN』が各界で目覚ましい活躍を遂げた女性を表彰する「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」。このたび2024年の受賞者が発表され、エンタメ業界からは唯一粉川なつみさんという女性が選出された。
最初は食わず嫌いしていた作品をほぼ全財産で買い付け
――『ストールンプリンセス』と出合ったときのことを教えていただけますか?
粉川なつみ(以下、粉川) 初めて作品を知ったのは2021年7月、8月くらいでした。そのときは「王道のストーリーだなー」「既視感のあるビジュアルだなー」と感じて、ちゃんと観ていなかったんです。 ですが、それから半年後くらいにウクライナ侵攻が始まって、私にもなにかできることはないかと焦燥して、製作会社の問い合わせフォームへ「大丈夫?」と連絡したことから、すべてが始まりました。
改めて作品を観てみたんです。そうしたら、食わず嫌いしていただけで、アニメーションのクオリティの高さに感動して「これは!」と、当時勤めていた映画配給会社で取り扱いたいと検討したんですが、スケジュールの都合などで難しく……。もともと独立志向だったこともあって、「この映画とともになら冒険してみてもいいかも」と勢いで辞めちゃったんですよね。
――すごい思い切りですね。ちなみに配給権を獲得するにあたって、ご自身のほぼ全財産を打ち明けて直接交渉されたと聞きましたが……。
「私はまったく英語が話せないので」
粉川 当初は会社を立ち上げて、融資を受けたうえで配給権について交渉しようと思っていたのですが、融資がおりなかったんです。なので、「現時点の貯金がこのくらいで、生活費にこれだけ充てるから、残りのこのくらいでなんとかなりませんか?」という感じで権利元へお願いしました。先方は「別にいいけど、生活は大丈夫? 本当に大丈夫?」という反応でしたね。
――当時、『ストールンプリンセス』を製作したスタジオ「アニマグラッド」では、国外に避難したり、ロシア軍に一時拘束されたりしているスタッフがいたと聞きますが、そんな過酷な状況下でコミュニケーションをとるのはかなり難しかったのではないでしょうか?
粉川 状況うんぬんというよりも、私がまったく英語が話せないので、その点でかなり苦労しました。最初は英語のできる友人に翻訳をお願いしてメールを作っていたんですが、ラリーが何回も続くようになると、友人にも申し訳ないですし、機械翻訳した文言をそのまま送ったりして……。 あとから読み返すと文法はめちゃくちゃでした。でも、もしかしたらそれを「一生懸命でかわいい」と好意的に捉えてくださったのかな。
出資のきっかけも“直談判”
――もともとは個人で買い付けを始めたにもかかわらず、映画のクレジットを見ると大企業が名を連ねています。
粉川 色んな方々に協力していただいたんですよね。そもそものきっかけとしては、前の職場に勤めているころ、社長が朝日新聞社のプロデューサーを試写に招いて、そのあと一緒に食事をしたことですね。会食後に、社長には内緒で朝日新聞社のプロデューサーを追いかけて、声をかけたんです。 「もうすぐ会社を辞めて、ウクライナの映画を配給しようと思っていて! クラウドファンディングをする予定ではありますが、お金が集まらなかったら一緒にやりませんか!?」っていう感じだったと思います。そのときはまだ『ストールンプリンセス』の買い付け交渉中だったんですが、「今しかない!」と焦りながら……。 もちろん、その場でOKはもらえませんでしたが、その方が「応援します」とおっしゃってくれたので背中を押されましたね。
――その場のリアクションが悪ければ、買い付け自体を断念する可能性もあったんでしょうか?
粉川 買い付けること自体は自分の中で決めていたので、別の会社に相談に行っただろうと思います。もしも無下にあしらわれたら、SNSで悪口を書いていたかもしれませんけどね(笑)。 戦略的な面を話してしまうと、「まだ世の中のことをよく知らない20代の女性の冒険に付き合ってくれたら、会社としてのブランディングにもつながるのでは?」という提案もしたんです。 結果的には、朝日新聞社だけでなく、KADOKAWA、ねこじゃらし、ユナイテッド・シネマといった企業に協力してもらうことができました。
クラウドファンディングの支援額が伸び悩み…
――結果的に数々の大企業が製作に協力してくれるようになったわけですが、独立直後に不安はなかったですか?
粉川 めっちゃありました。先のことを考えると怖すぎて、ひとりで泣いちゃう日もありましたよ。期待していた融資が「映画配給は波がある事業だから」という理由でおりなかったこともダメージが大きかったですし、クラウドファンディングで集まったお金を製作費の足しにしようと思っていたものの、最初の1か月くらいは40万円くらいしか集まらなくて……。 「このままじゃ独身で、彼氏なしで、映画の権利だけを持った一文無しになってしまう……」みたいな。
――はじめは低調だったというクラウドファンディングですが、最終的には933万3105円もの支援が集まりました。なにかきっかけがあったのでしょうか?
粉川 間違いなく、別所哲也さんのラジオ「TOKYO MORNING RADIO」に出演させていただいたことですね。 その前から作品そのものを応援してくれる人は多くて、特にマニアックな海外アニメファンの方は私以上に宣伝してくださっていたんですが、そういった方の周りの方はすでに支援してくださっていることも多くて、なかなか作品の認知も広まらず、支援額も伸びないという状況でした。
そんなとき、 ハフポストさんに取材してもらった記事 を読んでくれた、別所さんのラジオスタッフさんが出演依頼をくれたんです。出演後は作品や取り組みへの認知がどんどん広がっていきました。最終的には、クラウドファンディング締切前のラスト3日間だけで400万~500万円くらいの支援があったんですよ。 最後の3日間で支援額全体のほぼ半分くらい。興奮しちゃって、締め切り前には数分おきにブラウザをリロードしていました。すると、更新するたびに支援額が増えていくんです。金額だけではなく、応援してくれている人がどんどん増えているという事実に思わず感動しました。
「日本では年間1000本以上の映画が公開されているんですが…」
粉川 支援してくださった方には、リターンとしてオープンチャットにご登録いただいていたんですが、クラウドファンディングの締め切り前は、私も皆さんと一緒になって「また支援してくれる人が!」「あ! 50万円入れてくれた方がいる!」といった感じで盛り上がっていました。 金額だけではなく、と言ったものの、50万円を支援してくれた方がオープンチャットに入ってきたときは“勇者降臨”みたいな感じでしたね(笑)。
公開前後は私が忙しさのあまり、なかなかオープンチャットに投稿できていなかったんですが、支援者の方々は「キャストが発表されましたね!」とか「インタビュー記事読んだよ!」などと送ってくださって、熱量が高いまま上映にいたったように思います。
――いろんな方からの応援で作品が盛り上がったんですね。
粉川 そうですね。“応援される映画”っていいな、と思っています。 いま日本では年間1000本以上の映画が公開されているんですが、ヒットしないとすぐに上映が終わってしまうんです。その一作に製作者たちは何年もかけて、情熱を注いで完成させて、それでも一瞬で終わってしまう。だから、私としては、製作者に対するリスペクトを込めて、人の記憶に残る映画を配給したいと思っています。
なので今後は、映画関係者や映画ファンだけでなく、多くの方々に映画のプロモーションそのもの、そして映画を楽しんでもらえるような仕掛けを作っていきたいです。