幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

トラブルや試練にはごほうびがついている 試練をどう受け容れるか

2014-04-30 00:03:52 | ブログ

 「平常心を失わない技術」 保保坂隆著 より 引用(であるをですますに変更)

トラブルや試練にはごほうびがついている

一生安泰で平穏無事などという人は、この世に一人もいないと断言してもいい。

日本を代表する画家、故・平山郁夫さんは瀬戸内海に浮かぶ広島県瀬戸田町(現・尾道市)に生まれ、広島の中学校在学中に原爆投下に遭いました。

だが、その試練と戦ううちに、平山画伯は、玄奘三蔵の仏教伝来の道をたどる苦悩の旅に思いを馳せるようになり、「仏教伝来」を描きあげ、それが院展に入選し、画家として世にでるきっかけをつかみました。

平山画伯といえば、シルクロードをくまなく旅し、その光景を描いた作品で知られていますが、初めてシルクロードの旅を思い立った時には、旅行会社さえ、タクラマカン砂漠に行くルートがわからないほどの秘境だったそうです。40年以上も昔の話です。言葉が通じなければ、飲み水の確保さえむずかしい。そんななかを同級生だった奥さんと二人で、文字どおり手を携えて旅をしました。

人一倍苦労した人、試練の荒波をかいくぐって来た人には、大きなご褒美が与えられているのかもしれません。もちろん、誰も彼もが、平山画伯のような大成功を収めているわけではありません。だが、試練を乗り越えた人は、たとえば、ほんの小さなことにも感謝できる、そんな心の持ち主になれます。人の情けが身にしみるようりなります。大失敗はしたけれど、どっこい、まだ自分はがんばっている。そんな自分に大きな自信を持てるようになる・・・。試練はこんなすばらしいごほうびを持ってきてくれるものなのです。

「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」で一世を風靡した映画評論家の故・淀川長治さんの口グセは、「ウエルカム・トラブル」「トラブルよ、いらっしゃいと思っていると、実際にトラブルが起こってもあわてないし、元気に乗り越えられるものですよ」と言っていたそうです。おまけにそのトラブルがごほうびを持って来てくれます。

感想;

ふしぎなもので、苦労したことが大きいほど喜びは大きいように思います。苦労があったからこそ、喜びを味わうことができるのかもしれません。

この本にはいろいろな事例が紹介されています。

小見出しのタイトルには以下のようなものが63あります。

生き方に関する本はかなり読んで来ましたが、推奨する本の一冊です。 

  1. イライラし過ぎると平常心が失われる

  2. 自分は自分、他人と比べない

  3. 他人をうらやましがらない

  4. コンプレックスを含めて自分を好きになる

  5. 「いい日だった」と思えば、その日はいい日になる 

  6. 無理して人とつき合う必要はない

  7. 他人に弱みを見せることを恐れない

  8. 「ありがとう」を気楽に口に出す習慣を

  9. 人のせいにするのはすっぱりやめる

  10. ツキのないときはジタバタしない など

 


アルツハイマーと宣告されて あなた/私はどうするか

2014-04-29 00:36:38 | ブログ

アルツハイマーと宣告されて あなた/私はどうするか

「精神の反抗力と運命/喪のロゴセラピー 3」 勝田茅生著 

「オーストラリア人のクリスティーヌ・ボーデンという女性は、非常に有能な政府の科学研究顧問の一人として第一線で働いていました。誰もが彼女の記憶力のよさと頭の回転の速さに感嘆して、首相をはじめ、政府の高官たちとの意見の調整や話し合いには、そのまとめ役として活躍していました。

ところが、彼女が49歳の時にアルツハイマーだという診断を受けました。医者から自分の脳がもうかなり侵されているという事実を聞かされたとき、彼女のショックは大変なものでした。今まで積み上げてきたことがいったい何のためだったのか、「なぜ」こんなことになってしまったのだろう、と悩む日々が続きました。言ってみれば、彼女のキャリアウーマンとしての過去はまったく無駄なものとして消失してしまったわけです。

他の人ならそこで精神的に挫折してしまうところですが、ボーデンはその苦しみの中で、過酷な現実の中に与えらえた役割を見つけようとします。「自分にこのようなことが起こったのは、何かの意味があるに違いない」という根源的な信頼ががそこにあったのです。そして、彼女は本を書き始めました。

それまで、アルツハイマー患者を介護する立場からいろいろな書物が出ていましたが、患者自身が書いたものはほとんどなかったのです。それで彼女は患者としてこの病気について書くことを自分の役割だと考えました。この衝撃的な出来事について、自分の抱いている不安、シングルマザーとして3人の娘たちの養育をこれからどうしていくかという問題、そしてアルツハイマー患者としてとして自分がどのような障害をもっていると自覚できるか、患者として周囲からどのように扱ってほしいか、この苦痛を乗り超えるためにどこから力をもらっているかなど、自分の能力でできる限りの範囲で書き始めたのです。邦訳「私は誰になってゆくの?」。

そしてそれが出版されたときには、「自分もアルツハイマーで悩んでいる、でもこの本を読んでとても勇気をもつことができた」というような反響がたくさんありました。それで、彼女はあちこちから依頼を受けて講演をするようになりました。一時やめていた車の運転も再開しました。医者は彼女の脳の侵され方が非常にゆっくりなったことに驚きました」

感想;

人生には思いがけないことが起きることがあります。人はその時「何故私に起きるのか?」と嘆き、神様に尋ねます。神様は答えてくれません。見方を考えると、それまで起きて来なかったことも奇跡だったのかもしれません。他の人に過酷な出来事が起きていた時に、自分には起きなかったわけですから。

神様はその人のために、その人の将来のために、その人が耐えられるだけの試練を与えるとの考えがあります。過酷な試練だということはその人はそれを乗り越える力を内に秘めているのだと考えます。ただ、その秘めている力を信じることができないと過酷な試練を乗り越えられず、ただ立ち止まることだけでも精一杯なのではないでしょうか。


20数年前に米国でアルツハイマーと診断された方が自殺装置を使って自殺しました。その自殺装置を開発した人が自殺ほう助罪で訴えられました。本を読むことが好きな方で、その楽しみが無くなるなら生きている価値はないとの判断でした。

過酷な人生の先には、必ず価値あることが待っていると信じて進むことなのでしょう。その力が与えられていると信じて進むことなのでしょう。

言うは易し行うは難し” ですが。

 

 


「不況でも繁盛するラーメン・うどん・そば店の教科書」藤井薫著 成功の秘訣は”熱い熱情”が持てるかどう

2014-04-28 01:15:51 | ブログ

不況でも繁盛するラーメン・うどん・そば店の教科書 藤井薫著

著者は、1975年、28歳の時に大和製作所を創業し、現在は小型製麺機の販売台数でトップシェアまでにした。2000年にうどん学校、2004年にラーメンとそば学校を開校し、大和麺学校の校長でもある。経営指導も行っている。

 

川崎重工で飛行機/船の設計をしていて38年前に独立したが、やりたかった自動機械の設計の仕事が全然なかった。ところが地元が讃岐うどんの本場だったので麺に関する仕事が入って来るようになった。そこで麺の機械も初めて見ると奥が深く、麺の虜になって行った。

 

麺ビジネスを始めるに、一番大切なのは、

あなた自身がこのビジネスに熱い情熱が持てるかどうか」である。

 

次には「周到に準備する(段取り8割、仕上げは2割)」すること。

即ち開店の仕方で、その後の繁盛が決まる。

 

麺専門店の本質を深く思考する

成果が上がらないのは一番の原因は、物事を始める前に深く考慮していないためである。店の使命、コンセプトを明確にすることである。

 

お客様に焦点を合わせる

ビジネスの原点はお客様の問題か行けるである。お客様の真のニーズを理解すれば、飲食ビジネスは大成功する。

 

犠牲を払わずに、得たい結果は得られない

人生は目的地に向かっての旅路。考え方で結果は変わる。大和麺学校の講義では、半分以上が考え方(マインドセット)とマネイジメントについて話している。考え方で、行動が決まり、行動が決まると、結果が決まる。すべては考え方次第である。


感想;


思いもかけない人生が待っていました。まさか製麺の機械を作る、麺学校の校長をするとは、辞めた時点では想像すらできなかったと思います。

著者はまさに、独立した当初の夢は達成できませんでしたが、麺作りで多くの人に美味しい麺を提供するだけでなく、麺を開業する人々の支援もやって来ました。

それぞれが自分の人生をこう生きたいと考えていると思います。その道を進む人もいるでしょう。その道を歩むことができずに後悔と一緒に過ごす方もいらっしゃるでしょう。そして、思いもかけないことが人生に待っていて、それを受け容れその道を歩む人もいます。

人生で何をするか、何ができるか、なかなか回答は見つかりません。そんな時は、とりあえず目の前の自分ができることを精一杯やって行くことなのだと思います。

 

 


「その気持ちを伝えるために」 八木亜希子著 周りのアドバイスを謙虚に受け止める

2014-04-27 02:32:39 | ブログ

 「その気持ちを伝えるために」 八木亜希子著

1998年フジテレビへアナウンサーとして入社

 20003月フジテレビを退社

 2002年結婚 アメリカに渡る。2007年に帰国

 2009年から「BSフジLIVEプライムニュース」メインキャスター

 女優として映画「みんなの家」でアカデミー賞新人俳優賞

 NHK連続テレビ小説「あまちゃん」出演

 

有賀さつきアナ、河野景子アナ、八木亜希子アナ同期

 

「有賀は、どんどん吸収してどんどん変わるタイプ。

 河野は、変わっているようで以外と変わっていないタイプ。

  八木は、知らず知らずのうちに結構変わっているいるタイプ

 

周りの人から言われた言葉

 

「廊下ですれ違う全員に挨拶しろ」

 

「こっちは知らなくても、みんなはもう知っているんだよ。アナウンサーというのは、そういう仕事」

 

「どこかで誰かが観ている」

 

「笑ってごまかすな!」

 

「そんなにいい子に見せたいの?」

 

「自分と違う意見の人がいる。自分がおかしいと思う事を良いと思う人がいる。だからチームでやっている価値があるんだ。みんな同じ意見なら新しいものは生まれない」

 

「後輩を生かすことで、自分が生きる」

 

「愛なき批判は不毛です」

 

「若いうちは、自分を磨くためにお金を使うべき」

 

「あらゆる心配や不安は、すべてもう過ぎてしまった過去が、まだ来ない未来のこと」

 

「理屈でなく、感情を伝える」

 

「きちんと才能があれば、道は開けてもらえるもの。全ては認められる才能があるかどうか。常にゼロになる覚悟をしておくこと」

 

「そのままでいいんだよ」

 

「いるだけでいい」


アナウンサーの先輩や仕事で出会った人からのアドバイスを精一杯実践されてきたようです。

 

本を読んで受けた印象は、八木さんはとても素直な方なのだと思いました。周りの色々な人のアドバイスを少し疑問に思いながらもそれを実践して来られたように思います。そうして成長されたように思いました。

映画に出るのを散々迷いながら、新しいことにチャレンジして自分の可能性を広げて来られたように思いました。


アンパンマンのやなせたかしさんも、自分のやったことない仕事を受けて、それを精一杯取り組むことで自分の領域を広げて行かれました。周りから「困ったときのやなせさん」と言われていました。そしてそれがアンパンマンに結実したようでした。アンパンマンが初めてでたのは、50歳に初めてアンパンマンを大人用(アンチテーゼ)として出しました。54歳にアンパンマンを子供向けに改作し絵本として出しました。


”素直”と”精一杯”が自分を成長させるキーの一つなのでしょう。


A型患者にO型輸血/容態悪化→死亡 血液型の輸血について

2014-04-26 02:09:54 | ブログ

A型患者にO型輸血 県内の病院 容体悪化「ミスと因果関係ない」

http://news.goo.ne.jp/article/tokyo/region/tokyo-CK2014042502000152.html より一部抜粋

県立病院機構は二十四日、県内の病院に入院していたA型の患者に二十日朝、O型の血小板を誤って輸血したと発表した。二十三日午後七時ごろ、患者の容体の悪化が判明。機構は「ミスと因果関係はないと考えるが、可能性がないわけではない」としている。

O型の血漿には抗A型のタンパク質が含まれており、輸血を続けるとA型の赤血球を壊し貧血につながるおそれがある。機構は「患者が貧血を起こしたデータはない」としている。また「看護師二人でのチェックを徹底する」などと再発防止策を説明した。

感想;

20日朝、誤って輸血→23日午後7時頃、患者の容態悪化が判明

「ミスと因果関係はないと考えるが、可能性がないわけではない」

病院の説明は持って回ったような表現です。3日で容態が変化したということは先ずは因果関係がないかを疑います。本当なら以下の文言が妥当なように思います。

「ミスによる可能性も考えられる」

昔は、O型は全ての血液型に輸血できると教えられました。そこで、ネットで調べてみました。少量であればO型は全ての血液型に輸血できるが、今は同じ血液型間の輸血にしているようです。それは多少身体に悪い影響を与えるからのようです。今回、病気で弱っている人への輸血だったので、多少の影響が大きな影響になったのかもしれません。

今日の新聞より(追加)

難病の新生児に輸血ミス、5日後に死亡 横浜の病院http://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/ASG4T5KGYG4TULOB01J.html

神奈川県立こども医療センター(横浜市)は25日、新生児に輸血ミスをする医療事故があったと発表した。新生児は5日後に死亡したが「輸血ミスの影響はない」としている。同センターは事故を警察に報告、外部の識者を交えた事故調査委員会の設置を決めた。

 同センターによると、今月20日朝、約3時間にわたり、当直の看護師が集中治療室に入院中の血液型A型の新生児(生後28日以内)に、過ってO型の血小板26ccを輸血した。新生児は、持続的に輸血をしなければいけない難病だった。血小板の残量が少なくなり、血小板が入った注射筒をチューブにつなげる際、O型の患者用の注射筒をつなげてしまったという。A型とO型の血小板が入った注射筒が2本同じ場所にあったため、取り違えたという。新生児は25日朝、死亡した。

 会見した山下純正・同センター病院長は「血液検査などの結果から、新生児の死亡と輸血ミスの因果関係はない、と判断した。事故調査委員会で、第三者の目で検証してもらいたい」と話している。

感想;

「因果関係がない」ということの証明はとても難しいことです。つまり、それを証明する側の能力がないと証明できなこともあります。医療事故の評価はとても難しいです。ただ、わからない段階で、因果関係がないと断言できるのだろうかと思いました。難病ならなおさら少しのマイナスの影響も受けやすくなります。血液量は体重の8%(女性7%)だそうです。新生児だと3,000gだと血液は240gになります。26mLは26.8g(血漿比重は1.030)になり、全体の血液の11.1%です。ちなみに大人だと体重60Kgだと血液は4.8Kgで200mLは206gになり、4.3%です。3倍弱の量になります。少量だと希釈され影響は少ないですが、どうなのでしょう?A型の大人にO型の血漿を600mL輸血したデータはあるのでしょうか?そういった説明も示されずに、因果関係ないと判断された根拠のデータはあるのだろうかと思いました。

http://www15.ocn.ne.jp/~anne999/wan-blood1.html より一部抜粋

ヒトの輸血

ヒトの輸血に際しては1)血液型検査、2)交叉適合試験を行います。血液型検査では試薬にてABO型、Rh型を決定します。ABO型とRh型両者とも同じ型の血液しか輸血しません。交叉適合試験では輸血する血液と輸血を受ける本人の血液を混ぜ合わせて異常な反応がないかどうか最終確認をした後、輸血をします。(実際には更に細かい試験もします。)

ABO型の輸血

輸血できる血液型
同じ血液型
A型 B型 AB型 O型
輸血を受ける本人の血液型 A型 B型 AB型 O型
血液型が異なっていても
輸血して異常反応の
出ない血液型
O型 O型 O型
A型
B型
なし
ABO型からみた輸血法の表です。実際は青で塗られた範囲の同じ型の血液の輸血しかしません。しかし異なった血液型でも黄色の範囲のような組み合わせで輸血は可能です。O型のヒトは万能供血者(誰にでも血液をあげられるひと)、AB型のヒトは万能受血者(誰からでも血液をもらえるひと)と言われます。

異なった型の輸血をしたら、、、

A型のヒトにB型の輸血をすると重大な事態になります。A型のヒトが持っている抗B抗体で輸血されたB型の血球がすべて破壊され、その反応で重要な臓器障害が引き起こされ死に至ります。A型のヒトが持つ抗B抗体はB型血液と反応して消費されても全てのB型赤血球を破壊するまで無限に供給されるからです。

ではA型のヒトにO型の血液を輸血した場合はどうでしょうか?O型の赤血球には抗原がないのでA型のヒトの体内で破壊されません。O型の血漿には抗A抗体があるため輸血を受けたヒトのA型赤血球が少し破壊されますが、全身状態に影響を及ぼす程ではありません。輸血されたO型のヒトの血漿中の抗A抗体の量が限られているからです。

感想;

どうして、血液型がわかれているのでしょうね?

最初はO型だけで、その後、A型、B型、AB型が生まれたそうです。

http://blog.goo.ne.jp/egaonoresipi/d/20140426

血液型の暗号」 藤田紘一郎著
血液型はA抗体、B抗体の有無で血液型が決まりますが、他の動物でも、同様な抗体があり、チンパンジーはA型が多く、ゴリラはB型が多い。細菌も抗体によって違いがあるとのことです。
血液型によってかかりやすい病気やかかりにくい病気があるそうです。
そういった違いがあるために、性格にも違いがでてきているとの説でした。
ノロウイルスの感染では、B型がかかり難いとの報告もあるそうです。
赤血球の糖鎖の違いだそうです。A型は糖鎖が一つあり、B型は糖鎖が別の位置にあり、
AB型は両方の糖鎖を持っています。